2022年7月22日金曜日

課外活動:読売日本交響楽団演奏会

 前期最終週の金曜日に、打ち上げと懇親を兼ねて、ゼミ生9名とともに読売日本交響楽団の定期演奏会に出かけました。演奏はもちろん、会場であるサントリーホールの雰囲気も満喫しました。演目は次の三曲です。

  • エトヴェシュ:セイレーンの歌(日本初演)
  • メンデルスゾーン:ヴァイオリンとピアノのための協奏曲 ニ短調
  • ショスタコーヴィチ:交響曲第12番 ニ短調 作品112 「1917年」

サントリーホール前にて。
(撮影時のみ、マスクを外しています。)
学生たちは、事前学習として演目の歴史的な背景などを調べて参加しました。読書を通じて知識を得ることで、芸術鑑賞がより楽しくなることを実感できたでしょう。
また、終演後に感想を話し合い、他者と一緒に鑑賞する醍醐味も感じてくれたようです。

以下、参加者の感想です。

Dさん
今回のオーケストラは人生初のオーケストラ鑑賞だったため、とても楽しみにしていたが、実際鑑賞してみると期待以上の演奏で感動した。特に印象に残っているのは1曲目と2曲目だ。1曲目は怪鳥セイレーンがモチーフとなる曲で、実際に怪しげなリズムとメロディーで緊張感や切迫感といったものを感じられた。音の抑揚で、セイレーンの気配が近づいたり遠のいたりする様子を再現しており、脳裏にありありと思い浮かべることができた。
2曲目は荘厳で神聖なイメージを抱かせる曲で、西洋の城の中にいるかのような感情を抱いた。また、独奏陣のアンサンブルが始まった後も、その奥にメインであるメロディーが細やかに流れており、美しい響きを奏でていた。

Oさん
高校でオーケストラ部に所属しトロンボーンを吹いていた私にとって待望のオーケストラ鑑賞会!今回座った席は、私が大好きな低音楽器が見やすい位置だったので嬉しかった。
3曲の中で一番心に残ったのは、ショスタコーヴィチ作曲「交響曲第12番 ニ短調〈1917年〉」である。この曲はロシアの十月革命をテーマとしている。

一つ一つの楽器から出てくる音を味わいながら、次に音を出す準備をしている楽器に意識を向けて聴いてみると、発見が多く面白かった。楽器構成を詳細に知るために、高校時代、楽曲鑑賞の際必携していたスコア(全楽器の譜面が一列に書かれた小冊子)を見ながら聴きたいと思ったほどだった。
最初、コントラバスとチェロの重厚で荘厳な旋律が流れてくる。続いて細かな高音楽器が奏でていく。それに夢中になっていると、いきなり辛めのスパイスを加えるようにティンパニや銅鑼が音を響かせる。この曲は短調であるが、一音変えれば長調になりそうなのに、いつまでも短調で流れていくフレーズが続き、なにか切ないものを感じた。同フレーズが4楽章通して何回も繰り返されており、鑑賞後もずっと頭に残った。
曲中の静寂の間からクラリネット、トランペット、トロンボーンのソロが代わる代わる奏でる。その際、演奏者たちの息遣いが聞こえて感動した。それほど厳粛に静寂が保たれていたのだろう。普段、色々な音や喧騒にまみれて生活している私たちにとって、ひとつの音に耳を澄ませようとする瞬間は貴重なことなのではないだろうか。

弦楽器のピッチカート(指で弦をはじく演奏法)に惚れ惚れしながらも、やはり私は全体を下から支えるバストロンボーンやチューバといった低音楽器への熱がさらに高まった。

Uさん
エントランスホール。煌びやか!
1.しなやかな音楽
 私が見入ったのは、2曲めに演奏されたメンデレスゾーン「ヴァイオリンとピアノのための協奏曲 ニ短調」だ。指揮者アレホ・ペレスがかがんだり、大きく手を振りかぶるようにして行う指揮によって、演奏が統一されているように思える様に、目を惹きつけられた。
 指揮者のペレスと一緒に入場した、ヴァイオリン奏者の諏訪内晶子、ピアノのエフゲニ・ボジャノフに演奏前の大きな拍手に驚いた。しかしいざ演奏が始まると、2人の演奏に対する期待の拍手としては、むしろ小さいくらいだったと思うくらいだった。それほどまでに、2人の演奏が素晴らしかったのだ。

