担当教員の相澤です。今日はF班の新書報告を行う...はずだったのですが、体調不良者が続出。r履修者12人中4人しか出席者がいませんでした。そこで、今日は予定を変更し、参加者4人と私で、読んできた新書についてのんびりおしゃべりをしました。
担当教員として考えているゼミの目標(の一つ)は、本をネタに話すのは楽しい!と実感してもらうことなのですが、今日はそういう内容にできた気がします。
実は私も今日は体調絶不調でした。来週はみんな元気になって、賑やかなゼミになりますように。
グループワークを通して読書の仕方を学び、自己表現能力(書く力・話す力)を高めるゼミです。
担当教員の相澤です。今日はF班の新書報告を行う...はずだったのですが、体調不良者が続出。r履修者12人中4人しか出席者がいませんでした。そこで、今日は予定を変更し、参加者4人と私で、読んできた新書についてのんびりおしゃべりをしました。
担当教員として考えているゼミの目標(の一つ)は、本をネタに話すのは楽しい!と実感してもらうことなのですが、今日はそういう内容にできた気がします。
実は私も今日は体調絶不調でした。来週はみんな元気になって、賑やかなゼミになりますように。
こんにちは。経営学部2年のS•Yです。早くも吐息が白く見えるようになったりならなかったりする日々です。ふとしたときに指が冷たくなっているのに気づくと、スマホを打つ指やペンを握っている手が遅く感じます。後期第9回目の授業では、前半に前回鑑賞した『幸福』の考察や解釈を話し合いました。後半では、12/13のゼミ報告会に向けた準備として、役割ごとに途中経過を報告しました。
まず、『幸福』という映画についてですが、1965年のフランス映画です。幸福と書いて「しあわせ」と読むそうです。本作は、相澤先生が何度も見るほど好きな作品だそうです。(気になる人は本作を見ましょう。)3つの班に分かれて、「この映画の持つメッセージ」と「タイトルとメッセージの関係」の2つを考察しました。
1つ目の班は、前者は「男は刺激を求め、女は精神的な安定を求める」、後者は「幸せは人によって違う」と解釈していました。本作で見られる「幸福(しあわせ)」とは自分が幸せであるならいいというものだと感じたそうです。
2つ目の班は、前者は「俯瞰してみた幸せは醜い。婚約者は幸せの構成要素なら代替可能。」、後者は「幸福というのは解像度を上げれば上げるほど醜く見えることもある」と解釈していました。幸せとは二元的なものではなく、多元的なものだと感じたのかもしれません。
3つ目の班は、前者は「男女間の幸福の違い」、後者は「幸せなんて重く考えるものではない」と考察していました。映画の冒頭のピクニックと終幕ピクニックから対比を感じたそうです。
今回の授業で映画の考察を語り合う中で自分の感じたことをより言語化できました。また、相澤先生は『幸福(しあわせ)』を何回も見ていると仰っていて、初めは何回も見る気持ちが分かりませんでした。しかし、今回の考察をしていて、何度も見るたびに自分の考察が異なるようなメッセージ性の強い作品は何回見ても面白いかもしれないと思いました。
後半のゼミ報告会の途中報告では、ポスター作成班とスライド発表班の途中報告を行いました。
作成班のポスターを見て、皆でどの要素が必要か、見やすさなどについて話し合いました。本のイメージのあるデザインや、水曜2限であることを書くなど、よりポスターのイメージが固まってきたように感じました。
スライド発表班の報告では、昨年のスライドとの違い、入れて欲しい情報や流れについて議論しました。文字をより大きくし、新書報告の風景も入れるとよりゼミの報告に相応しくなるなど改善の余地が見えてきました。
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次回は、F班の新書報告です。
担当教員の相澤です。今日のゼミではみんなで映画を一本鑑賞しました。来週は、「映画を読む」と題して、映画作品を味わうグループワークを行います。今週はその準備段階にあたります。
