2018年6月27日水曜日

2018年度 第10回ゼミ

担当教員の相澤です。今期10回目のゼミを行いました。

本ゼミは通常、各自が新書を読み、内容をゼミで紹介、他のゼミメンバーとの質疑応答を通して知識を深める活動を行っています。今回と次回は、いつもと趣向を変えて、「映画を読む」をテーマに学習を進めることにしました。映画を映像と物語から成るテキストだと捉えて、作品鑑賞を通して内容を理解し、監督の伝えようとするメッセージを正確に読み取ることを目指します。

今回題材に選んだのは、増村保造監督『妻は告白する』(大映、1961年)です。どの映画をゼミ生に鑑賞してもらうか直前まで迷ったのですが、私自身が大好きな作品を学生がどう読み解くのかを聞いてみたいという素朴な好奇心から、この作品を選びました。

この作品は、ものすごくシンプルに言うと、ヒロインが夫を殺した罪に問われる法廷劇です。50年前の日本社会を舞台にしたかなり思い愛憎劇、そして見慣れない白黒作品。学生には取っ付きにくいかと思いきや、意外にも入り込んで見てくれたようです。メモを取る手がさかんに動いていました。

私はこの作品をすでに何度も繰り返し見ていますが、見るたびに新しい発見があります。今回は、女性に課される社会規範の描き方について考えるところがありました。次回、ディスカッションを行い、皆で作品をじっくり味わいたいと思います。

2018年6月23日土曜日

2018年度第9回ゼミ

 ゼミ生のRです。
 第9回目のゼミを行いました。今回は前半に教科書『はじめよう、ロジカル・ライティング』を読み、後半にゼミ生二名の新書を紹介するという内容でした。

 まずは前半の内容についてです。前回のゼミで、意見文には「話題」「主張」「理由」の三要素と適切な「説明」が必要だと学びました。今回はそのうちの「話題」と「主張」に焦点を当てて学習を行いました。

 意見文を書く際、話題と主張はかみ合っていなければなりません。なぜなら、話題と主張がずれてしまうと、書き手が文章を書いた目的や主張が伝わりにくいものになるからです。そこで教科書によると、話題と主張をかみ合わせる為には、話題を疑問文でとらえると良いそうです。そうすることで主張が、疑問文でとらえた話題の答えとなるため、かみ合いやすくなるのです。私も文章を書く際、話題と主張がずれていったり、話題が本来の目的よりも大げさなものとなってしまうことが少なくないので、勉強になりました。

 話題の答えとなる主張は、「誰に」「何を」伝えるのかを意識し、一文で簡潔に表現することが必要です。また、主張内の「事実」と自分の「意見」を区別することも大切な要素です。これらのことを心がけることにより、読んだ相手に受け入れられやすい意見文が完成していくのです。

 次に後半の新書紹介です。最初にKさんが南野忠晴『正しいパンツのたたみ方』(岩波ジュニア新書、2011)を紹介しました。もともと英語教師であった著者は、生徒と接する中で、次第に生徒の生活の様子が気になるようになり、自らが家庭科の教員になります。本書は、そのような経歴を持つ著者が、人生において大切な知識や技術を実体験を交えて論じたものです。Kさんは特に遊びの発達段階というテーマについて紹介してくれました。著者は、人が大人になるまでに、「一人遊び」という初期の遊びの段階から、お互い同じ目的を持って遊ぶ「共同遊び」までを経験することが大切だと主張しているそうです。同じ目的を持って遊ぶということは、共通の関心事があるという意味にも繋がります。本書の遊びについての捉え方を聴いて、遊びが単なる子どもの振る舞いという枠にとどまらず、私たち大人にとっても重要な概念であること、そして人生の中で経験していくであろう家族や夫婦関係の問題解決に役立つものだということがわかりました。

 そして最後に私Rが平本一雄『臨海副都心物語 「お台場」をめぐる政治経済力学』(中公新書、2000)を紹介しました。本書は、東京都の集客空間の代表として知られている「お台場」を中心とした臨海副都心の開発の経緯を説明した本で、都市開発の実態が非常に良く伝わる内容となっています。本書からは、政治的な思惑を原因とする臨海副都心開発の問題点を知ることができました。開発に伴う問題の例として産業優先の都市開発や、同空間に進出する企業の選定が挙げられるのですが、私はこのような問題が起こる原因は、どれも計画者としての内部事情に固執し、都民の意見に耳を傾けない点にあると考えます。確かに、大規模なプロジェクトの進行にあたり、外からの意見を吸収することが簡単なことではないのは明らかです。しかし、初期段階から様々な意見に耳を傾けることを心がけないと、後々外から批判が発生することもまた明らかです。結果的に、批判を伴った問題の事後解決に割く労力の負担は、重大なものになってしまうのではないでしょうか。

