2018年12月26日水曜日

2018年度 2期第12回ゼミ

 ゼミ生のNです。今期最後の授業になります。最後は、相澤先生オススメ「幸福」という題名のフランス映画見ました。

 まず映画は、恋人とその子供達が森で楽しくピクニックしているシーンから始まります。題名に相応しく「幸福」を表す場面でした。男性の名前はフランソワ、女性の名前はテレズー、2人は結婚を約束した関係です。しかし、フランソワにはテレズー以外にも愛している女性がいました。それは、郵便局で働くエミリーという女性です。家庭の仕事、子育てに追われるテレズーを他所にエミリーとの関係を深めていくフランソワ。そんなある日、テレズーは突然フランソワから浮気の事実を聞かされ、戸惑いながらもフランソワとの関係を続けると決心しました。その矢先、テレズーは命を落としてしまいます。この後、フランソワは浮気相手エミリーと結ばれ、幸せな生活を送ることになりました。そして、エミリーとフランソワと子供達が森でピクニックを楽しむシーンで映画は幕を閉じます。

 この映画は、人によって最後のエミリーとフランソワ関係性の受け取り方が大きく異なってきます。なぜなら、映画内でテレズーの死因を明確にしなかったからです。テレズーはフランソワの浮気を聞かされ、その後すぐ川で溺れて亡くなってしまいました。時系列的に考えれば、フランソワの告白を契機に自殺したと解釈できます。しかし、花束を抱えていたという目撃証言があったのです。これによって、これから自殺を図ろうとする者がわざわざ花束を持つ必要があるのかという疑問が生じ、結果、事故死の可能性が浮上してきます。まさに、このテレズーの死因が最も重要な点であり、それ次第で話全体の様相が劇的に変化してしまいます。仮にテレズーの死因が自殺だと明確にされた場合、その原因はフランソワの浮気によるものであり、エミリーとの関係はテレズーの犠牲によって成り立つ関係となってしまいます。よって、映画の最後のシーンを潔く認めることが出来ません。一方、テレズーの死因が明確な事故死の場合、テレズーの死はフランソワの浮気との関連性がなくなり、その後のフランソワの気持ちの方に話のベクトルが向いていきます。この結果、エミリーの子供達とのピクニックシーンは、テレズーの死を乗り越えた何とも感動的なシーンに生まれ変わってしまいます。このように、テレズーの死因をどのように解釈するか、それによってエミリーとフランソワの関係の見方が大きく違ってきます。

 ところで、「幸福」とは何でしょうか。なにを持ってすれば「幸福」なのでしょうか。お金でしょうか。それとも、地位や名誉でしょうか。はたまた家族でしょうか。私からすれば、それら全てが「幸福」であり、同時に「幸福」ではないと思います。「幸福」とは人の解釈の結果に過ぎないと思います。だから、現在の状況をどのように解釈するかによって「幸福」にもなりうるし、「不幸」にもなりうるのです。貧しい生活を送っていても、私自身がその生活を「幸せ」と解釈すれば「幸福」になるのです。要は、自分次第です。

 テレズーの死因をとのように解釈するか。フランソワは、テレズーの死因を事故死と解釈したように思います。だから、エミリーとの関係を悲観的に捉えなかったのです。フランソワは「幸福」になったのではありません。「幸福」になることを選択したのです。フランソワの行動に不快感を覚えるのは、テレズーの死を自殺と解釈し、「幸福」になることを諦めたからです。この映画の優れている点は、テレズーの死因を明確にしなかった所にあります。映画を見ている私達に問いているのです。テレズーの死因は自殺か事故死かと。
私達に「幸福」を掴む勇気があるのかと。


 今年も終わりですね。今年は別れが多い1年でした。よく遊ぶ友人達は皆、社会人となってなかなか会えなくなり、弟も家を出ました。いつまでも変わらないように見えて少しずつ変わっていくことを実感しています。いつも失って初めて「幸せだったな」と感じます。「幸福」って近くにあるように見えて、結構遠くにありますね。






2018年12月21日金曜日

バレエ鑑賞 『くるみ割り人形』

クリスマスムード
あふれる劇場。
 ゼミ生のRです。1216日にゼミ課外活動として、新国立劇場にて『くるみ割り人形』を鑑賞しました。劇場には大きなクリスマスツリーが飾られていて、作品鑑賞前からクリスマス気分を味わうことが出来ます。開演場所であるオペラ劇場は圧倒される広さでした。