鑑賞した作品は、アニエス・ヴァルダ監督作品「幸福」(1965年、フランス)です。私はこの作品が大好きで、何度も何度も見ていますが、何度見ても作品を理解できた気がしないのです。(内容を描写することは避けますが)映画の内容とタイトルはとても矛盾しているように思われます。監督は、一体どのようなメッセージを鑑賞者に伝えようとしているのか。グループワークでは、私の長年の疑問を学生たちに考察してもらおうと思います。
今回、学生たちには鑑賞しながら印象に残ったシーンをメモしてもらいました。それを踏まえて次回はグループワークで映画を解読していきます。
こんにちは。経営学部3年のSです。
すっかり寒くなり、温かい食べ物が恋しくなる季節となりました。先日、凍えながら食べたおでんが絶品でした。また、インフルエンザが流行っていますので、体調にはお気をつけてお過ごしください。さて、今回はE班による新書報告です。
Kさん:増田隆一『ヒトとヒグマ』岩波新書、2025年
本書は、近頃ニュースでも取り上げられるクマについて、その生態や人間生活との関係について考察した一冊です危険な動物としてのイメージが強いクマですが、歴史的に見ると信仰の対象として敬われてきた点には驚きました。
まず、クマは餌の少ない冬に冬眠を行います。そして冬を超えると、また地上へ出てきます。この一連の行動を昔の人々は死から蘇ったと認識しました。クマをカムイ(神)として扱いました。崇拝方法は地域によって違いがあり、アイヌでは儀礼、ヨーロッパでは祭りを行いクマを崇めていました。
他にも、人的被害を減らすためにクマの個体特定が必要です。そのために、AIによる顔認証や唾液による特定などが期待されています。
この報告を聞いて、このようにクマを単なる害獣として見るのではなく、歴史的な関係や文化を踏まえて理解することの大切さを理解できました。クマ被害が増える中、それでも駆除しづらい現状の背景が見えた気がしました。
Hさん:野口恵子『失礼な敬語』光文社新書、2013年
本書は、フランス文学者であり、人間の言葉について考察している著者が、敬語の使い方や正しい意味、敬語を惰性で使っていないかについて解説した一冊です。Hさんは敬語の中でも「〜させていただく」に着目して、報告してくれました。
「〜させていただく」には二つの意味があります。一つ目は、「訪問させていただいてもよろしいでしょう」といった表現に使われる、相手への恩恵や感謝を伝える意。二つ目は、「会社をやめさせていただいてもよろしいでしょうか」といった表現に使われる、自己主張の意味があります。このように、同じさせていただくでも場面や使い方によって異なる意味になることがあります。
また、「送金させていただきます」や、「卒業させていただきます」のように無用な敬語も存在します。これは、「送金しました」で伝わる言葉を敬語を使いたいという思いから、意味のない「させていただきます」を使ってしまう例です。
この報告をきいて、普段なにげなく使っている敬語でも、意味や場面を間違えると失礼になってしまうことを改めて実感しました。相手との関係や状況に応じて使い分けることの大切さを感じました。私は現在就職活動中なので、吸収できるものが多い発表でした。
Sさん:田中修『雑草散策』中公新書、2025年
本書は、植物生理学を専攻している筆者が、雑草の季節ごと違いや生存戦略をまとめた一です。Sさんは雑草の例として、どくだみとススキを紹介していました。
まず、どくだみは特殊な匂いを発することで知られています。そんなどくだみの漢字表記には二つの説があります。一つ目は特殊な匂いを毒とし、その毒をためているという説から「毒留」。二つ目はどくだみの殺菌作用により、毒を清める効果から「毒矯」と表記する説です。また、どくだみの匂いには虫から食べられないようにしたり、病原菌からドクダミ自体を守る効果もあります。
次に、ススキを見てみましょう。ススキは葉にケイ酸をためていて、そのケイ酸により葉を硬くしています。その硬さは葉で手が切れるほどです。そんなススキは、枯れた後も地中にのこり、これがプラントオパールとよばれる物に変化し、宝石と呼ばれています。このプラントオパールをみれば、ススキの年代も分析できます。
この報告を聞いて、このような普段気にすることのない雑草に目を向けることで、Sさんは散歩が楽しくなると言っていました。私もただ歩くのではなく、この発表を思い出して、日常に隠れている雑草に目を向けたいと感じました。また、私は野菜が好きなので、食べることのできる雑草を探してみたいです。
