2025年10月22日水曜日

2025年度 後期第4回

 こんにちは。現代法学部4年のTです。少しずつ肌寒い季節になってきました。近年は秋が短いと言われがちですが、今年は少し長めの秋を感じられるのではないでしょうか。この季節感が少しでも長く続いてほしいと思うところです。さて、今回はF班による新書報告です。

Sさん

島宗理『人は、なぜ約束の時間に遅れるのか 素朴な疑問から考える「行動の原因」』光文社新書、2010年

本書は、人がなぜ遅刻するのかという素朴な疑問を起点に、行動分析学の視点から人間の行動の本質に迫る一冊です。著者は、遅刻の原因を一般的に言われる「性格」や「だらしなさ」として片付けるのではなく、先行事象と後続事象という行動分析学の枠組みで捉えるべきだと主張しています。

「約束の時間に遅れる」という行動を例に取ると、寝坊した、寄り道したといったものが先行事象に当たり、その結果怒られた、特に何も起こらなかったといったものが後続事象に当たります。先行事象を深掘りすると習慣化に辿り着きます。遅刻の常習犯は遅刻自体が習慣化しているとのことでした。特に遅刻した結果怒られるといったマイナスな後続事象が起きない場合は習慣化しやすいそうです。遅刻する人に対して怒らないのは、そうした遅刻の習慣化を誘発してしまうことになりかねず、注意すべきという指摘がありました。当の本人が遅刻癖を直すためには、遅刻しない習慣をつけるべきだそうです。例えば、遅刻の原因が寝坊である場合は、朝起きるのが楽しみになるようにするといったポジティブな動機付けが効果的だそうです。

この報告を聞いて、私自身は、やはり性格やだらしなさも遅刻の原因と言えるのではないかという疑問を抱きました。遅刻の常習犯は遅刻という行動自体が習慣になっているとの話でした。これは遅刻程度では罪悪感を覚えない性格であるとも解釈できると思います。

しかし、行動分析学の視点は、原因を内面的な資質に帰するのではなく、「寝坊」や「夜更かし」といった具体的な先行事象に焦点を当てています。そしてそれを変えるための行動療法に結びつけている点で、実践的だとは感じました。性格そのものを変えるのは難しいですが、習慣を変えることは可能です。遅刻の原因が「先行事象」にあるとするこの考え方は、「遅刻癖を直す具体的なステップ」を提示してくれる点で有意義な報告でした。

自分(T)の報告

池上正樹氏『ルポ ひきこもり未満 レールから外れた人たち』集英社新書、2018年

本書は、引きこもり当事者、その一歩手前まで追い詰められた人達、そして引きこもりと就労を繰り返す人たちの取材を通じて、家庭環境、支援のあり方、社会制度の構造的な問題を明らかにする一冊です。

著者は、引きこもりの大きな原因として家庭環境の悪さを挙げています。取材を受けた方の多くは、家庭環境や経済状況に問題を抱えていたそうです。また、家庭環境が悪い子どもたちはいじめに遭いやすく、学校生活で十分なコミュニケーションを取れないために、平均的なコミュニケーション能力を身につけられない傾向にあるそうです。そのため、就職活動で行き詰まるケースが多いとのことでした。

ここで、本書で取り上げられた引きこもり当事者Aさんのケースを紹介します。

Aさんは、機能不全家族(ネグレクト・精神的虐待)で育ち、中学生時代は神経症により不登校、高校も中退と大変な学生時代を送ります。その後、アルバイト・派遣社員としての生活を繰り返すも、リーマンショックでの解雇を機に生活保護受給者となります。彼の人生を振り返ると、幼少期の家庭環境が人生に与える決定的な影響が大きいとわかります。

また、Aさんは30代~50代の稼働世代に対する社会的な孤立防止や再就職支援の仕組みが不足していると訴えています。当時の引きこもり支援は「子ども・若者育成支援推進法」が法的根拠とされ、支援のゴールは「就労」とされ「39歳以下の若者就労支援」に重きを置いていました。しかし、本書で取り上げられた人の多くが40歳以上であり、相談に行っても「支援の対象外」と突き放されたそうです。

