2018年12月4日火曜日

2018年度 2期第9回ゼミ

ゼミ生のNです。今回は前半にゼミ発表会の練習、後半にミルの『自由論』の精読といったものです。

まず行ったのは、今週の土曜日に迫ったゼミ発表の練習です。資料作りも残すところ最後の意見の擦り合わせだけです。今回、私はあまり資料作りに関わらなかったのですが、発表が良いものになって欲しいと願っています。また、他のゼミの発表内容についての情報が提示され、想像以上の数のゼミが参加する事に驚きました。分野もさまざまで、身近なものから専門的なものまで幅広く、バリエーションに富んだ発表会になりそうです。楽しみですね。

後半は、ミルの『自由論』の精読です。今回は、この精読に講義の大半の時間を使いました。そのお陰で私自身、多くの学びがありました。「自由」について考える時、その「自由」が何によって「自由」と保証されるのでしょうか。私達が自由に生きる代償に、私達以外の人達の自由が犠牲になることがあります。その犠牲を正当化する手段に世論があります。しかしミルに言わせれば、その世論は所詮、多数派の利己的な感情によるもので、理性や論理性など何処にも見当たらないものです。今回の講義で1番印象的な文にこうあります。「人間はほんとうに大事に思うものについては寛容になれないのが自然…略」(p.p26)。この言葉は裏を返せば、人間は何処までも利己的な存在で、感情的な生き物だと見ている事になります。これは本当に恐ろしい洞察だと思います。現代に生きる私達は、自分とは異なる人、文化、習慣に対して頭ごなしに否定せず、理解を示すことに価値を置いています。しかしミルからすればこれらも否定されるのでしょうか。私が信じる「自由」とは、己の個性を最大限に解放出来る生き方です。さて、仮に私の個性が世論に認められないとしたら私はどのようにして「自由」を享受すれば良いのでしょうか。もう少しミルの「自由論」について学びたいですね。

以上で報告は終わりです。
今年ももう終わりです。去年の今頃は、就活の準備に明け暮れていました。あれからもう1年も経ったと思うと日の過ぎる速さに驚愕してしまいます。来年から私は社会人です。来年のこの時期の私は何をしてるのでしょうか、そんな事にブログを書きながら思いを馳せてました。