Iさん;宮下紘『プライバシーという権利-個人情報はなぜ守られるべきか』岩波新書、2021年
本書は、現代社会で度々問題となっている個人情報について、その危険性や現代技術との関係、制度について解説した本です。
Iさんはまず、ナチスドイツによる国勢調査を、個人情報の危険性例として挙げていました。些細な情報が積み重なることでユダヤ人を特定する材料となり、大虐殺へとつながってしまった歴史があります。これは、個人情報が権力によって使用されてしまう危険性があることを表しています。
個人情報にはどこまでが保護されるべき情報なのかを明確にする必要があります。本書では、「公然と知られてはならないこと」が保護対象となるとしています。また、必要以上に個人情報を管理しすぎると、面会ができない、緊急時には、支援が届かないといった事態が起きる場合があります。緊急時には生命の保護を優先することが大切です。
この報告を聞いて、個人情報を守ることは、ただのプライベートの問題ではなく、人権や歴史的な問題とも深く関係していることに驚きました。個人情報は自分の情報すべてであり、プライバシーは自分の知られたくない情報です。この違いを知れたことで、自分の中で曖昧だったものがハッキリしました。
今回の発表は、比較的新しく発行された本が多くありました。内容もタイムリーな話題であふれ、より知識を深めることができました。さて、今学期の新書報告も残り1回となりました。私自身、1年間取り組んできて、読書スピードが上がり、自己表現能力に自信がつきました。最後の新書報告でも、聞き手が何か一つ賢くなる発表を意識して臨みたいと思います。
と書きましたが、次回は映画を鑑賞します。
現代法学部3年のIです。11月に入り、葵祭も無事に終わり授業が再開しました。葵祭では、所属する学生団体の出店に参加したり屋台を回ったりして、とても充実した葵祭期間を過ごせたと思います。
後期6回目は、前半に先生指定の本をもとにしたグループワークを、後半にゼミ報告会に向けた話し合いを行いました。今回指定された本は、友原章典『実践幸福学―科学はいかに「幸せ」を証明するか』(NHK出版新書、2020年)です。まず2つのグループに分かれて気になった所や役立ちそうな知見について話し合い、最終的に全体で情報共有を行いました。最終的に出た意見は以下のようになります。
1つ目は、人生の生活満足度は年齢を横軸にとったグラフで見ると、Uの字になっていることです。20代〜30代では生活の満足度がガクッと下がりますが、中年~高齢者になっていくにつれて生活の満足度は上がっていきます。これは定年になり仕事をやめて生活に余裕ができることで、生活に満足を感じやすい人が増えていくことが考えられます。
2つ目は、幸福になるには物質にお金を費やすよりも自分自身や他人にお金を使ったほうがよいということです。Sさんは普段、物に対してお金を使いがちで、ライブなど自分の満足感に対してお金を使う気持ちがわからないと発言していました。実質的に幸福感を得るには個人に投資し、自己研鑽をしたほうが身のためにはなりますが、私も物にお金を使いがちなのでSさんの意見には共感しました。
3つ目に、カップルが長続きする秘訣として、ポジティブな発言を言い合うということが挙げられていました。これはカップルでなくとも人付き合いをする上でも重要なのではないかとKさんが発言していました。
4つ目に、幸福になるためにはネガティブでも大丈夫であるということです。ネガティブであることは必ずしも悪い側面ではなく、その人自身の個性でもあります。ネガティブな個性を意識しすぎてしまうと幸福度は下がっていってしまうそうです。
大切なのはネガティブを受け入れることで、この方法をアフォメーションといいます。そうすることによって心に余裕ができるため、周りにもポジティブな発言ができると論じられていました。
特に私が気になった点はお金が全てではないということです。お金を稼ぐことはもちろん生きていく上で重要な要素ではあります。例えばお金に関して幸福を感じる要素としては所得の他人や、世間との差などがあります。しかし、幸福になるためにはさほど重要ではないそうです。
