2025年7月16日水曜日

2025年度 前期第14回

 担当教員の相澤です。最終回の今日は、例年通り、個人面談と相澤ゼミの本棚作りを行いました。

図書館のグループ学習室で
黙々と作業
個人面談では、事前に提出してもらった振り返りシートと大福帳(毎回ゼミ時にコメントを記入してもらうシート)をもとに、前期で頑張った点や成長できた点、そして後期の課題を一人ずつ話し合いました。

個人面談と並行して、前期に読んだ新書の中からおすすめの一冊についてPOPを作る作業を行いました。皆、かなりこだわって制作しており、時間ギリギリまで工夫していました。回を重ねるごとに、POPのクオリティが上がっている印象を受けます。こちらは10月から図書館内で「相澤ゼミの本棚」として展示する予定です。

これにて、前期の活動は終了。夏休み中の9月にはゼミ合宿を実施する予定です。よい夏休みを過ごして、後期もゼミ活動を楽しめればと思います。

完成したPOPの一部

2025年7月15日火曜日

課外活動:読売交響楽団演奏会へ

 担当教員の相澤です。今年度一回目の課外活動の報告です。

学期末も近づいた7月15日の夜に、ゼミ生8名ともに読売交響楽団の演奏会を鑑賞してきました。あいにくの雨天でしたが、会場のサントリーホールは賑わっていました。当日の演目は次の通りです。

指揮=シルヴァン・カンブルラン / ピアノ=リーズ・ドゥ・ラ・サール

バーンスタイン:「キャンディード」序曲

ガーシュイン:ピアノ協奏曲 ヘ調

バルトーク:ルーマニア民俗舞曲(弦楽合奏版)

ムソルグスキー(ラヴェル編):組曲「展覧会の絵」

よく知られた曲から少々マイナーな曲まで楽しめるプログラムでした。以下に、参加学生の感想を紹介します。

終演後に全員集合
CSさん:私は普段から音楽を聴いている。しかし、いずれもスマートフォンから流れるようなデジタルで出力したような音である。以前は私もそれで満足していた。オーケストラの生演奏を聴くまではそう思っていた。

今回オーケストラコンサートを聞いて、純粋に音を楽しむことを理解できた。それぞれ楽器から生まれる音に耳を傾けると、その音色が聞こえてくる。何か音で表現している感覚があって、強弱や抑揚から色や感情を伝えているようだった。その演奏は、時に安心感を与え緊張感を与える瞬間もあった。

私は音楽に精通している訳ではないが、ミュージックアプリで聞くような音楽とは全く違うことだけは理解できた。楽器から放たれる音色と音色同士の調和を経て一つの作品を作り出していると感じることができた。

FKさん:今回のコンサートでは、ピアノ、弦楽器、管楽器の3つが組み合わさった素晴らしい演奏を聴くことができました。前半ではピアノと弦楽器、管楽器の掛け合いや、バイオリンをギターのように弾くシーンがあり、楽器に注目して聴きました。後半では、プログラムに書いてある曲の解説文を見ながら、想像を膨らませて聴くことが出来ました。音楽だけでここまで表現出来るのかと驚いた演奏でした。最後のプロムナードでは、今までの演奏を締めくくるような、とても華やかな演奏で、多くの人が聴き入った瞬間だったのではないかと思います。

音楽は、ストーリーを想像させてくれるものだと実感することが出来たオーケストラコンサートでした。

Tさん:今回聴いた曲で最も印象的だったのは、ガーシュインのピアノ協奏曲だ。なぜならクラシックだと思い聴いていたら、いきなりジャズを聴かされたような感覚になったからだ。この曲について調べてみると、クラシックにジャズを取り入れたピアノ協奏曲として有名であり、また、ガーシュインもジャズとクラシックの両面において活躍した人と知った。人並みにクラシックを聴いてきたと思うが、クラシックとジャズが融合した曲は聴いたことがなかった。そうした曲を初めて聴く機会がまさかコンサートでの生演奏になるとは思わなかったので、非常に貴重な体験だった。

Rさん:今回で人生2回目のコンサートでした。前回は曲の内容や表現しているものを把握してから聞きましたが、今回は何も見ずに聞きました。前回と違ったのは、楽器の使い方に気付けたことでした。演奏者によって、同じ楽器でも体の使い方や動きの強弱が違っていて個性を感じました。また、リーズ・ドゥ・ラ・サールさんのピアノには驚きました。ピアノの強く激しい音や、優しく軽い音を使い分けていました。ピアノで聞きやすいなと感じたのは初めてでした。また機会があれば行きたいです。

EKさん:一年ぶりオーケストラ鑑賞でした。ジメジメした嫌な暑さも気にしなくなるほど聴き込んでいました。この形容し難い没頭感。暇な時はスマホをいじったり、アルバイトばかりしている私には、随分と久しく感じました。

ひとつ、後悔していることがあります。それは、冊子を読まずに聴き込んでいたことです。去年は手元に冊子を置いて、楽曲に関する説明を読みながら情景を浮かべていました。集中して聴き込むことが悪いことではないと思うのですが、同時に公式の見解のもと情景を浮かべて鑑賞したほうが記憶には残りやすいと思いました。

後半では「テレビで聴いたことあるなぁ」と、なんともミーハー感丸出しで聴いていました。耽美な雰囲気の下、ミーハー心で音楽に没頭できるのは、我々庶民の特権ではないでしょうか。

休憩時間。私はゼミ生S氏とお手洗いへ向かいました。そこで、私たち2人は驚きの光景を目の当たりにしました。夥しいほどの男性たちが長蛇の列を成していたのです。女性の長い列は想像に難くありません。それ故、男性でのあれほどまでの長蛇の列は初めて見ました。果てしなく続くこの人々の列に圧倒されながらも、前へ前へと進む私たち2人。この列は一体どこまで続くのだ、そして最後尾に着いたとして休憩時間内に用を足すことが出来るのだろうか。

「これが日本の『兵馬俑』か…。」

我々はそう言い残し、引き返しました。

これからオーケストラ鑑賞に足を運ぼうと考えている読者の皆様には、是非ともお手洗いに気をつけて頂きたい。オーケストラのマナーばかりに気を取られると、足元を掬われるかもしれませんよ…。そして、オーケストラの感想そっちのけでこんな番外編みたいなエピソードを書く羽目になるかもしれませんね…。

ISさん:ただ純粋に音楽を鑑賞するだけの時間をとるのは、本当に久しぶりでした。普段音楽を聴くときは、何かをしながら聞いています。最低でも移動はしています。椅子に座り、長時間の音楽を聞き、音楽は暇つぶしではなく、娯楽だということを思い出しました。

また、指揮者やピアニストの表現を観ることができるのも良かったです。

非日常であると同時に、とてもリラックスできる空間でもあり、個人的にもまた行きたいと感じました。

SYさん:生で聴くプロの演奏はとても迫力がありました。サントリーホールの大きな会場は年輪が多い一枚板の壁がズラリと並び、音の反響も良いのだと思います。しかしながら、自分はプロの演奏を聴くのが初めてだったので、正直なところ、音の違いは分かりませんでした。そこで、パンフレットの中の演奏曲の解説を読むことにしました。「キエフの門」を表した演奏では、まるで本当に顕れているかのように鐘が鳴り響いていました。文章ならば解釈で、絵画なら視覚で、音楽なら聴覚で、受けての感性で、作り手の表したいことを拾うことが芸術なのかもしれないと思いました。

IYさん:ナニコレ珍百景の音(キエフの大門というらしい)くらいしか知っている曲は無かったが生の演奏でしか味わうことの出来ない栄養みたいなものは得ることができた。

ただ、演奏ごとの拍手が長すぎる。3.4分の拍手が何回もあった。勝手な意見だが正直そんなに拍手する必要性あるのかなと思うので最初と最後だけでいいと思う。

このゼミに入らなければ行くことは無かったと思うので経験としてとてもいい機会だった。また行く機会があるなら是非行きたい。

2025年7月9日水曜日

2025年度 前期第13回

 こんにちは!経済学部3年のHです。テストやレポートの締め切りが迫ってきましたね! 今年も残すところ半分を切りました。今回はC班による発表の様子をご紹介します。

 

Mさん 林直樹『リストカット』講談社現代新書、2007年

Mさんは、リストカットを中心とした自傷行為について取り上げてくれました。1960年代のアメリカを起点とし、1970年代に日本にも広がったこの行為は、必ずしも「死にたい」からではなく、「苦しみから逃れたい」「自己感覚を取り戻したい」といった心理的要因が背景にあるといいます。

特に注目すべきは、生物学的要因として「覚醒度の異常」があるという点です。つまり、脳が過度に興奮している状態を、傷つけることで無理やり落ち着かせているという解釈です。