Aさんは次のように語っています。「どうして線を引いちゃうんだろう?支援側の都合で決めた対象に当てはまる人だけが利用できる。39歳と40歳の間で、人として何が違ってくるのだろうか?」この語りは、行政の縦割りや画一的なルールが、本当に支援を必要とする人々を切り捨てている現状を象徴しており、非常に印象的でした。

本書はかなりヘビーな内容となっており、SNSでキラキラとした生活が目に入りやすい分、現実に起こるこうした問題とのギャップに、読んでいて息がつまる感覚を覚えました。

仕事を失い、貯金を食い潰し、家賃すら払えなくなる人達の中には、住む家がないことを理由に採用を断られ、仕事が決まっていないことを理由に賃貸契約を断られるという、まさに八方塞がりの状態に陥っているケースがあります。もちろん、生活保護受給者として生きていくことはできるでしょう。しかし、生活保護の受給率は貧困層の数と比べたとき明らかに少ないのが現状です。生活保護を受給することへ抵抗感だけでなく、本来使えるはずの人たちに十分な情報が届けられていないのではないかと思います。また、相談に行っても突き放されたり、下に見られたりすることもあり、足が向かなくなるケースも考えられます。

Aさんも語るように、本来こうした制度は困っている人がシンプルに使えるようになるべきです。もちろん不正受給といった問題も起こる得るでしょう。しかし、そちらに気を取られて受給すべき人が受給できなくなっていては、本末転倒だと感じます。

教育や就労、高齢者や障害者への福祉、どれもがお役所的なルールで運用されています。そのため、一旦そこから外れてしまった者が復帰するのは絶望的に困難だとわかる内容でした。果たしてこうした問題を解決するにはどうすれば良いのでしょうか?今後も似たようなテーマで読書活動を続けたいと思いました。

今回のゼミでは欠席者も多く、口頭報告者は2名と少し寂しい回でした。体調管理を徹底し、次回のゼミはより盛り上がる報告会になればと思います。次回はD班の新書報告です。

2025年10月8日水曜日

2025年度 後期第3回

 こんにちは。経営学部3年のMです。朝晩の冷え込みが少しずつ強まってきましたね。体調を崩しやすい時期ですので、どうかお身体に気をつけてお過ごしください。今回はE班による新書報告を紹介します。

Hさん 中野円佳『教育にひそむジェンダー』ちくま新書、2024年

 本書は、多様性を尊重する社会的な流れと、日常生活にいまだ根強く残る性別に関する偏見や固定観念との乖離を、教育の観点から考察した一冊です。

 著者によると、人は生まれてから成長する過程で、親や社会から無意識のうちに性別によるイメージを刷り込まれていくといいます。Hさんはその例として、小学生のランドセル選びを挙げました。「男の子がピンクのランドセルを選ぶのは変だ」という社会的イメージはいまだに残っており、Hさん自身も希望した色を両親に反対された経験があるそうです。

 さらに、性別による大学進学への親の期待の違いについても触れました。古い考え方ではありますが、「女性は家庭に入るのだから大学へ行く必要はない」といった価値観が今も一部に存在しており、Hさんの身近にもそうした考えを持つ親のもとで育った友人がいるといいます。

 私は、幼いころからの周囲の言動や環境が、本人の進路や自己イメージの形成に深く影響することを改めて感じました。Hさんの発表を通して、多様性を実現するためには、こうした無意識の偏見を自覚し、見直していくことが大切だと強く思いました。

Kさん 岡田尊司『不安型愛着スタイル』光文社新書、2022年

 不安型愛着スタイルとは、他人からの評価を過度に気にしたり、親しい人が自分から離れていくことを強く恐れる心理的傾向を指します。愛着スタイルにはいくつかのタイプがあり、それらは幼少期の親との関わり方によって形成されるといわれています。不安型愛着スタイルの人は、男性で約15%、女性で約20%とされています。