私は本書を読んで大切なのはお金の使い方であると感じました。全体の意見交換の場でも挙がりましたが、他人に対してお金を使うという行為が非常に重要であると感じました。募金などの他人に対してお金を使うという行為は心の余裕を生み、その心の余裕が自身の幸福にも繋がるのではないかと感じました。
本書は様々な切り口から幸福になるための知見が論じられており、自身の考え方を見直すきっかけにもなりました。
後半は12月のゼミ報告会についての話し合いを行いました。相澤ゼミでは研究報告の代わりにゼミの活動についての報告を行います。今回は去年ゼミ報告に参加した人はチラシを作る担当になり、今年新たにゼミに入った人がゼミ報告を担当することになりました。今回決まったのは報告会の発表構成についてです。
① 人員構成 ②本の紹介(2冊ほど) ③前期の予定 ④合宿 ⑤まとめ
以上の構成でゼミ報告のスライドを作ることになりました。報告スライド、チラシ案は11月26日のゼミで検討することになっています。
ゼミ報告会に関して私は初参加なので全くイメージが湧いていませんが、相澤ゼミの魅力をより多く伝えたいと思っています
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次回はE班による新書報告になります。
こんにちは。経営学部4年のCです。10月下旬であっという間に寒くなり、冬を感じさせる季節となりました。皆さん、季節の変わり目にはくれぐれも体調をお気をつけください。ちなみに、個人的な話になりますが、秋服を揃えたのに直ぐに冬が来てしまったことにショックを感じています。衣替えの季節でもありますが、皆さん暖かい格好をしてお過ごしください。
さて、今回はD班による後期2回目の新書報告です。
Eさん:三宅香帆『「話が面白い人」は何をどう読んでいるのか』新潮新書、2025年
本書は、話が面白い人の会話の技術とそれを活かした著者のエピソードトークで構成されています。
まず、タイトルにもある通り、『「話が面白い人」は何をどう読んでいるのか』について著者は5つの観点を提示してくれました。その5つとは、比較、抽象、発見、流行、不易です。「比較」は作品と他の作品の比べることで、「抽象」はテーマを言葉にすることを指しています。言語化すると言った方が分かりやすいかもしれません。また、「発見」は作品において新たな発見をすること、「流行」は時代の共通点を見つけることを指しています。最後に、「不易」は普遍的テーマとして語ることを指していますが、具体的にはあるジャンルの作品(映画など)を観ていると、ある程度展開が読めてくるそうです。ですので、作品におけるテーマの共通点は何かと考察することが挙げられます。
また、著者は「作り手が何を伝えようとしていたのか」を考えるための鑑賞ノートを作ることをオススメしていました。自分の解釈を通すことで、同じ作品を二度楽しめるようになるそうです。
報告を聞いて私は、『「話が面白い人」は何をどう読んでいるのか』の回答として、話し手の喋り方よりも感じ方に焦点を当てている内容だと思いました。確かに、「何をどう話しているのか」ではなく、「何をどう読んでいるのか」というタイトルですので、作品における感じ方、考え方の技術を学ぶものだと納得できました。また、鑑賞ノートはこれから実際に行ってみたいと思いました。
Yさん:伊藤公一郎『データ分析の力 因果関係に迫る思考法』光文社新書、2017年
本書は、データ分析の手法と思考法に関する内容となっています。
その中で、相関関係を因果関係のごとく報道するニュースや操作されたデータに惑わされないように、データ分析は詳しく理解する必要があると著者は述べていました。
また、具体的なデータ手法としてRCT(ランダム化比較試験)があります。RCTとはその名の通り、ランダムにデータを抽出しその平均を求めることを指します。
このデータ手法を行う前提として、同じ時間、タイミングで二つの検証はできないことが挙げられます。(実際は、一つの実験を行ってから時間を巻き戻して別の実験をするのが理想的ではあるか事実上不可能です)
その故に、ランダムにデータを抽出し平均を算出することでより正確なデータを得ようとしています。ただ、問題点としてお金と手間がかかることが挙げられるそうです。