 『くるみ割り人形』は2幕構成で公演されました。クリスマス・イブの夜、少女クララはドロッセルマイヤーからくるみ割り人形をプレゼントされます。その夜、クララは夢の中で邪悪なネズミ達に襲われてしまうのですが、そこへくるみ割り人形が助けにやってきて・・・。と、このように物語は進んでいきます。
 
 物語とダンスが見事に調和していて華やかさを存分に楽しめる公演でした。ロマンティックな演出や色鮮やかな衣装により、幻想的な雰囲気が会場一体を包み込みます。少女クララの夢の中では、クララが恋をしているドロッセルマイヤーの甥がどれだけ素敵な存在かということが、クララ目線でありありと伝わってきます。劇場に居ながら、まるでクララの夢の世界に入り込んでいるかのような感覚でした。
 
新国立劇場オペラパレス
 1幕では物語が中心に繰り広げられていきますが、2幕ではダンスの見せ場も非常に多いのでどちらも満喫出来る充実した時間が過ごせます。私は、2幕での花のワルツがとてもお気に入りです。女性ダンサー達のオレンジの衣装が踊りに合わせてひらひらと舞う様は、今思い返しても素敵なものです。

 シーズンに合わせて、それにあった作品を鑑賞しに行くというのは素晴らしい時間を過ごす一つの方法だと考えます。今回の課外活動では、クリスマス・シーズンに相応しい温かな作品を鑑賞し、満足のいく時間を過ごすことが出来ました。

2018年12月19日水曜日

2018年度2期第11回ゼミ

 ゼミ生のKです。2期第11回ゼミを行いました。今回は最初に、今後のスケジュールについての確認をしてから、相澤先生が小島毬奈『国境なき助産師が行く』(ちくまプリマー新書、2018)の紹介をしました。本書は、上下関係が厳しく自分に裁量の自由が認められない日本の医療現場に不満を抱えながら助産師をしていた筆者が、国境なき医師団に入り、様々な経験をしたことが記されているノンフィクション新書です。
 その経験の中でも特に「文化の違い」によって新たな気づきを得る筆者の様子がよく分かります。例えば、一緒に働く自分と価値観の違う人と付き合う時には、「人と過去は変えられない」という言葉を意識していたそうです。変えられないことは受け入れて生きていくしかありません。
 
 次に、相澤先生の特に印象に残った内容として、筆者が過酷な状況だった南スーダンで経験したことを紹介しました。南スーダンにはレイプなどの性被害により、妊娠してしまう女性がいるので、医師たちが体を守るために有効な避妊具を勧めるのですが、現地の女性からは拒まれてしまいます。なぜかというと南スーダンの歴史的な文化には女性が自身の意思に基づく選択をするという概念がないからでした。私は生死を分ける場面に至っても自己決定できないことに驚き、反発する気持ちは起きないのかと疑問に思いました。しかし、現地の人には当たり前のことであり自分の意思で選択した経験がないから、反発心が起こらないのではないかと相澤先生から聞き、納得できました。
 
 それから、筆者の経験をもう一つ紹介しました。経済的に貧しい国では、医師団が持っている「ペン」などが価値のあるものになります。そのため、現地の人は欲しがり、手に入れると高値で転売してしまうことがよくあります。その行為だけを見ると悪いことかもしれません。しかし、生活に苦しんでいる背景に目を向ければ、貪欲に生活を少しでも楽にしようとする行動は自然のようにも思います。そのため、私たちは人や行為を責めるよりも、その行為者を取り巻く環境に目を向けることが必要だと筆者は訴えていました。

 
 相澤先生の新書紹介が終わると、12月8日に行われたゼミ報告会の振り返りをしました。私たちのゼミの良かったところは、声の大きさ、ゆっくり話せた点、時間配分、『自由論』の読解内容、演劇鑑賞の感想内容、予想外の質問への落ち着いた対応などが挙げられました。反省点は、声の抑揚がなく強調部分が分からなかった点、具体的な研究報告の欠如、目線が原稿に行き過ぎた点、スライドの量や内容などが挙げられました。
 