2.ピアノ演奏と身体の限界
 音楽は、「音を楽しむ」と書く。だが、幼稚園入園前から、ピアノを習っていた身からすると、音楽は音を楽しむものでは無い。
 特にピアノに関して言えば、身体の限界、指が動く限界まで、体に無理をさせて初めて演奏ができる。
 まるで、人間の体の可動域を少しずつ打ち壊すように、無理を強いる。だからこそ、音大に進む場合は、まるで修行のように幼稚園入園入る前から、ピアノに触れないと「遅い」と言われる。

 少し話が逸れた。ピアノのエフゲニ・ボジャノフに演奏に戻そう。
 既に指の動かし方を忘れて、「猫ふんじゃった」くらいしか弾けない私の、ピアノに対する思い出は、そのよう苦行じみたものだった。
 しかし、ボジャノフの手元は(A席を取って頂けたおかげで、なんと鍵盤を叩く手元の動きまで見える席だったのだ!!)まるで踊っているように見えた。
 音を楽しむかのように、手首のしなやかなスナップをきかせて、鍵盤が弾力を持ったゴムまりかのようにトントントンと運指する様子に魅力された。

3.他者と芸術鑑賞する妙味
 同時に「これぞ、ゼミみんなで観に行った醍醐味だ」と感じたのは、他のゼミメンバーの2曲目への感想だ。
 2曲目の後が、幕間だったので少しゼミメンバーと感想を話す事ができた。その際に「ゆったりとした演奏ですこし集中力が切れかけた」とコメントするゼミメンバーが複数人いた。
 確かに、私も普段はリズムの速い曲や、激しい曲が好きだ。(3曲目はそのような素敵な激しい曲だった)。
 ゼミメンバーのコメントを聞いて、「あれ、確かに普段はゆっくりした曲は眠くなるのに、なんで自分はこの曲が好きなんだろう」と小さな驚きを感じたことが、考えるきっかけとなった。
 みんなと行ったからといって、みんなと同じところで無理に「好きなところが同じだ!」と共通点探しゲームをすることだけが楽しみではない。
 他の人の感想に触発されて、「差異」から自分の好みが掘り下げられることも、他者と芸術鑑賞する妙味だと感じた。

Yさん
今回の演目で印象に残ったのは、エトヴェシュ作曲『セイレーンの歌』です。
今までオーケストラの演奏は、伝統的なクラッシックしか聞いたことがありませんでした。しかし、この曲は2020年に作曲された新しい曲で、今まで聞いたことない雰囲気に作曲者の独創性を感じました。伝統という型に囚わず、音色を敢えて崩した奏法をしたり、普段の演奏では使わない珍しい楽器を使っていたりなど、衝撃を受ける場面が何箇所もあり、楽しい一曲でした。
私は吹奏楽を長く続け、音楽と関わる時間がたくさんありましたが、まだまだ知らない世界があると気づき、もっと自分の知らない音楽に触れていきたいと思いました。非常に楽しい時間を過ごせました。

Tさん
今回、読売交響楽団コンサートを鑑賞させていただきました。あまり、このような場に参加したことがないので、とても貴重な体験になりました。普段は、K-popやJ-popなどという種類の音楽しか聴いていなかったのですが、今回、交響曲といったいつもと違った部類の曲に出会って、とてもよい経験になったと思います。新しいことに触れてみることの大切さも今回のコンサートを通して気付きました。
 僕は、指揮者をよく見ながら音楽を鑑賞していました。遠くから客観的に見てみると、指揮者のアレホ・ペレスさんが楽器を弾いている皆に指揮をしていて、楽器を弾いている皆も指揮者をよく見ていたので、指揮者の重要性というのがとてもわかりました。指揮者が正確に指示を出しているからこそ、美しい音楽が全体として完成されているのだと感じました。