Mさんは、「自殺とは違う」という視点や、「寄り添うことの大切さ」を強調しており、私たちが「リスクカットをする人は精神状態が不安定」のような偏見を持つことなく、それに向き合うべきテーマだと考えさせられました。私にとっても、全く無視できないことだと感じたのでもし近くにそういう人がいたら寄り添ってあげれるようになりたいです。

 

Iさん 小島庸平『サラ金の歴史』中公新書、2021年

Iさんは、「サラ金(サラリーマン金融)」の歴史とその社会的背景を紹介してくれました。

「サラ金」と聞くと、どこか怖い・怪しいといったイメージを持つ人も多いかもしれません。しかし、その実態は社会の変化とともに姿を変え、特に1970年代以降の高度経済成長期に、給与所得者層の資金ニーズに応える形で普及していきました。当初は無担保・無保証で少額融資を行う画期的な制度でしたが、その裏側には、厳しい取り立てや高金利といった「負の側面」も存在していたのです。

Iさんは、特に「取り立てる側の苦労」に注目していました。サラ金の社員たちは、厳しいノルマに追われ、精神的に追い詰められるケースも多く、うつ病などを発症する人も少なくなかったそうです。このように、加害者のように見られがちな取り立て人も、実は上からの圧力に苦しむ“被害者”だったという視点は新鮮でした。

現在では、違法な取り立て行為は厳しく取り締まられ、「借りる側の保護」が強化されてきています。

Iさんは、単なる“悪者”として語られがちなサラ金に対して、その内実や背景、取り巻く人々の苦悩まで丁寧に読み解いており、現代社会における「お金」と「信用」の意味を考えさせられる発表でした。今回の発表を通じて、サラ金に対して借りる側の立場だけでなく、貸す側の立場も考えてみようと思いました。

 

Sさん 南雲治嘉『色の新しい捉え方~現場で「使える」色彩論』光文社新書、2016年

 Sさんは、「色とは何か?」という根本的な問いからスタートし、色の定義やその心理的・生理的影響について紹介してくれました。色は単に「光が物体に反射して目に届いたもの」ではなく、脳でどのように処理されるかによって意味が変わる、「感覚」と「解釈」が交差する現象だという視点が印象的でした。

特に興味深かったのは、「色が人の感情や行動に与える影響」を脳科学の観点から捉えるという点です。例えば、青色はリラックス効果や集中力の向上につながるとされており、食欲を抑える働きもあるため、ダイエットのために「青い皿」を使うという方法も紹介されていました。

また、近年注目されている「パーソナルカラー診断」にも触れ、肌や髪、瞳の色に合わせた自分に似合う色を知ることで、印象が良くなったり、自信がついたりすることもあるという話には多くの共感が寄せられました。単に「流行っているから」ではなく、根拠のある色彩の知識として日常生活に取り入れられる実用性が魅力的です。

最後にSさんは、「これからは“感覚的”にではなく、“目的に応じた”色の使い方をしていきたい」と語ってくれました。私たちの日常は、無数の「色」に囲まれていますが、その色が私たちの気分や行動、健康にまで影響していると考えると、色彩の知識はまさに“日常に役立つ教養”であると実感させられる発表でした。

 

Iさん 山田鋭夫『ゆたかさをどう測るか—ウェルビーイングの経済学』ちくま新書、2025年

 Sさんは、現代社会における「豊かさ」の定義について問題提起しました。一般的には経済成長を示す指標としてGDPが使われますが、果たしてそれだけで人々の幸せや生活の質を測れるのでしょうか?

たとえば、原発事故後の復旧費用や医療費がGDPに加算される一方で、失われた健康や安心は数値に現れません。また、アンダーグラウンド経済や格差の拡大なども無視できません。

こうした限界に対して、著者は「ウェルビーイング」や教育・健康といった別の指標に注目すべきだと主張します。特に著者は、非営利の市民団体や教育機関といった“人を育てる”分野への投資が、真の豊かさにつながるのではないかと提案していました。

 Sさんの発表を聞いて、普段当たり前のように使われているGDPが、本当の「豊かさ」を測るには不十分であることに気づかされました。数字に表れない幸せや生きやすさにも目を向けていきたいと思いました。

 

今回の4人の発表はどれも自分たちの生活に密接する部分が多かったように感じました。自分には関係ないと考えるのではなく、今回とりあげた問題やテーマは自分の近くにあると思って過ごしていきたいです。

2025年6月25日水曜日

2025年度 前期第11回

 こんにちは。経済学部2年のSです。今回が初めてのブログ担当になります。先日、大学の敷地内でクワガタを発見し、夏の訪れの早さに驚かされました。さて、今回はA班の新書報告です。


Kさん 森崎めぐみ『芸能界を変える』岩波新書、2024年 

本書は、俳優でありながら、芸能界の法整備やルール作りに尽力した著者が、芸能界の労働環境の変遷や現状の課題、その改善策を提示した一冊です。

海外の俳優が設立したNGO団体のシンポジウムで、森崎さんは衝撃を受けたそうです。海外に比べ、日本の芸能界の労働環境があまりに劣悪だったためです。森崎さんは、日本でも芸能従事者の権利を守る必要があると感じ、行動を開始しました。芸能界では俳優や演者だけでなく、スタッフや照明担当者なども含めた多くの人が、長時間労働や、基本的な休憩が取れないといった過酷な環境に置かれていました。実際、一般社団法人日本芸能従事者協会/全国芸能従事者労災保険センターがフリーランスであらゆる芸能に従事している方を対象にしたアンケートをとりました。そのアンケートでは80%以上の従事者が「仕事上、安全に関して不安に思ったことがある」「仕事中に寝不足で困ったことがある」等の劣悪な労働経験を報告しています。

森崎さんは、こうした状況を変えるべく、過去の事故例等を大量に集めて厚生労働省に労災適用を訴え、2021年に芸能従事者の労災保険が認められる成果を得ました。その後、「全国芸能従事者労災保険センター」の理事長に就任し、今なお相談窓口の設置やハラスメント対策など、芸能人のセーフティネット作りに取り組んでいます。

当時、芸能活動はあくまで活動であり、好きで行っていることであるという認識があったそうです。そのため社会保険が適応されづらかった、という内容が印象的でした。また、芸能界では、労災を隠すことが美徳だったそうです。こういった業界では、働くこと自体がリスクになってしまいます。特に、生活が不安定な若手俳優や裏方のスタッフにとっては大きな問題だったはずです。さらに、不安定で過酷な労働環境では優秀な人材が疲弊します。また、ミスや事故も起きやすくなり、作品のクオリティも落ちる可能性もあります。森崎さんは労働者の権利を守っただけでなく、業界全体の未来に貢献したと感じました。


Sさん 藤澤房俊『ガリバルディ』中公新書、2016年

この本は、イタリア統一運動の英雄ジュゼッペ・ガリバルディの生涯と功績を描いた歴史人物伝です。

ガリバルディは、分裂状態にあったイタリアの統一を目指し、象徴的な「赤シャツ隊」を率いて各地で戦いを繰り広げました。特に、少数の義勇兵で大軍を打ち破るなど、その戦闘能力は高く評価されています。一方で、政治的な駆け引きにはあまり長けていなかったそうで、政治における活躍はあまりありません。ガリバルディは、強さとカリスマで人気を得て、民衆をまとめたことで革命に貢献し、革命の象徴になりました。

本書ではガリバルディの漁師としての出自から始まります。国境に近い地で育った多言語環境が、のちの革命家としての素地を形づくったことが説明されています。そして、彼の恋愛や亡命生活、赤シャツ誕生の逸話なども紹介されます。これらの様々なエピソードを交えて、ガリバルディの人物像を深く掘り下げています。

当初、ガリバルディには支援が薄く、満足な装備がありませんでした。そんな中、逃げ込んだ倉庫の中に、赤いシャツが大量に保管されていたそうです。そして、それを部隊に配布し、ユニフォーム化したことが赤シャツの始まりでした。こういった世界史の教科書では触れられない内容も知ることができ興味深かったです。


今回のゼミでは、メモ用のワークシートを活用して報告を聞きました。今までは、各々好きな方法でメモをとっていましたが、今回は皆同じ紙でメモをとりました。さらに、報告後にはグループでメモを見せ合い、お互いの視点や記録の仕方を共有しました。人によって着目点や表現が異なり、大変参考になりました。箇条書きでまとめる人、図のようにまとめる人など、個性が出て面白かったです。また、他の人のメモを見て、私が報告で出た内容の年月日をメモしていないことに気づきました。自身のメモの不備に気づくこともできて学びが多かったです。メモをとることで、報告中に浮かんだ疑問や感想なども忘れづらくなるため、メモをとることの重要性を改めて感じました。