 この傾向の原因の一つとして、親との関係が挙げられます。遺伝的な影響もあり、不安型愛着スタイルの子どもの親自身も、同じ傾向を持つ場合が多いそうです。特に0〜2歳の時期に、親から十分な愛情を受け取れないと、不安型愛着スタイルになる可能性が高まるといわれています。オキシトシン(愛情ホルモン)のバランスが崩れることで、分離不安や「人が離れていくのではないか」という不安にとらわれやすくなるそうです。

 予防や改善の方法としては、完璧を求めすぎないことや、親以外にも安心できる「安全基地」を見つけることが大切だとされています。

 Kさんの発表を聞き、将来もし自分が親になる時には、子どもとの関わり方に大きな責任が伴うことを改めて実感しました。

Iさん 三好彰『花粉症を治す』PHP新書、2003年

 本書は、花粉症の概要やその症状を和らげるための対策についてまとめられた一冊です。

 花粉にはアレルゲンと呼ばれる成分が含まれており、それが体内に入ると免疫が反応し、くしゃみや鼻水といった症状を引き起こします。花粉症は正式には「アレルギー性鼻炎」と呼ばれています。

 日本では、約60種類の花粉が花粉症の原因として報告されています。一般的に知られるスギやヒノキのほか、イチゴやピーマンなどの植物も原因となる場合があるそうです。日本のスギの多くは、戦後に木材需要の高まりを受けて植林されたものです。山の保全や住宅建設のために安価で生産しやすいスギが選ばれたことが、その背景にあります。

 花粉症の対策で最も重要なのは、花粉との接触をできるだけ減らすことだとされています。具体的には、花粉症対策用のマスクを着用したり、髪に花粉が付きやすい長髪の人は帽子をかぶるなどの工夫が効果的です。Iさん自身も花粉症に悩んでおり、花粉症マスクを試してみたいと話していました。

 今回の報告では実生活に基づいたものが多く、聞いていてためになるものが多いと感じました。次回はF班の新書報告です。

2025年9月24日水曜日

2025年度 後期第1回

 担当教員の相澤です。後期の授業が始まりました。初回は、前半に班わけやスケジュールの確認といったオリエンテーションを、後半は夏休みの宿題だった台湾研修の事前学習報告を行いました(*台湾研修は中止になりました)。

九月はじめに実施した夏合宿に参加できた人が半分、できなかった人が半分。どんな雰囲気になるかなと思いましたが、みなさん、相澤ゼミ生らしく淡々と合流できていました。

来週からは、再び新書報告をやっていきます。


2025年9月4日木曜日

2025年度 夏のゼミ合宿

担当教員の相澤です。9月2日から2泊3日で夏のゼミ合宿を行いました。昨年度に引き続き、今年も経済学部の中村ゼミと合同です。酷暑の東京を離れ、(やや)涼しい草津温泉で勉強と懇親をしました。


初日の14時に草津中心部から少し離れた場所にあるホテルに集合。そのまま会議室で合同勉強会を実施しました。相澤ゼミは2月に台湾研修を企画していたため(結局事情で中止となりました)、台湾に関する事前学習を行いました。中村ゼミの方は、グループ研究の中間発表を行いました。前提知識を共有しない二つのゼミが一緒にやることで、説明に気を使ったり、質問が活発に出たりという相乗効果があった気がします。

2日目は終日自由行動。ホテル内でボーリングや卓球をしたり、湯畑方面へ繰り出したりと二ゼミで賑やかに楽しむことができました。来年は花火を持参するといい思い出になるかも、と思った教員です。

草津は遠いので、3日目は午前中で解散し、一路帰宅となりました。

場所を変え、メンバーを変えることで、ゼミ生が互いをよく知る機会となりました。個人活動がメインの相澤ゼミですが、後期はグループワークやグループでの報告の機会も設ける予定です。合宿を経て、スムースに協力できそうです。


2025年7月16日水曜日

2025年度 前期第14回

 担当教員の相澤です。最終回の今日は、例年通り、個人面談と相澤ゼミの本棚作りを行いました。

図書館のグループ学習室で
黙々と作業
個人面談では、事前に提出してもらった振り返りシートと大福帳(毎回ゼミ時にコメントを記入してもらうシート)をもとに、前期で頑張った点や成長できた点、そして後期の課題を一人ずつ話し合いました。