Wさん
今回初めてオーケストラを鑑賞して、音の迫力に圧倒されました。1曲目のヴァイオリンとピアノのための協奏曲では、ヴァイオリンの独奏がとても美しく感動しました。2曲目のショスタコーヴィチの交響曲第12番では、多くの楽器を使用しており、圧巻でした。初めてオーケストラを鑑賞したということもあって、演奏後の拍手がとても長いことに疑問を持ちました。気になって調べてみると、素晴らしい演奏に対して、拍手を長くすることでコンサートの成功をたたえていることが分かりました。クラシックコンサートのしきたりを実際に感じることができて、良い経験ができました。他の名曲も聞いてみたいと感じました。

Zさん
今回のコンサートで鑑賞して特に印象に残っているのは、2曲目のメンデルスゾーン『ヴァイオリンとピアノのための協奏曲 二短調』である。この曲では題名にもある通り、ヴァイオリンとピアノに曲の主軸が置かれており、ヴァイオリンとピアノがそれぞれ奏でるメロディは、まるで会話をしているかのような掛け合いになっており、聞いていて堪能できた部分である。今回のコンサートはオーケストラの演奏は当然のことながら素晴らしいものだったが、コンサート会場の雰囲気も非常によく、演奏がより引き立てられたように思う。改めてコンサートを生で体感する意義を感じさせられた。

Nさん
クラシックの演奏を聴くのは数年ぶりのことで、久しぶりの体験に緊張しました。会場のサントリーホールは舞台の後ろ側にも座席があり、舞台をほぼ中心にして客席の空間が広がっていました。舞台が中心にあるため客席との距離が普段より近く、近眼の私にとってありがたいことでした。
今回の演奏会の中で、ショスタコーヴィチの交響曲第12番は印象に残っています。メンデルスゾーンのヴァイオリンとピアノの協奏曲は、独奏のヴァイオリンとピアノが織りなす細かく軽やかな演奏を心地よく聴きました。続く交響曲第12番は重々しい立ち上がりで、迫力のある銅鑼の音は座席が後ろのほうの私まで轟いていました。特に第一楽章の「革命のペトログラード」と第四楽章「人類の夜明け」は迫力があり、ロシア10月革命が帯びていただろう熱気を体験したような感覚になりました。
このような機会がないとなかなかクラシックは聴けないので、貴重な経験になったと思います。ありがとうございました。

Rさん
オーケストラを聴いたことはありますが、いわゆるプロオーケストラを聴いたのは今回が初めての経験だと思います。
今回の曲の中でも、ショスタコーヴィチの交響曲第12番は、生の楽器による力強い音を体感するのにうってつけの曲でした。打楽器の音が目立つ曲だったため、音や演奏者の動きに注目して聴いていると、打楽器の演奏が曲の雰囲気や迫力へ大きな影響を与えていることに気づきました。その他、私は楽器そのものについての詳しい知識や、楽器を聴き分ける耳を持っていないため、曲全体を楽しんで聴きました。
また、サントリーホールの雰囲気、重厚感を味わうことができたのも、なかなか経験が少なく貴重な体験でした。最近は、安くても様々な娯楽を得ることが出来ますが、少し高級な娯楽でしか得ることの出来ない、心の豊かさのようなものがあると思います。入場時に様々なコンサートのパンフレットを大量に貰ったので、ぜひ次に参加するコンサートを探してみたいです。

2022年7月13日水曜日

2022年度ゼミ 前期第13回:新書報告(C班担当)