次回はB班の新書報告です。

2025年6月18日水曜日

2025年度 前期第10回

皆さんこんにちは。経済学部3年のKです。本格的に夏を感じる気温となってきましたね。私のおすすめの暑さ対策は、ズバリ「日傘」です。直射日光は日焼けの原因になるだけでなく、熱中症のリスクも高まりますし、将来のシミやシワの原因にもなります。今のうちから日焼け止めと合わせて、日傘も積極的に活用していきましょう。

さて、今回は毎年恒例の「歌詞解釈」をゼミ生で行いました。今回取り上げたのは、星野源さんの『地獄でなぜ悪い』(2015年)です。今回も事前準備として、ゼミ生が各々歌詞の解釈をワークシートに書き込みました。それを元に、まずはグループごとに、以下の観点から意見を出し合いました。

- 主人公はどのような人物像か

- 季節や時間帯は

- どんな状態にあるのか

- 「地獄」とは何の比喩か

- どんなストーリが込められているか

- この曲が伝えたいことは何か

ディスカッションの中で、「そんな解釈の仕方があったのか」「すごく腑に落ちた」「全然理解できない」といったさまざまな声が飛び交い、お互いの考えに驚かされる場面も多く見られました。

続いて、各グループで意見をまとめて発表を行いました。主人公が男性であることや、描かれている季節や時間帯については意見が一致しましたが、「地獄」とは何の比喩か、という点では大きく意見が分かれました。

- Aグループでは、「地獄」は思うようにいかない社会や現実の辛さの比喩だと解釈。

- Bグループでは、主人公が病気を患っており、その痛みや苦しみが地獄として描かれていると考察。

- Cグループでは、最初から天国など存在せず、この世こそが地獄であるという前提で解釈。

このように、同じ「地獄」という言葉でも、まったく異なる解釈がされていたことに驚かされました。自分では思いつかなかった視点に触れることができ、納得したり、疑問に思ったり、それについて討論することがとても面白かったです。 

初めに歌詞だけを読んだとき、私は、とても重く、ネガティブな印象を受けました。しかし実際に曲を聴いてみると、軽快でポップなメロディーに驚かされました。歌詞と曲調のギャップにより、まったく違う印象を受けました。

また、私は小説と音楽の大きな違いを実感しました。小説は文字情報だけを頼りに、登場人物の状態や心情を想像しますが、音楽にはメロディーやリズムといった要素が加わります。そのため、同じ言葉であっても、読んだときと聴いたときとで印象や受け取り方がまったく異なることがあるのだ気がつきました。最初は主人公の絶望や諦めを歌っているのかと思いましたが、実際には「現実を受け入れながらも前に進んでいくしかない」という前向きなメッセージが込められているようにも感じました。

さらに、自分の解釈と他人の解釈がまったく違っていたことから、音楽が人に与える影響や歌詞の意味は、聴く人それぞれの経験や価値観によって大きく変わるのだということを、改めて実感しました。歌詞が、ある人には「救い」としてとらえられ、別の人には「現実の辛さ」としてとらえられることで、音楽とは、それだけ多様な感情を表現し、無限の解釈ができる表現手段なのだと、今回の歌詞解釈を通して感じました。

今回もまた、白熱した議論がみられてよかったです。次回はA班の新書報告になります。皆さん体調に気を付けてお過ごしください!

2025年6月11日水曜日

2025年度 前期第9回 


こんにちは。現代法学部4年のTです。梅雨入りを控え、気圧の変化や湿度の上昇が感じられる季節となりました。今後は本格的な梅雨シーズンに入ると予想されます。低気圧による頭痛や体調不良にお悩みの方もいらっしゃるかと思います。十分な休息と水分補給を心がけ、体調に気をつけてお過ごしください。さて、今回はC班による新書報告です。


Mさん:清水徹男『不眠とうつ病』岩波新書、2015年

本書は、不眠とうつ病の関係を解明し、その治療方法を提示する一冊です。著者は、不眠とうつ病には相関関係があり、どちらからも発症し得ると主張しています。現代人は社会生活での不満や悩みを寝る前に思い出すことで、不眠に陥るパターンが多いそうです。

また、睡眠不足はネガティブな記憶を強化する性質があることがわかっています。ある実験では、睡眠不足の人と十分な睡眠をとった人に同じ記憶課題を行わせたところ、睡眠不足の人の方がネガティブな記憶をより強く記憶していたことがわかっています。つまり、ネガティブな記憶が睡眠を妨げ、睡眠不足がさらにネガティブな記憶を定着させるという悪循環が生じやすいのです。

不眠の治療法としては、認知行動療法により約7割の人が改善できるとされています。不眠症の人は、「寝床=ネガティブな記憶を思い出す場所」という意識が形成されている場合が多いです。そのため、寝る場所を変えることでその意識を切り離すことができると考えられています。また、不眠症の人は早く寝ようとする傾向にあります。そうした人には、眠くなるまでは寝床につかない・無理に寝ようとしないといった行動療法が有効だそうです。

私がこの話を聞いて思い出したのは、「寝床は固定しましょう」という一般的な睡眠指導です。しかし、不眠に陥った場合はむしろ逆のアプローチが有効であり、寝床を変えるべきだと知りました。こうした例外的なケースを知ることができた点においても、有意義な報告でした。


私Tの報告:石川良子『「ひきこもり」から考える 〈聴く〉から始める支援論』ちくま新書、2021年

本書は、ひきこもりの当事者に20年間インタビューし続けた著者が、「聴く」という視点から支援とは何か、支援がうまくいくとはどういうことかを考察する一冊です。

ひきこもり支援の最も大きな問題点は、支援内容が「当事者不在」で決められている点です。ひきこもり支援の多くは、支援者や教育関係者、当事者の親の論理で決められています。そのため、当事者の苦しみや思いが置き去りにされているそうです。また、当事者は支援者に社会不適合者として扱われる場合が多く、支援する側・される側で上下関係が生まれてしまうこともあるそうです。

著者は、こうした問題点を改善するために必要なのが「聴く」ことだと主張しています。なぜなら支援とは、支援する側・される側の協力によってできるものだからです。そのため、支援する側が、される側にとって信頼できる存在でなければなりません。そして、信頼されるために必要なのが「聴く」ことだと述べています。

著者は、支援する側が押さえておくべき「聴く」ためのポイントを5つ挙げています。第一に、当事者主体の支援姿勢として、最終的な決断は当事者に委ねることです。第二に、当事者への敬意と理解を示し、一人の人間として尊重することです。第三に、自己の価値観を押し付けていないか、自分はどのような価値観を持っているかを点検することです。第四に、相手の言葉をまず受け止め、理解しようとすること、わからなくても受け入れることです。第五に、対等な関係性を構築し、率直なコミュニケーションを心がけることです。

しかし、聴くことの限界を認識する必要もあります。相手が全く聴く耳を持たない場合や話そうともしない場合にはどうしようもありません。著者は、そうした限界を認識しつつも、まずは聴くことが重要だと改めて主張しています。

私が本書を読んで最も重要だと感じたのは、引きこもり支援において、対等な関係性の中で当事者の主体的な言葉をそのまま受け止め、解決策を提示しなければならない点です。支援者が先回りして解決策を提示することは支援ではないと著者は述べています。当事者が自ら選択できる環境、主体性を持つことができる環境を作り、彼らの選択を忍耐強く待つことこそが大切だと感じました。

質疑応答の時間では、「人との関係は相手を尊重することから始まるのではないか」という話題が挙がりました。引きこもり支援においては、当事者の話を聴く→信頼関係を構築する→当事者の意思を反映した解決策を提示する、というステップが重要だと分かりました。このステップは医療や育児においても必要であり、当事者の意思を聴かずに先回りして選択肢を提示してしまうと、関係が破綻するのではないかという指摘でした。私は引きこもり支援にのみ目が向いていたため、人間関係全般において「聴く」ことが重要だという考えには至りませんでした。こうした意見交換は、一人で本を読み咀嚼するだけでは気づかない視点を得ることができると再認識しました。今後の読書活動においても、自分一人で考え耽るだけでなく、「人の意見を聴く」という過程を大事にしたいと思います。


今回は体調不良による欠席者が多く、2名の口頭報告となりました。しかし人数が少ない分、一つの話題を深掘りすることができました。本ゼミでは、「聞いた人が一つ賢くなれる報告」を目標にしていますが、今回の報告では2つ、3つと賢くなれた気がします。次回は星野源さんの『地獄でなぜ悪い』の歌詞考察を行います。