 私Kは発表者でしたが、最も意識したゆっくり話すこと、前に立ってからグダグダした様子を見せないことについては、達成できたので良かったです。授業内で出た反省点を忘れずに今後に生かしていきたいと思います。また、ゼミ報告会の全体を通して、聞き手の視点に立つことと、練習、本番を重ねて得られる経験が良い発表をするために重要ななことだと分かりました。

 
 そして最後に残った時間でJ・S・ミル『自由論』(光文社、2012)の読み合わせを行いました。私が印象に残った箇所は、「ほかの人間の行動の自由に干渉するのが正当化されるのは、自衛のためである場合に限られる」という部分です。なぜなら、今の日本の法律につながる考え方だったからです。特に刑法36条第1項の正当防衛の規定にそっくりだと思いました。今につながるシンプルな原理を19世紀に生きたミルが考えていたのだと知れて、さらに本書への興味がわきました。

2018年12月14日金曜日

舞台演劇『スカイライト』

 ゼミ生のOです。先日相澤先生とゼミ生二人で蒼井優主演の『スカイライト』という演劇を新国立劇場で観劇しました。今回は、前回観劇した『ヘンリー五世』より小さい劇場でした。劇場の作りも少し変わっており、役者が演じる舞台の前後と左右にも客席がありました。例えるなら、サッカースタジアムのような作りに似ており、役者と観客との距離が近い印象を受けました。

 ロンドン中心部から離れた質素なアパートに暮らすキラ(蒼井優)。ある夜、かつての不倫相手の息子であるエドワード(葉山奨之)がやってくる。妻を亡くして以来、不安定なままの父親トム(浅野雅博)を助けてほしいと言い残し、彼は去っていく。数時間後、期せずしてトムもまたキラの元へ。三年ほど前に不倫関係が明るみになった日以来、初めて再会した二人。未だ消えぬお互いへの思い、解けない不信感・・・共有する罪の意識の間で大きく揺れ動く二人の会話は、やがてそれぞれの価値観の違いをぶつけ合う激しいものとなっていく・・・。(チラシより)

 この演劇は、登場人物が3人とかなり少ない人数でした。けれども、一人一人個性があり、また場面ごとに人物の感情が大きく変化していくのが印象的でした。舞台上では、かつて愛し合った男女による激しい言い合いから、対話へと切り替わる展開が何度も見られました。一度は歩み寄ろうとしても結局は対立に転じてしまうのは、男女の複雑な感情が絡み合っているのだと感じました。劇中では、料理を作る場面がありましたが、そこでは実際に料理を作っていたので客席にも料理の匂いがしました。劇場が小さい分、役者と観客が対話できるのがこの劇の良いところだと思います。

 『スカイライト』は一夜物語であり、最初は単純な演劇だと思っていました。しかし、一夜だからこその過去への想いや切なさがあふれ出る作品だったと感じました。

2018年12月11日火曜日

2018年度 2期第10回ゼミ


ゼミ生のOです。後期第10回目のゼミを行いました。今回は最初に相澤先生とRさんが新書紹介をした後に、128日に行われるゼミ発表の最終打ち合わせをしました。

 新書紹介では、まず相澤先生が渡邊啓貴『アメリカとヨーロッパ-揺れる同盟の80年』(中公新書、2018)を紹介しました。本書は、20世紀のヨーロッパ外交史を取り上げており、またヨーロッパとアメリカとの関係も論じられています。ヨーロッパは第一次世界大戦、第二次世界大戦で戦場となり、大きな損害を受けました。当時、荒廃したヨーロッパの復興には、アメリカ合衆国の支援(マーシャルプランなど)が必要であり、アメリカの支援なしには、ヨーロッパは立ち直れなかっただろうと言われています。しかし、アメリカからの支援により、結果としてアメリカの台頭という新しい力関係が生まれたのも事実です。

 次にRさんは川合康三『生と死のことば 中国の名言を読む』(岩波新書、2017)を紹介しました。本書は、生と死について古代中国の思想家や賢者が何を思ったのか、彼らの言葉をもとに探っています。思想家の言葉の意味は一見難しそうに思えましたが、本書では一つ一つわかりやすく解説されていたので意外に読みやすいと思います。大昔の思想家が残した言葉が現代に残る事はもちろん、その教えが現代を生きる私達にも通じる事に重みを感じました。