 こんにちは。3年のRです。今回は毎週続けてきた、新書報告の前期最後の回になります。C班から全部で4冊の紹介がありました。それではご紹介していきます。

Tさん:菅屋潤壹『汗はすごい:体温、ストレス、生体のバランス戦略』(ちくま新書、2017年)

暑い季節に突入しましたが、本書は暑い環境に必ずつきまとう「汗」について、その本質や仕組みを説明した1冊です。汗そのものの成分は99%が水分で、残りの1%がアンモニアや塩素だそうです。水分が蒸発することで体が冷え、冷却効果をもたらすとのことです。暑い環境にいると、人はオーバーヒートして熱中症になってしまいます。汗は体温を下げ、熱中症を防ぐ効果があります。

また、人間は暑い環境に繰り返しいることによって「暑熱順化(熱に慣れること)」して、暑い環境でも長く生存できるようになるそうです。Tさんはこの本を読んで、サウナと暑熱順化は関係しているのではないか、夏の暑い環境でも過ごしやすくなるのではないかと考えたそうです。その他、冷や汗の存在や性別による汗の量の違いなどについても紹介がありました。

汗は人間とは切り話せない存在です。この季節にぜひ知りたい情報を得ることが出来ました。

Iさん:内山真『睡眠のはなし:快眠のためのヒント』(中公新書、2014年)

汗とともに、人間と切り離せない存在が睡眠でしょう。本書は、その睡眠についてメカニズムや関連する現象など、睡眠にまつわる様々なことを解説した1冊です。Iさんは寝付きが悪く、金縛りに遭うなど睡眠に関して困っているとのことで、改善方法が知りたいと思い、本書を選んだそうです。

発表では寝付きが悪くなる原因を2点挙げられていました。1つは温度・光・音などの外部からの刺激、もう1つは精神的理由です。精神的理由とは、脳が常に警戒する状態になっていて、リラックスできずに眠りが浅くなってしまうことを指しています。寝付けない日が続くと不眠恐怖症につながるとのことでした。対策として、ベッドや布団の上を「寝ない場所」として脳に誤った認識をさせないために、本当に眠くなるまでベッドに入らないという方法があるそうです。その他にも、夢や金縛りとレム睡眠・ノンレム睡眠の関係など、Iさんにとって役に立つ情報が多くあったそうです。

私は、わりとすぐに寝れてしまい、睡眠で困ったことはありませんが、日常生活でも重要な睡眠について向き合う良い機会となりました。

Mさん:宮武久佳『正しいコピペのすすめ:模倣、創造、著作権と私たち』(岩波ジュニア新書、2017年)

私たち大学生はコピペについて何度も注意されますが、社会においてもコピペは問題になっているそうです。コピペの問題点やコピペをしてしまう理由などをまとめた1冊です。

研究者の世界でコピペは気にかけなければならない問題です。また、大学の教員にとって、学生から提出されるレポートのコピペという問題があります。他にも近年、STAP細胞の論文不正や、東京五輪・パラリンピックのエムブレム類似問題など、コピペに関連する事象が社会的な話題となることが増えています。著者はこの理由として、類似したコンテンツを探し出す技術が向上しているためだとしています。

コピペや関連する事象が問題となる一方で、本のタイトルにある正しいコピペとして「引用」の存在を提示しています。他の人の文章をコピペしても、厳しいルールに基づいて記載すれば、問題のない正しいコピペである「引用」として認められます。

著者は、真似ること自体がタブー視される風潮があるものの、歴史を鑑みても、真似ること自体は悪いことではないとした上で、著作権の法律がプロのみに適用されていたときと変わらないために混乱が起きている。ネットの発達も鑑みて、みんなの著作権といえる仕組みが必要なのではないかと問題提起したとのことです。

私たちがレポートを書くときにも、引用とコピペの間には大きな差があると思います。その違いを改めて認識することができました。

Oさん:庵功雄『やさしい日本語:多文化共生社会へ』(岩波新書、2016年)