このコストがかかる問題点を解決するために生まれたのが、RDデザインという手法です。
RDデザインは、場を用意するのではなく、用意された場で実験を行うことを指します。これにより、自然に場が用意されているのでお金や手間をかけずに検証を行うことが可能になります。しかし、問題点としてランダムではないので反論の余地は残されているそうです。
発表では二つのデータ分析を挙げていましたが、データは簡単に信用してはいけないと著者は述べていました。
報告を聞いて、相関関係と因果関係の話は私自身気をつけなければならないと感じました。例えば、頭が良い人は勉強を沢山しているかについて考えてみると、確かに勉強量と学力は比例しているように見えます。しかしながら、実際はその勉強量を実現するために親の経済力や周りの環境が重要である可能性があると思いました。
相関関係を因果関係のように解釈してしまうことは、一見すると根拠のあるように見えますが、実は偏見なのかもしれないと私自身気付かされる発表でした。
Cさん(私)の報告:笹原宏之『謎の漢字』中公新書、2017年
本書は謎の漢字について研究された本です。パソコンやスマホの電子機器で打つことのできる漢字は全てJIS漢字に登録されています。このJIS漢字を詳しく調べてみるとどこで使うか分からないような漢字も存在します。ではなぜ、このような漢字がJIS漢字に登録されているのか、本書の第一章ではそれを解説しています。
「嫐」という漢字は「うわなり」と読みますが、この漢字はなぜJIS漢字に登録されているのでしょうか。
その理由は、ある地名に使われているからです。熊本県にある「嫐迫(わなんざこ)」に使用されているそうです。この「わなん」という読みは「うわなり」が訛って、誕生した読みでこの地名以外に使用された用途はありません。
このように、ほとんどの謎めいた漢字はある地名で使われているからこそ、文字化けしないようにJIS漢字に登録されているそうです。
本書を読んで私は、漢字は調べれば調べるほど奥が深いと感じました。本書では幽霊文字や方言漢字、則天文字も取り上げていましたが、流石に漢字自体の歴史が深いだけあって情報がいつまでも完結しない実感がありました。
しかし、学びがいがあるコンテンツなので、私からもオススメします。余談ですが、漢字が好きな人は「漢字でGO」というゲームがあるので、そちらも併せてやってみてください。
次回は「みんなで同じ本を読む回」になります。
こんにちは。現代法学部4年のTです。少しずつ肌寒い季節になってきました。近年は秋が短いと言われがちですが、今年は少し長めの秋を感じられるのではないでしょうか。この季節感が少しでも長く続いてほしいと思うところです。さて、今回はF班による新書報告です。
Sさん:島宗理『人は、なぜ約束の時間に遅れるのか 素朴な疑問から考える「行動の原因」』光文社新書、2010年
本書は、人がなぜ遅刻するのかという素朴な疑問を起点に、行動分析学の視点から人間の行動の本質に迫る一冊です。著者は、遅刻の原因を一般的に言われる「性格」や「だらしなさ」として片付けるのではなく、先行事象と後続事象という行動分析学の枠組みで捉えるべきだと主張しています。
「約束の時間に遅れる」という行動を例に取ると、寝坊した、寄り道したといったものが先行事象に当たり、その結果怒られた、特に何も起こらなかったといったものが後続事象に当たります。先行事象を深掘りすると習慣化に辿り着きます。遅刻の常習犯は遅刻自体が習慣化しているとのことでした。特に遅刻した結果怒られるといったマイナスな後続事象が起きない場合は習慣化しやすいそうです。遅刻する人に対して怒らないのは、そうした遅刻の習慣化を誘発してしまうことになりかねず、注意すべきという指摘がありました。当の本人が遅刻癖を直すためには、遅刻しない習慣をつけるべきだそうです。例えば、遅刻の原因が寝坊である場合は、朝起きるのが楽しみになるようにするといったポジティブな動機付けが効果的だそうです。
この報告を聞いて、私自身は、やはり性格やだらしなさも遅刻の原因と言えるのではないかという疑問を抱きました。遅刻の常習犯は遅刻という行動自体が習慣になっているとの話でした。これは遅刻程度では罪悪感を覚えない性格であるとも解釈できると思います。