個人面談と並行して、前期に読んだ新書の中からおすすめの一冊についてPOPを作る作業を行いました。皆、かなりこだわって制作しており、時間ギリギリまで工夫していました。回を重ねるごとに、POPのクオリティが上がっている印象を受けます。こちらは10月から図書館内で「相澤ゼミの本棚」として展示する予定です。

これにて、前期の活動は終了。夏休み中の9月にはゼミ合宿を実施する予定です。よい夏休みを過ごして、後期もゼミ活動を楽しめればと思います。

完成したPOPの一部

2025年7月15日火曜日

課外活動:読売交響楽団演奏会へ

 担当教員の相澤です。今年度一回目の課外活動の報告です。

学期末も近づいた7月15日の夜に、ゼミ生8名ともに読売交響楽団の演奏会を鑑賞してきました。あいにくの雨天でしたが、会場のサントリーホールは賑わっていました。当日の演目は次の通りです。

指揮=シルヴァン・カンブルラン / ピアノ=リーズ・ドゥ・ラ・サール

バーンスタイン:「キャンディード」序曲

ガーシュイン:ピアノ協奏曲 ヘ調

バルトーク:ルーマニア民俗舞曲(弦楽合奏版)

ムソルグスキー(ラヴェル編):組曲「展覧会の絵」

よく知られた曲から少々マイナーな曲まで楽しめるプログラムでした。以下に、参加学生の感想を紹介します。

終演後に全員集合
CSさん:私は普段から音楽を聴いている。しかし、いずれもスマートフォンから流れるようなデジタルで出力したような音である。以前は私もそれで満足していた。オーケストラの生演奏を聴くまではそう思っていた。

今回オーケストラコンサートを聞いて、純粋に音を楽しむことを理解できた。それぞれ楽器から生まれる音に耳を傾けると、その音色が聞こえてくる。何か音で表現している感覚があって、強弱や抑揚から色や感情を伝えているようだった。その演奏は、時に安心感を与え緊張感を与える瞬間もあった。

私は音楽に精通している訳ではないが、ミュージックアプリで聞くような音楽とは全く違うことだけは理解できた。楽器から放たれる音色と音色同士の調和を経て一つの作品を作り出していると感じることができた。

FKさん:今回のコンサートでは、ピアノ、弦楽器、管楽器の3つが組み合わさった素晴らしい演奏を聴くことができました。前半ではピアノと弦楽器、管楽器の掛け合いや、バイオリンをギターのように弾くシーンがあり、楽器に注目して聴きました。後半では、プログラムに書いてある曲の解説文を見ながら、想像を膨らませて聴くことが出来ました。音楽だけでここまで表現出来るのかと驚いた演奏でした。最後のプロムナードでは、今までの演奏を締めくくるような、とても華やかな演奏で、多くの人が聴き入った瞬間だったのではないかと思います。

音楽は、ストーリーを想像させてくれるものだと実感することが出来たオーケストラコンサートでした。

Tさん:今回聴いた曲で最も印象的だったのは、ガーシュインのピアノ協奏曲だ。なぜならクラシックだと思い聴いていたら、いきなりジャズを聴かされたような感覚になったからだ。この曲について調べてみると、クラシックにジャズを取り入れたピアノ協奏曲として有名であり、また、ガーシュインもジャズとクラシックの両面において活躍した人と知った。人並みにクラシックを聴いてきたと思うが、クラシックとジャズが融合した曲は聴いたことがなかった。そうした曲を初めて聴く機会がまさかコンサートでの生演奏になるとは思わなかったので、非常に貴重な体験だった。

Rさん:今回で人生2回目のコンサートでした。前回は曲の内容や表現しているものを把握してから聞きましたが、今回は何も見ずに聞きました。前回と違ったのは、楽器の使い方に気付けたことでした。演奏者によって、同じ楽器でも体の使い方や動きの強弱が違っていて個性を感じました。また、リーズ・ドゥ・ラ・サールさんのピアノには驚きました。ピアノの強く激しい音や、優しく軽い音を使い分けていました。ピアノで聞きやすいなと感じたのは初めてでした。また機会があれば行きたいです。