 来週のゼミでは、新書に代わり、映画から物事を読みとり思考する予定です。次回もよろしくお願いします。


2018年6月13日水曜日

2018年第8回ゼミ

 ゼミ生のKです。

    第8回ゼミを行いました。今回のゼミでは、最初に、来年の春休みに行うスペインへのゼミ合宿についての確認をしました。なぜかというと、夏に行う予定だったゼミ合宿で使う旅館が満室で予約が取れず、計画変更になってしまったため、これを教訓にスペインへのゼミ合宿は早めに準備を開始しようと考えたからです。

 話し合いを終えると次に『はじめよう、ロジカル・ライティング』という教科書を使い、「意見文」について学びました。そこで、「意見文」には、「話題」「主張」「理由」の三要素に、適切な「説明」があることが、必要だと学びました。

「話題」とは、意見文の中で、「中心になって論じられている問い」のことです。ここでは注意が必要です。意見文を書いているうちに、「話題」が違う方向へ進んでしまうことがあるからです。そのため、意見文を書く際には、常に話題を意識することが重要だと、先生がおっしゃっていました。

 「主張」とは、「話題の答えとして、最も伝えたいこと」です。これがなければ意見文が始まりません。

 「理由」とは、「ある主張をするときに、なぜ自分の考えが正しいといえるかを読み手にわかりやすく伝えるためのもの」です。相手を納得させるためには、この「理由」の部分が必要不可欠です。意見文の中でも、重要なポイントだといえるでしょう。

 これらの三要素のそれぞれに適切な「説明」が加えられることで初めて、「意見文」と呼ぶことができるのです。今日学んだことは、大学でのレポートはもちろん、社会人になってからも、様々な場面で活かせることだと思うので、頭の中にしっかり入れ込みました。

    授業が後半に差し掛かった頃に、新書紹介を行いました。いつもは、ゼミ生4人全員が発表するのですが、今回は、教科書の勉強に力を入れたので、2人の発表となりました。

   1人目はNさんが萱野稔人さんの『死刑その哲学的考察』(ちくま書店、2017年)について、発表しました。この本で著者は、死刑制度について肯定派否定派両方を考察しています。その際、道徳、法制度、哲学など、様々な観点を使っているところが、特徴だと感じました。
    発表を聞いて、日本の国民の80%が死刑制度に賛成していること、そして死刑賛成の最も大きい理由が、被害者遺族の応報感情だということを知りました。確かに、自分の身内が殺されたら、その犯人が生きていることが許せないという気持ちになるだろうと思います。一方、死刑廃止の理由についてもいくつか説明されました。その中で、冤罪の人を殺してしまう可能性があると指摘されました。私は、この可能性がゼロにならない限り、死刑をしてはいけないのではないか、という考えにもなりました。
    個人的な意見にはなりますが、死刑制度について考えるときには、その死刑を執行する人がいるということも忘れてはならないと思いました。

    2人目はOさんが渡辺克義さんの『物語  ポーランドの歴史』(中公新書、2017年)について発表しました。この本は、ポーランドの度重なる国家消滅に関わる人々の「抵抗の歴史」についてが主な内容となっていました。
    発表を聞いて、長い歴史の中で、ポーランドは幾度となく敵国に攻められ大変だなと感じました。なぜポーランドが侵攻を多く受けてきたのかというと、周りにドイツやロシアなどの強国があるという立地的な面と、文化的な違いなどがあったからだということでした。それでも抵抗を続けたことには、ポーランド人の自由を求める力が大きかったからだと、説明されたので、強い民族だなと感じました。またこの本には、抵抗のための作戦なども詳しく書かれているらしいので、深く学べる本なのではないかと思いました。なおかつこの本は、ポーランドについての知識があまりない人でも、入門書として読めるものだと、本の中に記載されていました。

 最後に、相澤先生から、今後の予定などの話を聞いて、今回のゼミを終えました。今回もありがとうございました。以上です。

2018年6月6日水曜日

2018年度第7回ゼミ


ゼミ生Nです。第7回ゼミ活動の報告を行います。今回の講義内容は、新書紹介をはじめに行い、次に合宿の取り決め、最後に宿題にあった接続詞の答え合わせという流れとなります。