2025年6月4日水曜日

2025年度 前期第8回

 こんにちは。経済学部3年のHです。今回初めてブログを担当させていただきました。がんばります。今回はB班の新書報告です。


Cさん 釘原直街『集団はなぜ残酷にまた慈悲深くなるのか』中公新書、2025年

本書は、服従する実験や同調する実験、また緊急事態における集団の心理について解説しています。その中でもCさんは同調について紹介してくれました。

集団において同調が発生する要因として3つの要素が挙げられるそうです。1つ目は無意識に同調をする暗黒的影響、2つ目はうわさやデマを容易に信じてしまう情報的影響、3つ目は自分が集団に属していることから、個人での行動を制限しがちになる規範的影響です。また、人々は良くないと理解していることでも、集団においては場を乱したくなかったり、それぞれの立場を考えたりして同調しがちであるともCさんは述べていました。

私はこの報告を聞いて、集団で行動することの難しさと同調をすることにネガティブにならなくても良いことを新しく学ぶことができました。


Hさん 福間詳『ストレスのはなし メカニズムと対処法』中公新書、2017年

本書では、具体的なストレスの発症例やその対策について解説しています。まず、ストレスとは私たちが日常生活において受けているあらゆる刺激に対する脳の反応です。現在は自分にとって嫌な出来事や悩み、経済的困窮、人間関係といった精神的・心理的な負荷として用いられることが多く、ストレスは常に自分の周りにあると言われているそうです。

ストレス発症の具体例には、パワハラ、育児ストレス、パチンコなどの借財について挙げてくれていました。特に、パチンコについてはストレス→ギャンブル→借金→ストレスの悪循環に陥ってしまい、根本的な解決策が無く付き合っていかないといけないと言われているそうです。

ストレス対策として、ストレスに対する備えとストレスを受けた時の対処が提示されています。備えに関しては十分な睡眠と栄養バランスのとれた食事、日常的な運動や趣味の時間などが挙げられています。対処としては日記を書く、信頼できる人に話すといった感情の整理、専門的な支援を求めると良いそうです。

私はこの報告を聞き、避けられないストレスを上手く発散していくことの大切さやストレスの対策を新しく学ぶことができました。


Iさん 串崎真志『繊細すぎてしんどいあなたへ』岩崎ジュニア新書、2020年

Iさんは繊細さのパターンがいくつかあることを述べ、繊細に対する対処法も説明してくれました。繊細には6つのパターンがあることが証明されているそうです。緊迫した場面が苦手というパターン、他人の顔色を窺ってしまうパターン(これは日本人にありがちな繊細さだそうです。)。匂いや音に敏感なパターン。このように繊細さにはさまざまな種類があり、繊細を過度に感じているHSPの日本人の割合は5人に1人だそうです。

繊細に対する対処法は、 繊細さを感じたら心の中でじっと6秒数える6秒ルール。10人の人の前で話していたとすると2人は賛成、2人は反対、6人はどちらでもない人であり、どんな状況にあっても誰かしらはあなたに共感、味方してくれると意識すると少しは気持ちが楽になるという考えの2・6・2の法則この2つを挙げてくれました。

自分はあまり繊細な方ではないと思いますが、繊細だということをマイナスに捉えるのではなく多感的だとプラスに捉えること、そして繊細への対処を学ぶことができて良かったと思います。


Tさん 上田信 『死体は誰のものか:比較文化史の視点から」ちくま新書、2019年(書き込みでの報告を参照)

本書は現代日本の死体忌避文化が普遍的であるかという問いを起点に、世界各国の死体観の差異を考察しています。

Tさんが1番驚いたことは中国における死体の政治的利用だそうです。中国には「図頼(とらい)」という、死体を使って権力者に抗議する伝統的な手段が存在していたのですが、現代でも2008年に発生した暴動において、遺族が埋葬を遅らせた死体が政府への抗議の象徴として機能した事例があります。現代中国人はこの古い習慣を知らないはずですが、死体を抗議の手段として用いる行為が現代においても自然に発生しているということだそうです。

自分はこの事を知って、そもそも死体を使って何かをするということが考えられなかったです。このような死体の使い方をする中国にすこし不信感を抱いてしまいました。


ゼミの活動は今回で第8回ということで、今年から入った自分もそろそろ慣れてきつつあります。今回の新書報告でもさまざまな意見や質問、議論が活発に行われました。また、新書口頭報告の前の本についての雑談もフランクに楽しく本の紹介ができました。次回はC班の新書報告です。


2025年5月28日水曜日

2025年度 前期第7回

 こんにちは。経営学部2年のSです。今回初めてブログを書きました。今回は自分も発表し、ブログも書いた回となりました。A班の新書報告です。


Eさん 竹下大学『日本の果物はすごい』中公新書、2024年

Eさんが紹介してくれたのは、私たちが普段当たり前のように食べている果物の“歴史”を掘り下げた一冊です。実は、私たちが身近に感じている果物の多くは、明治維新以降に日本へ伝わってきたもので、当時はとても貴重な存在でした。今で言えば「宝石」のような希少品だったというのは、驚きでした。

さらに、人間の舌は30度±5度の範囲で最も甘みを感じやすく、温度が低くなるほど甘みを感じにくくなるそうです。桃などは冷やさない方が甘さを感じやすく、逆にリンゴや梨、さくらんぼ、スイカといった、果実に含まれる単糖類の一種の果糖をあまり含まない果物は冷やした方が美味しく感じられるとのこと。

こうした知見をふまえることで、果物をより深く楽しんでもらいたいというのが著者の狙いです。Eさん自身も、「果物を見る目が変わった」と語り、非常に新鮮な読書体験だったようです。

報告を聞いて、私がこれから食べる果物はより甘く、歴史に思いを馳せて食べられそうです。


Kさん 野村浩子『女性リーダーが生まれるとき』光文社新書、2020年

Kさんが紹介した本は、日本の女性社長や幹部たちの成功体験を通して、女性がリーダーになることの難しさとその背景を明らかにした一冊です。本書の中では、なぜ女性がリーダーに向かないとされがちなのか、その理由として「リーダーらしさ=男性らしさ」という固定観念が指摘されています。

たとえば、リーダーに求められる「責任感」「行動力」「説得力」などの資質が、無意識のうちに男性的な特徴と結びつけられているそうです。そのため、女性が同じように振る舞っても“違和感”として捉えられることがあるといいます。著者は、今こそリーダー像の多様化が求められていると主張しています。

Kさんはこの本を読んで、「女性はリーダーになる能力が劣っているのではなく、社会の構造や思い込みがそれを妨げているだけだ」と気づき、大きく勇気づけられたと話していました。

報告を聞いて、女性のリーダーが少ない理由には目から鱗でした。男女で公平な社会が目指されている一方で、まだまだ整備が追いついていないことを実感しました。

どちらの本も、私たちが当然と思っている日常の中に潜む「前提」や「バイアス」を見つめ直すきっかけを与えてくれるものでした。読み終えたとき、自分の視界が少しだけ広がったように感じられる、そんな2冊でした。


私Sも報告しました。本の内容紹介は省略して、報告してみての感想を記したいと思います。今回報告してみて、やはり新書報告は難しいと感じました。限られた時間で本の内容や構成を伝えつつ、有用な情報と自分の感想を伝えなくてはいけません。そのためには、本をよく読むことももちろん、報告を見据えて準備する必要があります。新書報告は難しいですが、難しいからこそ普段の読書と一味も二味も違う味わい深い読書だと思いました。

2025年5月14日水曜日

2025年度 前期第6回

こんにちは、現代法学部3年のIです。今回、初めてゼミブログを担当させていただきます。人生で一度もブログを書いたことがなかったので、とても良い機会に巡り合えたと思っています。今回はC班の新書報告です。


Tさん 『発達障害児を育てるということ』光文社新書、2023年

本書は、自閉症を持つ子とその親の約15年間ほどの経験が語られています。自閉症とは、一般人より物事へのこだわりが高いこと、コミュニケーション能力が低いという特徴があります。こだわりについては、例えば、自分の遊びに関して気に入らないことがあれば必ず始めからやり直したり、朝はチョコを食べるなどという「偏食」があるそうです。

Tさんが特に言及していたのは、本書で登場する自閉症の子供は軽度の自閉症という点です。軽度の場合、周りに自閉症があることが気づかれにくいことがあるそうです。また、全く言葉が話せないような重度の場合よりも、受けられるサービスが少ないということでした。

報告を聞いて私は、これからは重度の自閉症だけでなく、軽度の自閉症も社会的に目が向けられていくといいなと思いました。


Iさん 小林武彦『生物はなぜ死ぬのか』講談社現代新書、2001年

本書は、地球史をロングスパンで振り返ることによって、有性生殖である生物の「死」のメカニズムを辿ろうとします。

簡単にまとめると、生物は環境に適応してきた個体が生き残ります。その他の(古い世代の)個体はいらないものとして考えられ、生物は多様性を生み出すために存在するということです。