Oさんは、別の新書で登場した「やさしい日本語」に興味を持ち、本書を読んだそうです。

著者は日本語学の研究者で、本書では多文化共生における日本語教育の重要性や、日本の諸問題の解決策について論じています。

日本の諸問題として、両親かその一方が外国出身である人の子供、いわゆる「外国にルーツを持つ子どもたち」にとって日常生活で日本語を身につけることや日本語によるコミュニケーションが難しく、学校生活や学習に弊害がある実態が挙げられています。実際に彼らはクラスでの孤立など学校生活に問題が生じるほか、進学率も低下していて、高校の進学率も2割ほどにとどまるそうです。著者は、道具としての日本語を習得する機会がないと、自己実現を果たすことが難しくなってしまう現実があるとしています。

そのような、日本語が必ずしも得意ではない人々にも伝わりやすい日本語として「やさしい日本語」があるそうです。ルーツは、阪神淡路大震災のとき、日本語と英語でしか情報共有されず、情報を得ることが難しい人々がいたことから、考えられ始めたそうです。「やさしい日本語」の一例としては、「容器をご持参の上で中央公園にご参集ください。」を「いれるものをもって中央公園に あつまってください。」とすると理解しやすくなるとのことです。

著者は「やさしい日本語」の存在に加えて、お互い様の気持ちを持つことや先入観を取り払うことが、バイアスや偏見の解消につながり、多文化共生社会が実現できるのではないかと指摘したそうです。

私は日本語を難しい言語だと思っていますが、最低限の要素まで簡単にすることでコミュニケーションの壁が下げられるのではないかと感じました。

今回で、前期の新書報告は終了となります。前期にゼミ生が読み、全体あるいは小グループに報告した新書の冊数を数えてみると合計で130冊近くになるようです。みなさんお疲れ様でした。次回は、前期のゼミ最終回です。


2022年7月6日水曜日

2022年度ゼミ 前期第12回:新書報告(B班担当)

  こんにちは。4年のUです。あっという間に梅雨が過ぎ去り、一週間ごとに気温が上がる日々が続いています。アイスが美味しい季節ですね。皆さんはなんのアイスが好きですか?僕はピノが好きです。さて、今回はB班の新書報告を紹介していきたいと思います。

Kさん:吉野実『「廃炉」という幻想 福島第一原発、本当の物語』(光文社新書、2022年)

 本書は、新聞社勤務時代からテレビ局に転勤した現在まで長年にわたって原子力発電所について取材している著者が執筆したルポータージュです。福島県出身で原発問題を自分ごととして考えてきたKさんが紹介をしてくれました。

 2011年に、東日本大震災後に原子力発電所の事故が起きた事件は記憶に新しい人も多いのではないでしょうか。事故後に30~40年を目安に廃炉にすると政府が声明を出しました。しかし、それは事故が起きていない普通の原子炉を廃炉にするのにかかる基準だそうです。事故の起きた福島の原子力発電所の場合は、専門家の間では少なくとも100年、長いと300年かかると言われているそうです。

 私は、事故が起きて10年も経つと、原子力発電所のことを忘れかけていました。本書の紹介を聞いて、目を背けていてはいけない問題だとハッとしました。

Tさん:黒木登志夫『研究不正 科学者の捏造、改竄、盗用』(中公新書、2016年)

 先月発覚した福井大学の研究不正のニュースを見たTさんは「なぜ研究不正は起こるのか」が気になり、本書を読んだそうです。

 本書は、科学者が論文で行った不正について書かれたものです。不正を捏造、改竄、盗用という3つに分けた上で、実例の紹介から改善策の提案までなされます。

 研究不正では、聞いていても「それはバレるだろう」思うような不正の事例が紹介されていて、興味深く感じました。例えば、白いネズミに黒いネズミの皮膚を移植するはずが、黒のマジックペンで塗って「皮膚を移植した」と主張する不正が行われたことがあるそうです。