まず、Rさんが読んできた新書について発表を行いました。紹介した新書は、青木仁の『快適都市空間をつくる』(中公新書、2000年)です。本書の問題意識として、日本の都市、とりわけ東京が暮らしにくいのはなぜか、そしてどうすれば解決できるかというものです。著者は、東京の暮らしにくさの理由として、明治以降の産業優先による都市開発を挙げている。Rさんは著者が提案する問題解決策の内2つ紹介しました。その解決策とは、1つ目が歩くことの復権、2つ目が消費の復権です。私が簡単に説明すると、前者では歩くことを辞め自動車に代替されることによる影響、後者では従来の生産に偏った都市形成から消費に根差した都市開発に向ける重要性を主張されていました。聞いていて、時代の流れによって変化する都市の役割、再創造など興味深い内容でした。たしかに、今の東京を思い浮かべると、多くの店や飲食店が立ち並ぶ光景が目に浮かびます。それは、意図的に従来の都市の形から消費型の都市の形に変化した結果だと考えると、なんとも壮大な都市計画だと感じてしまいます。普段関心の持たなかった都市環境に目を向けようと強く感じるとともに、現在の消費型の都市から将来はどのような都市形態に変貌するのか興味がわいてきます。

次にOさんが読んできた新書について発表を行いました。紹介した新書は、『北朝鮮』という北朝鮮の情勢を取り扱った本です。発表では、オリンピックを巡る政治対決、冷戦の終結から核ミサイル開発など、現代の私たちに関わる北朝鮮問題について紹介し、馴染みやすい内容となっていました。北朝鮮が米国との対抗、交渉のカードとして核兵器を持つに至った背景や思惑など、今より北朝鮮という国の姿を知ることができました。最近、北朝鮮と米国の動きが進展し、より注意深く北朝鮮情勢に関心を持たなくてはならないように感じます。発表を聞いていて、この機会に北朝鮮について学ぼうと思いました。

次に、このブログの筆者、Nの発表です。私が紹介した本は春日武彦の『自己愛な人たち』(講談社現代新書、2012年)という新書です。内容は、様々な事例をあげ、それに対して精神科医の立場から「自己愛」について分析、解説したものとなっています。想像や説明では納得いかない他人の理解しがたい部分を感じさせられます。私たち人間は人間である以上、ある程度の「自己愛」がなくては生きていけません。ある人にとって、他人に認められることで「自己愛」を満たす者もいれば、自分の体を傷付けることによって生の実感を得て、それが結果的に自分の存在証明につながり「自己愛」を満たす者もいます。このように人間の心は一筋縄ではいかない複雑さを持ち合わせ、それぞれ共存していることを本書では感じることができます。なので読み終えた時、なんとも言えない不完全燃焼な気持ちになりました。しかし、人間の愛情を理解しようとすること自体がおこがましい行為であり、理解しがたいものこそ人間の愛情であり「自己愛」であると著者は伝えたいのだろうか。人間の愛情は理解を超える存在なのかもしれません。

最後は、Nさんが読んできた新書、飯島裕一の『健康不安社会を生きる』(岩波新書、2009年)です。新書の内容は健康に関するものです。発表では3章ある内容を簡潔に説明していました。第1章では、健康に対する定義が明確になるほど健康の体を維持する考えから不健康な部分を探す考えにシフトいく現象について、第2章では、「フードファディズム」といわれる食べ物が病気や健康に与える影響を過大評価する問題についてそれぞれ説明されました。そして、最後の第3章ではメタボの問題や運動の関わり合いなどを紹介されました。私自身、どの章の内容も興味深いと思いました。特に、第1章の健康定義の明確化によってもたらされる健康意識の変化については面白いというより不気味な印象を受けました。何かを追求し続け、最後には常軌を逸するまでに陥る、よく小説などで展開されるお話パターンです。必要以上に健康にこだわった生活習慣はどのような姿なのか覗いてみたいと思いました。

以上が新書発表の内容でした。それぞれ、異なるジャンルの新書だったので学ぶこともたくさんありました。ありがとうございます。



2018年6月1日金曜日

2018年度第6回ゼミ

ゼミ生のOです。

 第6回ゼミを行いました。今回は、各自が読んだ新書を発表した後に教科書『はじめよう、ロジカル・ライティング』を読みました。

 新書発表では、最初にNさんが堤未果『貧困大国アメリカ』(岩波書店、2008年)を紹介しました。この本は、アメリカの裏に隠された格差を医療、街、社会制度の面から論じています。アメリカと言うと、「自由な国」や「アメリカンドリーム」というイメージが強いですが、その裏には高額な医療費によって治療を受けられない人が大勢いるという医療格差の問題があります。本書によれば、この背景には、自由競争による貧困層の増加と、それに伴う財政赤字の発生があるとのことでした。報告を聞いて、充実した医療制度と財政面をうまく両立するのは、非常に難しい事だと感じました。これからの将来、高齢化が進む社会で生きる私達が、真剣に考えなければならない問題だということが伝わりました。