多様性に関してIさんは「ポケモン」を使ってわかりやすく説明してくれました。通常ポケモンは成長すると進化するものです。しかし、地球上の生物には進化が起こりません。その個体はその個体のまま環境に適応していくことで地球上に存在し続けることができます。それぞれの生物がその個体なりに地球の環境に適応し、存在することこそ多様性であるそうです。

私が特に気になった点は、Iさんが無性生殖の生物が存在している理由に言及していた点です。有性生殖の生物は環境に適応して存在していることに対して、無性生殖はたまたまその環境に適合しているだけで実際には環境の変化に弱いということです。

とても難しい内容でしたが、本書は「死ぬ」ということより「存在すること」「繁栄すること」を重視していると感じました。


Sさん 齋藤孝『頭がよくなる要約力』ちくま新書、2022年

本書は、要約することの大切さや、著者なりの要約力の技術、トレーニングについて論じています

まず、著者の持論として要約力は生きていくことに直結していて、要約力は仕事にも関わっています。さらに要約が苦手なら不幸になるとも論じられています。

上手く要約するためには最初の説明を長くしすぎない、結論から書く、比較をすることなどが重要だと述べられています。

私が特に気になった点は、著者は読んだ本を30秒で簡潔に伝えるという「30秒トレーニング」を要約力向上の実践としてあげていたことです。相澤ゼミでは1人につき約5分間の新書報告時間が設けられますが、30秒で一冊を紹介することというのは、さらに要約力が必要になるなと感じて機会があれば実践してみたいと感じました。


Mさん 小川洋子『物語の役割』ちくまプリマー新書、2007年

本書では、小説家の小川洋子が、自らの小説がどのような過程を経て成立していくのか論じています。

小川によれば、物語を創り上げていく上で、意識しなくてはいけないことは物語には最初からテーマが存在しないということです。小川自身は、物語には「キーワード」が多数存在し、その「キーワード」をつなぎ合わせていきながら、自分で想像して創り上げられていくそうです。小川のイメージとして、まず「キーワード」が映像で浮かぶと論じられていて、「言葉」は遅れてやってくるそうです。

本当に悲しいことや辛いことがあった時に人間は嗚咽を漏らしたり無言になるため、そのことを言葉には表せません。そのような悲しみや辛さを1枚でなく何十枚もかけて「言葉」で表すことができるのが物語であると聞いて、私は物語の役割が少し理解できたような気がしました。

今回も多種多様な新書報告を聞くことができました。特に「要約力」や「本のキーワード」など今後の相澤ゼミの活動に生かせそうな話もあり、とても有意義な新書報告となりました。次回はA班の新書報告です。

2025年5月7日水曜日

2025年度 前期第5回

こんにちは。経済学部4年のEです。桜は立派に咲き誇る割には散るのがとても早いです。「季節の移ろいを感じますね」とか書きたかったのですが、それよりも書きたかったことはまた今回もわたしが代打でブログに登場したことです。代打の神様の称号くらい欲しいものです。

今回は、B班による新書報告です。 


Iさん 三瓶恵子『女も男も生きやすい国、スウェーデン』岩崎ジュニア新書、2017年

男女平等政策がここ30年で大きく進み、今も日々更新中のスウェーデン。本書では、保育園や学校、企業を例にどのように取り組んでいるのかを具体的に紹介しています。

なぜスウェーデンが男女平等だと言えるか、理由は大きく分けて2つあります。一つ目は労働市場への女性の参加が進んでいることです。スウェーデンでは、かつて女性の就業率が低かったものの、大規模な経済発展を背景に女性の正規雇用が増え、低賃金の問題も改善されました。これにより、女性が働きやすい環境が整えられてきたことが分かります。二つ目は、女性の政治参加が進んでいることです。スウェーデンでは議会における女性議員の割合が高く、政党の選挙リストを男女交互に並べるように工夫されています。これが女性の政治進出を後押ししています。また、スウェーデンでは結婚や離婚がしやすく、子どもがいても結婚しないカップルが見られます。男性も女性も、結婚に関係なく個人として経済的に自立することが社会的に奨励されています。これもまた男女平等の実現に貢献しているといえます。

Iさんは、この本を読んで「日本もスウェーデンから学べることがある」と感じたそうです。Iさんがおっしゃるように、スウェーデンから学んだことを実現できる時が来れば、いつか日本もジェンダー後進国と呼ばれる現状を打開できるかもしれません。


Hさん 中谷内一也『リスク心理学』ちくまプリマー新書、2021年

本書にはリスクと心理学の関係性が書かれています。リスクとは「これから先起こるだろう望ましくないこと」、簡単に言えば「起こってほしくないこと」です。リスクは二つの要素で構成されています。それは、「不確実性」と「深刻度」です。前者は望ましくないことが起きる確率や可能性、後者はそれ自体の望ましくなさを意味します。リスクの大きさを求める事をリスク評価といいます。リスク評価が正しかったとしても、特定個人の未来を断定することはできません。正解がないのです。本書では他に、感情と合理性の衝突やリスク評価の基準、最新の研究成果を紹介しています。

わたしはよく、新しいことを始めるときに悩みます。アルバイトや部活といった、既に成立した共同体の中に入ることが怖いからです。わたしにとって起こってほしくないことは、共同体の中で仲間外れになることです。この現象の深刻度を数値化すれば、わたしにとってかなり高い数字を弾き出すでしょう。しかし、よく考えてみると人間は結局1人なのです。集合や共同体もあくまで1人の人間のかたまり。分かり合っているようで全然分かり合えていなかったり、1人じゃないように振る舞っているだけだったり。そう考えると、意外とたいしたことはないです。(以前聴いたラジオの受け売りですが。)もしかしたら自分で勝手に悩みや心配事を深刻にしているだけかもしれません。皆さんにとっての「望ましくないこと」はなんですか?


Cさん 小塩真司『性格とは何かーよりよく良く生きるための心理学』中公新書、2020年

本書の目的は、性格とは何なのかを知ることです。性格には類型論、特性論があります。類型論は、星座占いやMBTIなどいくつかの大きなカテゴリーに分けて特徴を把握しようとする手法です。それに対して特性論は、詳細な特徴を捉えていきます。

性格の特性を把握する特性論の代表的なものに、5種類の項目で構成されたビッグ・ファイブ分析があります。

①    「外向性」…外部との関連性を持つ程度を指す

②    「神経症傾向」…不安や怒り、抑うつや悲嘆などの否定的感情の感じやすさを示す

③    「開放性関心」…関心の広さや新しい経験への反応を示す

④    「協調性」…社会的な調和や共感力を示す

⑤    「勤勉性」…計画的に物事を進める度合いや誠実さを示す

参考 

https://www.bing.com/search?q=ビッグ・ファイブ分析&qs=n&form=QBRE&sp=-1&ghc=1&lq=0&pq=ビッグ・ファイブ分析&sc=9-10&sk=&cvid=B183453A2CCB41989E9E5555D1E01DE2

『嘘』を見抜いて自己分析! | ビッグファイブ性格診断【BIG5-BASIC】

本書ではこれらの分析を基に性格とは何なのかが述べられます。Cさんは、一人一人の性格を知る為にこの本は有益だとおっしゃっていました。

自分の性格を詳細に知っておくのは大事ですよね。わたしなんかは、「ああ、今こういう気持ちの沈み方しているからあれやって切り替えよう。」とか、「こういう人と関わるのは自分に向いていないから、距離感を保とう。」みたいに考え、性格を基に適切な判断を下せるよう心がけています。(年齢を重ねたから出来るようになったからというのもありますが。)

ちなみに、勤勉性とかは努力次第で変えられるみたいですよ。わたしが5種類の中で向上させたい項目は、外向性です。皆さんには向上させたい、もしくは低下させたい項目がありますか?