 さらに、改竄では予め立てた仮説を証明するために、実験の結果得られた都合の悪いデータが排除されることもあると言います。

 著者は不正をなくすために、研究倫理教育をおこなったり、研究室の風通しをよくしたりすることを提案しています。

 学生の私たちも、「不正なコピペなどのレポートは厳禁です」と大学1年生の頃から、耳にタコができるほど聞かされます。しかし論文の不正は研究者間でもなくなることのない点や、その不正の具体例まで知るのは、初めての機会でした。知らない世界の一端を覗いた心持ちになりました。

Hさん:原田隆之『サイコパスの真実』(ちくま新書、2018年)

 サイコパスの定義は「良心を欠いた人」と定義しています。一般人口の1~3%が該当するそうです。

 100人に1~3人もいるなんて、意外と多くの人が該当することが印象的でした。

 さらに、「サイコパスは犯罪者になるのではないか」という一般的に持たれがちな認識は意外と間違っていて、犯罪者に占めるサイコパスの割合は15%に過ぎないそうです。つまり多くのサイコパスは、そもそも犯罪に関与していません。

 サイコパスと会った時の対処法は、「できるだけ関わらず、個人的な話をしない」ことなどが挙げられます。そして、サイコパスである有名人としてスティーブ・ジョブズが紹介されています。

 報告を聞いて私は、サイコパスの割合の高さに驚かされました。さらにスティーブ・ジョブズのような著名な人間もサイコパスだと聞くと、サイコパスを少し身近に感じるようになる報告でした。

Nさん:竹下大学『日本の品種はすごい』(中公新書、2019年)

 本書はリンゴやジャガイモなど、栽培植物7種について紹介しています。

 スーパーに行くとお馴染みの男爵芋は、明治の頃に強い品種を育てようという意図で、日本に導入されたそうです。川田龍吉男爵が個人的に導入したということで「男爵芋」と命名された、興味深いエピソードが紹介されました。もともと海外の名前があったはずなのに、流通した時に名前が分からなかったことが原因だそうです。

 さらに、りんごについても、面白い紹介がありました。日本に輸入された当初はりんごの人気が不動だったといいます。しかし戦後になると、皮を簡単にむけて甘くて美味しいバナナやみかんが輸入されるようになったため、りんごの人気が下がってしまったそうです。バナナやみかんが当たり前にある時代に生まれた私にとって、印象に残りました。

 著者は新しい品種の開発によって、それ以前に主流だった歴史ある品種が忘れられることを憂いて、本書を執筆したと言います。確かに、このような魅力的な男爵芋やリンゴの人気のエピソードが忘れ去られるのは悲しいと感じました。

Sさん:武田尚子『ミルクと日本人 近代社会の「元気の源」』(中公新書、2017年)

 ミルクと福祉的関係というと、一見、関連がない言葉のように感じるのではないでしょうか。本書は、ミルクが日本でどのように一般に行き渡ってきたのかという歴史的経緯について紹介しています。

 関東大震災の後、必要な人にミルクが届かなかったことをきっかけに、震災から9日後には東京市(現東京都)にて、約60万名の乳幼児を対象に牛乳の配給がおこなわれました。

 さらに、ミルクの配給と並行して、保健所の併設が行われました。健康診断など、配給を受ける人を対象に生活をより良くするための指導も行われたそうです。一見、ミルクと健康診断は無関係に思われますが、配給に参加するのは、主に貧困者が多かったことから貧困者支援の役割も果たされたそうです。

 文明開花で牛鍋などと同時に導入された当初は、牛乳に対して「こんな臭いもの、誰が飲むんだ」という反応も存在したそうです。しかし栄養価の高さゆえに、次第に広まっていったそうです。歴史の流れを知ることができる、貴重な発表でした。

 今回の新書報告で紹介されたのは以上の5冊です。来週に控えているC班の新書報告も楽しみです。前期最後の新書報告となります。皆さん、お疲れ様でした。