しかし、行動分析学の視点は、原因を内面的な資質に帰するのではなく、「寝坊」や「夜更かし」といった具体的な先行事象に焦点を当てています。そしてそれを変えるための行動療法に結びつけている点で、実践的だとは感じました。性格そのものを変えるのは難しいですが、習慣を変えることは可能です。遅刻の原因が「先行事象」にあるとするこの考え方は、「遅刻癖を直す具体的なステップ」を提示してくれる点で有意義な報告でした。
自分(T)の報告:池上正樹氏『ルポ ひきこもり未満 レールから外れた人たち』集英社新書、2018年
本書は、引きこもり当事者、その一歩手前まで追い詰められた人達、そして引きこもりと就労を繰り返す人たちの取材を通じて、家庭環境、支援のあり方、社会制度の構造的な問題を明らかにする一冊です。
著者は、引きこもりの大きな原因として家庭環境の悪さを挙げています。取材を受けた方の多くは、家庭環境や経済状況に問題を抱えていたそうです。また、家庭環境が悪い子どもたちはいじめに遭いやすく、学校生活で十分なコミュニケーションを取れないために、平均的なコミュニケーション能力を身につけられない傾向にあるそうです。そのため、就職活動で行き詰まるケースが多いとのことでした。
ここで、本書で取り上げられた引きこもり当事者Aさんのケースを紹介します。
Aさんは、機能不全家族(ネグレクト・精神的虐待)で育ち、中学生時代は神経症により不登校、高校も中退と大変な学生時代を送ります。その後、アルバイト・派遣社員としての生活を繰り返すも、リーマンショックでの解雇を機に生活保護受給者となります。彼の人生を振り返ると、幼少期の家庭環境が人生に与える決定的な影響が大きいとわかります。
また、Aさんは30代~50代の稼働世代に対する社会的な孤立防止や再就職支援の仕組みが不足していると訴えています。当時の引きこもり支援は「子ども・若者育成支援推進法」が法的根拠とされ、支援のゴールは「就労」とされ「39歳以下の若者就労支援」に重きを置いていました。しかし、本書で取り上げられた人の多くが40歳以上であり、相談に行っても「支援の対象外」と突き放されたそうです。
Aさんは次のように語っています。「どうして線を引いちゃうんだろう?支援側の都合で決めた対象に当てはまる人だけが利用できる。39歳と40歳の間で、人として何が違ってくるのだろうか?」この語りは、行政の縦割りや画一的なルールが、本当に支援を必要とする人々を切り捨てている現状を象徴しており、非常に印象的でした。
本書はかなりヘビーな内容となっており、SNSでキラキラとした生活が目に入りやすい分、現実に起こるこうした問題とのギャップに、読んでいて息がつまる感覚を覚えました。
仕事を失い、貯金を食い潰し、家賃すら払えなくなる人達の中には、住む家がないことを理由に採用を断られ、仕事が決まっていないことを理由に賃貸契約を断られるという、まさに八方塞がりの状態に陥っているケースがあります。もちろん、生活保護受給者として生きていくことはできるでしょう。しかし、生活保護の受給率は貧困層の数と比べたとき明らかに少ないのが現状です。生活保護を受給することへ抵抗感だけでなく、本来使えるはずの人たちに十分な情報が届けられていないのではないかと思います。また、相談に行っても突き放されたり、下に見られたりすることもあり、足が向かなくなるケースも考えられます。
Aさんも語るように、本来こうした制度は困っている人がシンプルに使えるようになるべきです。もちろん不正受給といった問題も起こる得るでしょう。しかし、そちらに気を取られて受給すべき人が受給できなくなっていては、本末転倒だと感じます。
教育や就労、高齢者や障害者への福祉、どれもがお役所的なルールで運用されています。そのため、一旦そこから外れてしまった者が復帰するのは絶望的に困難だとわかる内容でした。果たしてこうした問題を解決するにはどうすれば良いのでしょうか?今後も似たようなテーマで読書活動を続けたいと思いました。
今回のゼミでは欠席者も多く、口頭報告者は2名と少し寂しい回でした。体調管理を徹底し、次回のゼミはより盛り上がる報告会になればと思います。次回はD班の新書報告です。