Sさん 佐藤眞一『ご老人は謎だらけ 老年行動学が解き明かす』光文社新書、2011年

本書では、老人の謎めいた行動を挙げて一つずつ解説しています。謎めいた行動の例として、「記憶は忘れるのに約束は覚えている。」が挙げられます。著者は本書で常に「老人は自尊心とプライドが物凄く高い」と伝えています。

Sさんが注目したのは、「老人はなぜキレやすいのか」です。人間には「主観年齢」があります。実年齢が30歳だとしても、心は常に18歳、ぴちぴちの高校生です!みたいなことです。老人は、主観年齢と実年齢の乖離を起こすのです。約30歳も若く見つもってしまうといいます。実年齢が70歳なら主観年齢は40歳だと思うのです。この点には、良い面と悪い面が存在します。主観年齢が若ければポジティブな気持ちで生活が出来ます。これは良い面だと言えます。反対に悪い面では、例として、車の運転が挙げられます。心が若々しくても実際は老いている。危機察知能力や反射神経も、老いた体では能力が衰えています。自分では普通に出来ているつもりなのに、事故を起こしてしまう。

これが老人の怒りっぽさにどう繋がるか。我々はご老人に対して適切な行動をします。電車なら席を譲ったり、介護施設であれば排泄の援助や口調を赤ちゃん言葉にしたり。老人からすれば、「自分は若いのに何でそういう対応をするのだ」と思うのです。老人の主観と、ご老人を外側から見る我々の間で生じるギャップが怒りを生むのです。

Sさんは、自身がどのような老人になるか気になったみたいです。

わたしは実年齢50歳で免許を返納するくらいには精神を老化させたいです。多少薄毛にでもなれば勝手に精神が老いていくのでしょうか。でも、見た目は若々しくあってほしいです。こう考えると、若作りする事が精神の健全な老化を阻害する要因とも考えられるかもしれません。年を取ると出来なくなることが多くなりますよね。それを受け入れるのってプライドが許さないのかもしれません。人間は、生まれた時に親や保護者の援助を必要とします。1人で生きる為には周りの支えを要します。元々、1人だけではなにも出来ないことを思い出してみるのも良いかもしれません。

 今回は、自分の感想の最後に質問を投げかける形式にしました。そういえば、このブログをゼミ生以外の人は読んでいるのでしょうか。OGやOBの方々が見ていたら、あらゆる手段を駆使して答えてきてほしいくらいです。 

次回は、C班による新書報告です。あっという間の1周です。ご自愛ください。

2025年4月30日水曜日

2025年度 前期第4回

こんにちは。経営学部3年のSです。徐々に気温が上がり、洋服選びが難しく感じます。今回は今年度初めての新書報告をしました。

Kさん 園部逸夫『皇室法入門』ちくま新書、2020年

本書は、日本の皇室について、法律の観点から論じている本です。皇位継承問題にも触れています。

Kさんは特に天皇の女性相続問題を言及していました。現在の皇室制度では、父方に天皇の血が流れている男系男子しか天皇になれません。この制度は2700年間続いており、長い歴史があります。現在、天皇陛下の長女である愛子内親王は、男系でありながらも、女性であるため皇位継承ができません。ですが、天皇陛下に男性が生まれなかったため、現在では皇位継承問題になっています。

自分は皇室制度について何も知らず、今回の発表を聞いて皇室制度について知りました。愛子内親王が素直に天皇になるのが良いと感じましたが、それを可能にさせない皇室制度を学び、2700年という歴史の重みを感じました。

Sさん 西岡壱誠『東大生と学ぶ語彙力』ちくまプリマー新書、2023年

本書は、語彙を暗記することではなく、語彙を理解する力について論じています。

語彙力を高めるためには、語彙をなんとなくではなく、理解することが重要です。例えば、信用と信頼という言葉の違いを考えてみます。信用とは、過去の実績などから相手を信じること。そして、信頼とは相手の成長や未来を信じること。このような違いがあります。また、これは日本語だけではなく、英語における接頭語にも同じことが言えます。このような違いをはっきりと理解することが、文章を書く時や議論をするときに、言葉の精度が上がることにつながります。

たしかに、普段使っている言葉の中には、意味もわからず使ってしまっている言葉が多々あると感じました。この本で学べることは、相澤ゼミ生にとって不可欠なものだと感じました。

Eさん 乾敏郎 門脇加江子『脳の本質』中公新書、2024年

本書は、脳の働きや構造、脳の病気について解説した本です。

本書は、脳の記憶について、長期記憶と短期記憶について触れています。長期記憶とは、時間が経っても覚え続けられる記憶のことで、人の名前や印象に残る出来事などの記憶がこれにあたります。一方、短期記憶とは、電話番号を少しの間覚えておくなどの、一時的な記憶のことをいいます。これは、情報の時系列を整理する脳の海馬から、大脳新皮質に保存され、情報を出していることに関係しています。Eさんは、脳の病気を発症した患者さんの例を紹介していました。

脳は、自分が思っているよりも繊細な器官なのかなと感じました。記憶の時系列などのさまざまな情報を整理する、脳の記憶という機能がいかに複雑なのかがわかりました。

今回は今学期初めての新書報告でしたが、質問が飛び交い、良い新書報告となりました。質問者が本に対して疑問に思ったことや、本に関連する知識を踏まえた質問がありました。どの発表も新たな発見がありました。次の発表も楽しみです。次回はB班の新書報告です。

2025年4月23日水曜日

2025年度 前期第3回

担当教員の相澤です。相澤ゼミ生たちはほぼ毎週、新書を一冊読み、その内容を口頭あるいは書き込みで報告します。これが本ゼミのメインの活動である「新書報告」です。できるだけ質の高い新書報告をしてもらうために、今日は、私がプレゼンのやり方と文章の書き方をレクチャーしました。

プレゼンに関して私は、話し上手だけでなく聴き上手になることが大事だと強調しました。人生では、自分が話す側になるよりも聴く側になる機会の方が多くあります。プレゼンというと、話す技術にフォーカスされがちですが、聴く技術を身につけることの方が大事ではないでしょうか。レクチャーでは、話す・聴く両方のコツを伝えました。

来週以後、ゼミ生は毎週一冊新書を読んで報告していきます。今日のレクチャーの内容を踏まえつつ、試行錯誤してほしいと思います。


2025年4月16日水曜日

2025年度 前期第2回

 担当教員の相澤です。今日はいつもの教室を離れて図書館のグループ学習室に集合。ゼミで報告する新書の選び方を私がレクチャーし、ゼミ生が実際に新書を選ぶグループワークを行いました。

本ゼミでは、新書報告と題して、毎週自分の選んだ新書について口頭、あるいは文章で報告してもらう活動を行っています。その際、新書は一定の学術的水準を満たしたものを選んでほしいと伝えていますが、玉石混交の中からどういうふうに選べばよいのか。そのテクニックを今日は伝えました。

次に、レクチャーの内容を踏まえて、ゼミ生には自分が読んでみたい新書を3冊選んでもらいました。その後、小グループに分かれて、どんな本を選んだのかシェアするグループワークを行いました。選んだ本・読みたい本には、その人の個性や興味関心が表れます。このグループワークによって、ゼミ生がいろんな関心を持っていることが体感をしてもらいました。

来週は、発表の仕方や文章の書き方をレクチャーする予定です。初回の新書報告に向けて、準備を進めていきたいと思います。

2025年4月9日水曜日

2025年度のゼミが始まりました。

 担当教員の相澤です。2025年度のゼミが始まりました。例年通り、「読んで書いて話す技術を学ぶ」というテーマのもと、読書力と自己表現能力を鍛えていきます。

今年は12名の学生が所属することになりました。継続生が7名、新規生が5名になります。第一回ゼミでは、ゼミの進め方についてレクチャーした後、小グループに分かれて自己紹介ワークを行いました。

今年度は、五年ぶりに大福帳(学生と教員の連絡カード)を復活させました。毎回、授業の最後に学生はゼミでやったことや感想を手書きでカードに書き込み、提出します。私はゼミ生のコメントに返事を書いて次のゼミ時に学生にカードを戻し、毎回必ずやりとりするようにします。正直、手書きでコメントを書くことは、学生にも私にも手間がかかる作業です。しかし、コロナ禍以後使っていたLMS(本学ではmanaba)でのやりとりは無機質でつまらないと感じるようになったため、アナログ回帰してみることにしました。

大福帳でのやりとりをはじめ、ゼミ生の声にしっかり耳を傾けつつ、学ぶ楽しさを全員で味わう一年にしたいと思います。

2025年3月31日月曜日

卒論のススメ

東経大では卒業論文(科目名:総合教育研究)を書くことができます。自分なりのテーマとじっくり向き合って文章を紡ぐ作業と時間は、学生ならではの貴重な経験になります。

2024年度に相澤ゼミで卒論を書いたMさんから「卒論のススメ」を寄せてもらいました。興味のある四年生は、ぜひ履修を検討してみてくださいね。

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「苦しいけど、楽しい。」

卒論に取り組んでいた日々、私はそう感じていた。

自分の伝えたいこと、言葉選び、文章の作り方を一生懸命考えてみても、自信は無かった。そしてそれは、論文を書くことで初めて感じたもどかしさだった。何度も先生に添削をして頂いた。正直その度に、自分の文章力の無さに落ち込んだ。初めての卒業論文なのだから、最初から上手に書けなくて当たり前。良い表現が見つからなくて当たり前。とにかく時間の許す限り、先生に頼って、また一人で言葉に向き合って。