 次に相澤先生からは、鈴木透『スポーツ国家アメリカ 民主主義と巨大ビジネスのはざまで』(中央公論新社、2018年)を紹介しました。この本は、スポーツの歴史、実践からアメリカ社会を読み解こうとしています。誰もが平等にフェアプレー精神のもとで競い合い、楽しむはずのスポーツ。しかし、多民族国家アメリカでは、長らく黒人や女性は競技に出場すらできない事がありました。今では、日本人メジャーリーガーがいたり、多くの黒人選手も活躍していますが、スポーツの理念とは異なることが過去に平然と行われていて悲しいと感じました。今の日本大学タックル問題とも関連しますが、スポーツをする人みんなが、フェアプレー精神と敬意を持つ事が重要だと思います。

 次に私Oが、木村幹『韓国現代史』(中公新書、2008年)を紹介しました。本書は、日本統治時代を経て成立した「大韓民国」の歴代大統領の経験や体験を通して描かれています。建国してすぐに起きた朝鮮戦争(1950~)、日韓関係、国内政治、などの難しい問題に対して、時の大統領は何を考えていたのかがわかる一冊です。現在、北朝鮮との緊張関係から一転して、対話への動きを見せる朝鮮半島情勢。韓国の政治史を見ると、朝鮮戦争以降、幾度となく「対話と圧力」を繰り返してきた事がわかります。急変する国際政治を考える上では、過去の歴史に学べる事が多いということが伝わりました。

 次にRさんからは、釘原直樹『人はなぜ集団になると怠けるのか「社会的手抜き」の心理学』(中公新書、2013年)を紹介しました。この本は、集団で仕事をすることのデメリットについて書かれています。本書で語られている「社会的手抜き」とは、集団で作業を行う場合、1人当たりの努力量が低下する現象です。社会的手抜きの要因としては、自分の努力が集団全体に影響せず、一生懸命仕事をする必要が感じない事。他者が努力せず、自分だけが努力するのが馬鹿らしいと感じる事などが上げられています。私は、集団で作業をした方が効率が良いと思っていましたが、実際には集団の方が手を抜きやすい事は勉強になりました。

 最後にKさんが、髙谷清『重い障害を生きるということ』(岩波書店、2011年)を紹介しました。この本は、1960年代後半、障がい者に対する理解が不十分だった時代の著者の苦悩など、障がい者と社会とのあり方について書かれています。60年代と現代では、障がい者に対しての理解が進み、障がい者福祉が発達しています。しかし、まだまだ完璧に理解しているとは言いがたいです。長い間、障がい者福祉に立ち会った人の経験を知る事は、「人の命」について考えさせられ、良い社会を築き上げる中でのヒントになるのではないかと考えました。

 新書発表の後は、教科書を使って「つなぎの言葉」についてやりました。文章を書く中で、適切なつなぎ言葉を使わないと、後の文章との関係や意味がうまく伝わらなくなってしまうと感じました。

舞台観劇『ヘンリー五世』

 ゼミ生のKです。先日、相澤先生とゼミ生三人で新国立劇場にて、ウィリアム・シェイクスピア作の『ヘンリー五世』を観劇してきました。私は初めて新国立劇場へ行きました。正直な感想としては、オシャレで高貴な雰囲気に溢れているように感じ、少し館内に入るのを躊躇うほどでした。

終演後にぱちり。
    歴史劇の内容を簡単に説明します。『ヘンリー五世』は、イギリスとフランスの権威をかけた戦争のお話でした。主人公のハル王子が、兵士達をまとめ上げフランスに勝利を収める姿は、まさに英雄だと感じます。

    私は観劇初体験でありました。そんな私の率直な感想を書いていきたいと思います。

    まず、劇が始まって20分程経つまでは、セリフが飛んでしまったり、言葉を噛んでしまったりしたらどうするのだろう、というくだらないことを考えていました。しかし、セリフの一つ一つに迫力のある演技が続く中で、そんなことは忘れ、みるみるうちに圧倒されていきました。

    また、劇中で、フランスの貴族、イギリスの貴族、フランスのために戦う市民(兵隊)、また戦場の様子など、それぞれの場面展開がとても上手くて驚き、そして感動しました。大きく舞台セットを変えることなく、観ている私たちに臨場感を感じさせられることはすごいと思いました。

私には想像できない程の周到な準備を重ねてきたからなのだろうと思い、改めて感動しました。とても価値のある体験だと感じました。ありがとうございました。