2019年7月27日土曜日

演劇鑑賞:骨と十字架

ゼミ生のNです。金曜日に引き続き、今日は新国立劇場にて演劇を鑑賞してきました。演目は「骨と十字架」です。



この物語は古生物学者であり人間の進化について研究しているテイヤールを主人公に進んでいきます。テイヤールは進化論を主張することにより北京へと左遷されることになります。しかし、このことが北京原人の発見につながり彼にとって大きな出来事となります。信仰と学問、衝突する二つのはざまで人はどのように振舞うのか演じられていました。
特に印象的であったのが、主人公が北京原人の頭蓋骨を発見しそれによって、バチカンの担当者と言い争いをした後に「神の身許に」と言ったシーンです。私にはこの言葉の意味が純粋にこの発見の解釈を神の判断にゆだねるという意味なのか、それとも自ら命を絶つという意味なのかは結論が出ませんでした。皆さんはどう考えますか?ぜひ考えてみてください。

私はこの演劇を見て思ったのは教会と科学の関係についてです。キリスト教においては、一般的に神が人間を作ったことになっています。しかし、科学的には人間は猿から進化し、そこに神が介在しないことはわかっていることです。そして、このことはさらなる科学の発展によってより強固なものになるでしょう。しかし、キリスト教は神が人間を作ったという教えを信じています。この矛盾をキリスト教はどのように説明するのでしょうか。非常に気になります。