文章を書いて直すという作業は、想像以上に孤独。

そのような決して前向きとは言えない執筆期間、私が卒論を書き上げられたのは、相澤先生の熱意ある添削と向き合う時間が好きだったから。

もし今あなたが、卒業論文を書くか迷っているのなら、私は絶対に書いた方がいいと伝えたい。新書を読むことで身につく読解力と書く力、そして伝える力が鍛えられる相澤ゼミ。その場所で論文を書き、添削してもらえる経験は非常に貴重だった、と私は心から実感している。書き終えた春、きっと良い桜が咲くはずです。頑張って。

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2025年2月8日土曜日

課外活動:オペラ鑑賞

2月8日の午後、ゼミ有志が新国立劇場に集合しました。皆でオペラを鑑賞するのです。演目は『フィレンツェの悲劇(ツェムリンスキー)/ジャンニ・スキッキ(プッチーニ)』の二本立て。それぞれ、一幕のみ、60分ほどで、初心者にも見やすいものです。

オペラパレスの華やかな雰囲気に圧倒されつつ、二時間あまりの贅沢な時間を楽しみました。以下は、参加者の感想です。

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Cさん

今回、オペラを初めて見た。以前のオーケストラと違って、音楽から得られる耳からの情報だけでなく、劇から得られる目からの情報もあったおかげか、退屈なく鑑賞することができた。

オペラを見ての第一印象は演者さんたちの声の迫力が想像以上だった事だ。演奏に負けないくらいの声をあの広い会場で発声できるのは、非常に驚いた。また、声自体にも抑揚があり圧巻の演技を見ることができた。

また、オペラ鑑賞は当然ストーリーがあるが、そのあらすじだけでは自分には理解し難い部分もあったと感じる。その理解し難い部分を、劇を見ることである程度は補完できたが、完璧に理解できたかと言われれば、難しい部分がある。だからこそ、今回のオペラはストーリーというよりもオペラとは一体何なのか、またどのような雰囲気なのかを感じることを考えて鑑賞できた。普段、1人ではほとんど行かないであろう場所に体験できたのは非常に良い経験になったと思う。この先、1つの高尚な趣味として考えるきっかけにもなった。

いずれにしても、新たな知識、知見を得られることが自分にとって有意義だと感じられる時間だった。

Sさん

フィレンツェの悲劇で最も印象深かったのは、ビアンカの二面性が露わになるラストシーンである。グイードへの「殺して」という切実な懇願から一転、勝者となったシモーネへの誘惑的な態度への変貌に疑問を感じた。彼女の行動は本心からの愛なのか、それとも純粋な生存本能なのか。私には明らかに後者に思えたが、それならばシモーネはなぜ怒りを見せなかったのか。幕が下りた後も、この疑問が残り続けた。

 ジャンニ・スキッキでは、幕が上がった瞬間から斬新な舞台装置に釘付けとなった。人間よりも巨大なクッキーや天秤、手紙、ペンといった日用品の誇張された造形は、一目見ただけでこれから始まるのが「喜劇」だと表しているように思えた。その日最も印象に残ったのは、ラウレッタによるアリア「愛しい私のお父さん」だ。彼女の歌声は群を抜く存在感を放っていた。カーテンコールでの大きな拍手は、その魅力が観客の心を掴んでいたことを物語っていたと思う。

Kさん

フィレンツェの悲劇は、3人しかいないのに迫力を感じました。マイクを使わずにオーケストラの音に負けない声で歌っていて、それでいて迫力を感じたので、オペラの技術はすごいとこ感じました。物語も終盤にかけて目が離せない展開となっていて引き込まれました。

ジャンニ・スキッキは、フェレンツェの悲劇と違ってポップな笑えるようなオペラだったのでとても見やすく、楽しめたと思います。

どちらも、オペラ初心者でも楽しめるようなものでした。いい経験になったと思います。

Tさん

フィレンツェの悲劇は、シモーネとグイードの心理戦が面白かったです。シモーネはビアンカとグイードの不倫に気づきつつも、あくまで商人として振る舞い商品を売りつけます。見逃してやるからいい値で買えよと言わんばかりの攻防が良かったです。決闘の場面では、ビアンカが「殺して」とささやくのがささやき女将みたいで面白かったです。

ジャンニ・スキッキは、喜劇らしく面白おかしい場面が多く楽しく鑑賞できました。アリア「私のお父さん」には鳥肌が立ちました。特別感動する場面でも無かったですが、迫力があり目線を惹き付ける声に不思議と鳥肌が立ちました。

Kさん

オペラを鑑賞するのは2回目だった。慣れない厳かな雰囲気の中で特別な体験ができたと思う。演目は二つに分かれていた。最初のフィレンツェの悲劇は場面転換が少なかった。ただ、商人が貴族に品物を高く買わせようと演説しているシーンは面白かった。オペラ独特の硬くて遠回りな言い回しが存分に活かされていた場面だと思う。一方で最後の結末がビアンカとシモーネがキスをして終わるという急展開にはついていけなかった。最後の物語のたたみ方の雑さというか、みている人を置いていく結末には唖然とした。二つ目のジャンニスキッキは何よりセットや小道具に手が込んでいた。本やメガネが人よりも大きく作られていてその中を登場人物が駆け回りながら話が進んでいく。本来の物語は遺産相続という話で、見た目が映えるような演劇にはならないはずが、演出の工夫や小道具の大きさによって場面映えするような劇になっていた。最後まで飽きずに見ることができたし、最後に観覧者に語りかけて物語を閉じるところもとても新鮮だった。二つの演目はセットから話の展開、演出まで大きく異なり、オペラの表現の幅を見せつけられた。

Rさん

参加者全員で。
いつもよりキレイめで集合しました。
自分は今回のゼミ活動で、初めてオペラを鑑賞しました。二つの物語や役者さんの演技など、見る人を魅了する素晴らしいものばかりでした。ですが、個人的に印象に残ったのは、オペラを鑑賞しにきている、お客さんでした。自分の中で、オペラを鑑賞する人のイメージとして、裕福そうなおじいさんやおばあさんが鑑賞するものというイメージがあり、内心ドキドキしていました。ですが、実際に新国立劇場でみたお客さんは、高校生や大学生くらいの人や、40代くらいの大人の方、外国人の方など、さまざまなお客さんがいて驚きました。オペラに行って、幅広い客層に鑑賞されているものだと知ることができ、オペラが少しだけ身近なものになったと感じました。

Eさん

人生初オペラに感激しました。荘厳なオペラの会場となる国立劇場へ足を踏み入れる場面が私の人生に訪れるとは思っていませんでした。先生が事前に、あらすじを知っておかないと面白くないと言っていたので、きちんと準備して当日を迎えました。

私達が鑑賞したのは、(他の人も挙げていると思いますが)フィレンツェの悲劇とジャンニ・スキッキの2作品です。

1本目を見終わった後、25分の休憩を挟みました。鑑賞しているときは、正直言って「すんごいあらすじ通りィィ!!」と思っていました。ただ、最後のシーンで商人の主人公と尻軽ヒロインが体を寄せ合い、顔を近づけていた場面で、上の方の座席で観ていた僕には主人公がヒロインの首を絞めているかのように見えたのです。見間違いでもそうじゃなくても、結果的には最後の場面に考察の余地が生まれてきたので良かったです。

2本目の作品は喜劇でした。物凄く抽象的ですが、率直に上品な笑いだなぁと思いました。自分が普段笑っているものがいかに低俗で下劣な笑いなのかをまざまざと見せつけているかのようでした。(これは言い過ぎですが。)先ほども述べた通り、オペラってあらすじ通りなんだなぁと思いました。なぜ2回も言及したかというと、私は面白い映画やドラマに出会っても2回以上見る事がほとんどありません。もう見たし、知っていることを何回も見るのは時間の無駄だなと思ってしまうのです。(といいつつもスマホをずっと見て時間を無駄にすることが頻繁にあります。)しかし、オペラを観て気づいたことがあります。あらすじを頭に入れ結末まで知っているからこそ、あらすじがオペラや演奏、役者などによって肉付けされていく過程がとても見応えがあるように思えたのです。変な例えですが、映画のディレクターズカット版を観たときみたいな感じです。劇のエピソード自体、あらすじとして完結されており、それに手を加えるのは野暮なはずなのに、更に良いものをブレンドしていくことで完成品の質がより高まっていると言えばよいでしょうか。もう少しでオペラの面白いところを言語化できそうなのですが、今は面白さの核に手もかかってないところだと思うと、少々歯はがゆいです。少なくとも、この点に気づけて良かったです。