 新書発表の後は、128日に行われるゼミ発表会に向けて最終打ち合わせをしました。打ち合わせでは、最初にスライドを使い発表のリハーサルをしました。その後に、改善した方が良い点をゼミ生と相澤先生で出し合い、修正しました。これまで準備してきたので、以前より良くなっていると評価を頂きました。しかし、まだまだ改善していけば良くなる所も沢山指摘されたので、そこを上手く取り入れていく必要があると感じました。今日の授業で評価された事を本番でも発揮できるように練習していきたいです。

2018年12月8日土曜日

総合教育演習報告会 2018

担当教員の相澤です。12月8日に行われた総合教育演習報告会の様子を報告します。

総合教育演習報告会は総合教育演習各ゼミが発表をする集まりで毎年、この時期に開催されています。研究発表をするゼミもあれば、ゼミの紹介をするゼミもあり、内容は様々です。そこで相澤ゼミは、日々の活動を紹介することにしました。

四人のゼミ生で役割分担し、OさんとKさんが発表担当、RさんとNさんはそのサポートをすることになりました。発表準備にあたって私がしつこいくらい繰り返したのは、「自分が納得できるまで練習する」ことでした。やれるだけやった!という気持ちこそ、自信につながるからです。多くの人を目の前にする本番はどうしても緊張してしまうもの。しかし、そんな時も自信をもってしゃべることが発表の質をあげてくれます。

懇親会にて。
ここ数回のゼミの時間を使って発表の予行練習したうえで、二人で自主練を重ねて本番に臨みました。発表者の二人はしっかり練習を繰り返し、その努力を自信に変えて、堂々と発表を行うことができました。質疑応答では、まったく予想しなかった質問が出ました。その質問にも(多少の戸惑いはありつつも)きちんと答えることができました。

事前に私やRさん、Nさんが見ていたものよりもぐっとよくなった発表を本番で披露してくれて、ゼミ生一同満足のいく成果が出せました。

報告会のあとは、合同の懇親会に参加しました。相澤ゼミはその後喫茶店に移動し、スイーツで発表の緊張と疲れを癒したのでした。みなさん、おつかれさまでした。

2018年12月4日火曜日

2018年度 2期第9回ゼミ

ゼミ生のNです。今回は前半にゼミ発表会の練習、後半にミルの『自由論』の精読といったものです。

まず行ったのは、今週の土曜日に迫ったゼミ発表の練習です。資料作りも残すところ最後の意見の擦り合わせだけです。今回、私はあまり資料作りに関わらなかったのですが、発表が良いものになって欲しいと願っています。また、他のゼミの発表内容についての情報が提示され、想像以上の数のゼミが参加する事に驚きました。分野もさまざまで、身近なものから専門的なものまで幅広く、バリエーションに富んだ発表会になりそうです。楽しみですね。

後半は、ミルの『自由論』の精読です。今回は、この精読に講義の大半の時間を使いました。そのお陰で私自身、多くの学びがありました。「自由」について考える時、その「自由」が何によって「自由」と保証されるのでしょうか。私達が自由に生きる代償に、私達以外の人達の自由が犠牲になることがあります。その犠牲を正当化する手段に世論があります。しかしミルに言わせれば、その世論は所詮、多数派の利己的な感情によるもので、理性や論理性など何処にも見当たらないものです。今回の講義で1番印象的な文にこうあります。「人間はほんとうに大事に思うものについては寛容になれないのが自然…略」(p.p26)。この言葉は裏を返せば、人間は何処までも利己的な存在で、感情的な生き物だと見ている事になります。これは本当に恐ろしい洞察だと思います。現代に生きる私達は、自分とは異なる人、文化、習慣に対して頭ごなしに否定せず、理解を示すことに価値を置いています。しかしミルからすればこれらも否定されるのでしょうか。私が信じる「自由」とは、己の個性を最大限に解放出来る生き方です。さて、仮に私の個性が世論に認められないとしたら私はどのようにして「自由」を享受すれば良いのでしょうか。もう少しミルの「自由論」について学びたいですね。

以上で報告は終わりです。
今年ももう終わりです。去年の今頃は、就活の準備に明け暮れていました。あれからもう1年も経ったと思うと日の過ぎる速さに驚愕してしまいます。来年から私は社会人です。来年のこの時期の私は何をしてるのでしょうか、そんな事にブログを書きながら思いを馳せてました。