2021年6月9日水曜日

2021年度前期第8回:グループワーク「作品を鑑賞するとはどういうことか」

 こんにちは。ゼミ生2年のYです。最近、ぐっと暑くなってきましたね。ブログを書いている現在の私の部屋の気温は32℃です。暑すぎます。これからもっと気温が上がっていきますから、皆さんも水分をこまめに補給して、体調に気をつけて生活していきましょう!

さて、第8回目のゼミは、グループワークを行いました。グループワークのテーマは「作品を鑑賞するとはどういうことか」です。授業前に各自で次のネット記事を読み、課題に取り組んでから授業に臨みました。先生から指示された課題記事はこちらです。稲田豊史「「映画を早送りで観る人たち」の出現が示す、恐ろしい未来」

今回のブログでは、このグループワークの中でどのようなことを話し合ったのか、そしてどのような意見が出てきたのかを紹介していきます。

最初に、記事から読み取れる「作品鑑賞とはどのようなものか」をゼミ生と確認しました。近年、「再生速度調整機能」や「10秒飛ばし、10秒戻し」が導入されている動画配信サービスが増えています。この記事は、この機能の登場によって、作品鑑賞の在り方が「作品を倍速にして観ること。また、自分の気になる展開のみを観て、その瞬間の娯楽を楽しむこと」になったと指摘しています。広辞苑によると、鑑賞とは「芸術作品を理解し、味わうこと」と定義されています。この定義を踏まえると、現代の鑑賞に対する考え方が本来のものから大きく変化していることが分かります。

次に、「なぜそのような仕方で作品鑑賞されるのか」を確認しました。記事では端的に「まだるっこしいから」と書かれていました。年代問わず、このように思ったことがある人は多いと思います。このように考えられるようになった背景が3点紹介されていたので一つずつ見ていきましょう。

わざわざ出かけて作品を鑑賞することは、
とてもコスパが「悪い」かもしれません。
しかし、映画館にしろ美術館にしろ劇場にしろ
行ったからこそ体験できることがあります。
コロナ禍が落ち着いたら、ゼミ生と出かけて
作品を鑑賞する機会を作りたいと思います。
写真は熱海のMOA美術館。このロケーション!

①映像作品の供給過多:現在では、多くの映像作品を、安い価格で視聴できるようになりました。しかし、あまりにも観られる作品が多いため、膨大な量の映像作品を視聴するのにはいくら時間があっても足りないのが現状です。そのため、少ない時間で作品を鑑賞できることが求められていると考えられます。

②「コスパ」を求めるようになった:作品を「速く」「効率的に」観たいという「時間的コスパ」を追求する人が増えています。また、最近の若い人は、短時間で何かのエキスパートになりたいと考える傾向にあるそうです。とにかく無駄を省き、回り道をしたくないと感じている人が多いと記事は論じています。

③すべてをセリフで説明する作品が増えた:これは、自分の状況や描写をセリフで丁寧に説明する映像作品が増えている事態を表しています。登場人物の表情や風景から読み取れるものをセリフにしてわかりやすくすることで、セリフのないシーンを飛ばしてもよいという発想が生まれるのだと著者は考察しています。

このような背景が挙げられていましたが、皆さんはどう思いますか?私は特に、①と②に共感しました。限られた時間の中で自分の気になる映像作品を観ようとすると、どうしても時間が足りません。また、一度映像を観始めると続きが気になるので、早く物語の展開を知りたいという気持ちに駆られます。そのため、倍速機能を使って映像作品を観ることが増えたのだと私も思いました。③は、言われてみると確かにそうかもしれないと感じました。私自身、映像を観ていなくてもセリフを聞いていれば登場人物の感情や場面が分かる作品を多く観ていることに気がつきました。

そして、3つ目の背景を説明した「謎に包まれたものを喜ぶ人が少なくなってきている」という文章に注目したゼミ生がいました。そこから「謎は謎のままでよいのか」、「謎を楽しむとはどのようなことなのか」が議論となり、盛り上がったので紹介します。

「歌詞は抽象的なものが多く、歌詞の意味の受け取り方は人それぞれで正解がない。ここにも、謎であるからこその面白さがあるのではないか。」

「ドラマなどの最後に、その後がどうなっているかわからない状態で終わることがある。

その先は視聴者一人一人の想像に任せるような謎を残すことで、ストーリーに幅を持たせている。だからこそ、謎があったほうが面白いのではないか。」

「芸術作品は、説明されすぎていない、わからないからこその美しさがあるのではないか。作者は、何かに影響を受けて作品を作ると思うが、それがすべて説明されて理解できてしまえば、美しさはなくなってしまうだろう。」

といった意見が挙げられました。ディスカッションを通じて、これらの意見には「解釈の余地を残す」という共通点があることに気がつきました。確かに、わからないことを想像して自分なりの展開を作るのは楽しいですよね。「謎」について色々な意見を聞くことで、新たな発見になりました。それぞれが自分なりの考察を深めることのできた、とても有意義な議論となりました。

最後に、「自分自身にとって作品を楽しむ・鑑賞するとはどういうことか」を共有しました。これも、人によって全然違う考え方をしていて、自分にはなかった発想を知ることができました。

私にとって鑑賞とは「何度も作品を観返し、自分なりの考察を深めるもの」です。繰り返し味わうことで、一度鑑賞しただけでは理解できなかった表現の意味や感情の変化などをより深く読み取ることができます。また、作品に触れた年齢や自分の置かれている状況によって、同じ作品を鑑賞したとしても全然違う印象を受けることもあります。作品を通して自分と真剣に向き合うことができるような味わい深い作品に出合えた時は本当に幸せだと感じます。


写真は、彫刻の森美術館の作品。現代美術は
「鑑賞」しがいがあります。(相澤)
他のゼミ生からは、「作品の物語のみを楽しむこと」、「間の取り方のような構成を楽しむこと」、「作品を飛ばしながら見ることも楽しみのひとつだ」という意見も出ました。また、「映画館や美術館のような鑑賞するための場所に行くこと」、「意見を共有して新たな価値観に触れること」、「歴史的背景を知ること」など、作品から読み取ること以外からも鑑賞の楽しみを見出している人がいて、とても興味深かったです。ブログを読んでくださった皆さんは「鑑賞」をどのように楽しんでいますか?この記事が考えるきっかけになったら嬉しいです。

今回は、初めてゼミでグループワークを行いました。新書報告だけでは話すことのできなかったゼミ生と交流し、人柄や性格を知ることができ、非常に楽しい時間になりました。残念ながら、緊急事態宣言によりZoomでの授業となりましたが、機会があれば、今度は対面授業でグループワークをやりたいです!

来週のゼミも新書報告はお休みで「歌詞の解釈」をする予定です。どんな歌詞を扱うのかはまだ知らされていないので今からとても楽しみです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。また、来週の相澤ゼミのブログでお目にかかりましょう。以上、Yでした。