あとがき

オペラ鑑賞後、我々相澤ゼミ一行は15分から20分程度喋りながら新宿駅まで徒歩で向かいました。駅に到着し、僕はすぐさま帰ろうと改札に向かうと、とある後輩から声を掛けられました。「衞藤さん、このあと時間ありますか?」声をかけてきた人物は、僕がこのゼミで一番仲が良いといえる後輩でした。「これはまさか、この後ご飯にでもいくつもりなのか?」と僕は危険を察知しました。早く帰りたい気持ちと「仲の良い後輩からの誘いは断りたくないなあ」といった気持ちのジレンマから、生返事になってしまいました。するとすかさず、もう一人の後輩が声をかけてきました。この人物は僕がこのゼミ内で最も恐れている人物で、まるで僕が隙を見せた所にすかさず声をかけてきたかのような、あざやかすぎる手口で「衞藤さん、このあと時間ありますか?」と言い放ちました。後輩とは言え、僕はこの2人のコンビにはとある事情から逆らえません。「しまった。これでは断れないぞ。」と困惑してしまい、挙句の果てには今晩自宅で食べようと思っていた鍋を蹴って、2人とご飯へ行くことにしてしまいました。満員電車に揺られ、池袋へ拉致された僕。なんと2軒目まで行ってしまいました。2人の僕に対する質問を華麗に避け、アルコールの力を借りて素を曝け出し、2人の様子も伺いながら楽しみました。ですが、つい調子に乗ってしまい日本酒やレッドブルサワーを沢山飲んでしまいました。仲の良い後輩はお酒があまり飲めないタイプなので、割り勘にしたことを後になって悔やみました。最も恐れている後輩は僕と同じくらい飲んでいたので、改めてその恐ろしさを痛感しました。この人に飲まされてしまったといっても過言ではありませんので、責任を擦りつけたいです。18時を指していた時計も気づけば22時になり、解散。帰宅した僕は、レッドブルサワーによるカフェインのせいか全く眠れませんでした。目を瞑り、瞼の裏にその日の出来事を思い浮かべていると、僕はあることに気が付きました。3人で飲んでいるときに、一度もオペラの話をしていなかったのです。この事実に気づいたことで、僕はより一層眠りに入ることが困難になりました。人見知りの僕でさえ、例えば女性と映画を2人で観に行った後にご飯に行くなら、先ほど観た映画を中心に話を展開させます。そういうのが無かったのです。3人で喋る分には最適且つ一番ホットな話題なのに、なぜ誰も喋らなかったのか。あの2人がオペラを観て何を思ったのか。なぜわざわざ僕を誘ってきたのか。多くの謎が謎を呼び、鋭いメスも入れない程に複雑に入り組み、絡み合っています。僕はこれを逆探偵ナイトスクープ現象と呼ぶことにします。

多くの思い出が出来て、二度おいしい一日となったことは間違いありません。自費ではなかなか行くのが憚られますし、自分のような者が踏み入れていいものなのかと偏見によって悩まされていた私ですが、オペラに対するイメージがガラリと変わり、とても楽しかったです。美術館やオーケストラをはじめ、文化的なものや高貴なイメージのあるものに触れあえる機会が多い点は、このゼミの素晴らしいところだと思います。そして、素晴らしい仲間に巡り会えたことはこのゼミに入ったからこそだと思います。

長文失礼しました。

2025年1月30日木曜日

熱海でゼミ合宿

1月30日からの二日間、熱海でゼミ合宿を実施しました。今回も夏に引き続き、経済学部の中村ゼミと合同で、計八名の学生が参加しました。

ちょうど咲き始めた熱海桜
まずは昼過ぎに熱海駅前で集合して、海まで散歩したり、早咲きの熱海桜を眺めたりと散策を楽しみました。

その後、網代にある宿に移動し、勉強会を行いました。勉強会では、相澤ゼミの卒論執筆者から卒論報告を、中村ゼミからはゼミレポート報告をしてもらいました。質疑応答も盛り上がり、よい学びのまとめになったと教員は感じました。

勉強会が終わった後は、温泉に食事、そしてお酒を楽しむ時間に。おしゃべりは真夜中過ぎまで続いたようです。

翌日は宿で解散し、希望者は熱海のMOA美術館で芸術に親しみました。快晴に恵まれ、景色も満喫できたようです。

相澤ゼミでは、今年度初めて、夏と冬に合宿を実施しました。学習とゼミ生の親睦を深めるよい機会となりました。来年度以後も、実施できればと思います。

2025年1月15日水曜日

2024年度 後期第14回

 担当教員の相澤です。授業最終回の今日は、恒例となっている個人面談と「相澤ゼミの本棚」作りを行いました。

真剣に作業する面々。
個人面談では、一緒に今季の振り返りをしました。相澤ゼミでは、毎回一冊本を読んで発表しなければならず、こなすのはなかなか大変です。一年頑張ったゼミ生には、その頑張りと身につけた力に自信を持ってほしいと伝えました。

個人面談と並行して、ゼミ生たちは、今学期に読んだ新書の中からおすすめの一冊を選んで、POPを作りました。完成したPOPを使った「相澤ゼミの本棚」は、3月後半に開始予定です。

今季の授業は終わりましたが、課外活動という形でもう少しゼミ生の活動は続きます。最後まで、楽しみたいと思います。

完成したPOPたち。
「相澤ゼミの本棚」をお楽しみに!

2025年1月8日水曜日

2024年度 後期第13回

こんにちは、経営学部2年のMです。新年明けましておめでとうございます。今年も相澤ゼミブログをよろしくお願い致します。今回はF班の発表を紹介します。

Hさん 西岡壱誠『東大生と学ぶ語彙力』ちくまプリマー新書、2023年
 本書は、語彙力の意味とそれを身につけるために大切なこととは何かを論じています。
語彙力とは、日常生活の中での基礎であると著者はいいます。また、その学び方について、丸暗記ではなく自分で意味を理解した上で人に説明できるようにまでならなければならないとも語っています。そして、分からないことはすぐに調べるようにすべきだとも述べています。
 語彙を学ぶ中で、似たような漢字なのに意味が異なるものに出会う場合があります。
その例として「信用」と「信頼」が挙げられます。一見すると全く同じような意味に思えますが、実は全く異なるものだと筆者はいいます。「信用」は過去の客観的事実を信じることであり、「信頼」は未来の物事について信じることだと筆者は述べます。
 また、もうひとつの例として「偏在」と「遍在」が挙げられます。こちらは両方「へんざい」と読みますが、その意味は全く逆のことを示しています。「偏在」は偏って存在することであり、「遍在」は満遍なく存在することを意味しています。
 語彙をつけるためには、日常会話の中から言葉を学ぶことが大事だと筆者はいいます。私はHさんの発表を聞いて、日常の中で誤用してしまっている漢字があるかもしれないと改めて感じました。普段の生活から語彙を学ぶ姿勢を心がけたいと思います。

M 藤田政博『バイアスとは何か』ちくま新書、2021年
本書ではバイアスの定義、バイアスの例やその内容について詳しく書かれています。
 バイアスとは、認知のゆがみのことを指します。認知とは我々が五感を通して外界を認識することであり、それが我々の意識や感情によってゆがむことをバイアスといいます。
 著者によれば、バイアスの研究に大きく貢献した人が二人います。ダニエル・カーネマンとエイモス・トヴァースキーというイスラエルの心理学者です。私は彼らの研究から興味深いバイアスをふたつ紹介しました。ひとつが「プロスペクト理論」です。これは彼らの業績の中で特に有名な理論です。利益と損失から生じる感情の大きさについての研究です。例えば、今から1000円得られると思った時の喜びと、1000円失うと思った時の痛みの大きさを比べると、失う痛みの感情の方が大きくなると彼らの研究ではいいます。金銭の数値の変動は同じですが、私たち人間は既に持っているものを失うことにより大きく感情を動かすようにできています。
 もうひとつが、「代表性ヒューリスティックス」というバイアスです。私たちは合理的に適切な確率よりも、「それっぽさ」を重視してしまう傾向があります。ある事故を例にあげると、タクシー会社の車両が轢き逃げを起こしました。事故が起きた市内にはグリーンとブルーの二つの会社があり、グリーンが85%、ブルーが15%を占めています。目撃者情報によると車両はグリーンであるといい、目撃者の情報の正確性は80%だといいます。この場合多くの人は目撃者の情報を信じ、事故を起こした車両をブルーだと思ってしまいます。その前に基準となる市内のタクシー会社の占める割合を無視してしまうのです。
 バイアスを受けないようにすることは意識していてもとても難しいものですが、予めバイアスの知識を持っておくことでバイアスに惑わされにくくなるといいます。バイアスに関する知識を知ることも大切だと思いました。

今回は2人のみの発表となりましたが、生活に根ざしたジャンルが多く聞いていて興味深かったです。次回は相澤ゼミの本棚作りを行います。