EKさん:一年ぶりオーケストラ鑑賞でした。ジメジメした嫌な暑さも気にしなくなるほど聴き込んでいました。この形容し難い没頭感。暇な時はスマホをいじったり、アルバイトばかりしている私には、随分と久しく感じました。

ひとつ、後悔していることがあります。それは、冊子を読まずに聴き込んでいたことです。去年は手元に冊子を置いて、楽曲に関する説明を読みながら情景を浮かべていました。集中して聴き込むことが悪いことではないと思うのですが、同時に公式の見解のもと情景を浮かべて鑑賞したほうが記憶には残りやすいと思いました。

後半では「テレビで聴いたことあるなぁ」と、なんともミーハー感丸出しで聴いていました。耽美な雰囲気の下、ミーハー心で音楽に没頭できるのは、我々庶民の特権ではないでしょうか。

休憩時間。私はゼミ生S氏とお手洗いへ向かいました。そこで、私たち2人は驚きの光景を目の当たりにしました。夥しいほどの男性たちが長蛇の列を成していたのです。女性の長い列は想像に難くありません。それ故、男性でのあれほどまでの長蛇の列は初めて見ました。果てしなく続くこの人々の列に圧倒されながらも、前へ前へと進む私たち2人。この列は一体どこまで続くのだ、そして最後尾に着いたとして休憩時間内に用を足すことが出来るのだろうか。

「これが日本の『兵馬俑』か…。」

我々はそう言い残し、引き返しました。

これからオーケストラ鑑賞に足を運ぼうと考えている読者の皆様には、是非ともお手洗いに気をつけて頂きたい。オーケストラのマナーばかりに気を取られると、足元を掬われるかもしれませんよ…。そして、オーケストラの感想そっちのけでこんな番外編みたいなエピソードを書く羽目になるかもしれませんね…。

ISさん:ただ純粋に音楽を鑑賞するだけの時間をとるのは、本当に久しぶりでした。普段音楽を聴くときは、何かをしながら聞いています。最低でも移動はしています。椅子に座り、長時間の音楽を聞き、音楽は暇つぶしではなく、娯楽だということを思い出しました。

また、指揮者やピアニストの表現を観ることができるのも良かったです。

非日常であると同時に、とてもリラックスできる空間でもあり、個人的にもまた行きたいと感じました。

SYさん:生で聴くプロの演奏はとても迫力がありました。サントリーホールの大きな会場は年輪が多い一枚板の壁がズラリと並び、音の反響も良いのだと思います。しかしながら、自分はプロの演奏を聴くのが初めてだったので、正直なところ、音の違いは分かりませんでした。そこで、パンフレットの中の演奏曲の解説を読むことにしました。「キエフの門」を表した演奏では、まるで本当に顕れているかのように鐘が鳴り響いていました。文章ならば解釈で、絵画なら視覚で、音楽なら聴覚で、受けての感性で、作り手の表したいことを拾うことが芸術なのかもしれないと思いました。

IYさん:ナニコレ珍百景の音(キエフの大門というらしい)くらいしか知っている曲は無かったが生の演奏でしか味わうことの出来ない栄養みたいなものは得ることができた。

ただ、演奏ごとの拍手が長すぎる。3.4分の拍手が何回もあった。勝手な意見だが正直そんなに拍手する必要性あるのかなと思うので最初と最後だけでいいと思う。

このゼミに入らなければ行くことは無かったと思うので経験としてとてもいい機会だった。また行く機会があるなら是非行きたい。

2025年7月9日水曜日

2025年度 前期第13回

 こんにちは!経済学部3年のHです。テストやレポートの締め切りが迫ってきましたね! 今年も残すところ半分を切りました。今回はC班による発表の様子をご紹介します。

 

Mさん 林直樹『リストカット』講談社現代新書、2007年

Mさんは、リストカットを中心とした自傷行為について取り上げてくれました。1960年代のアメリカを起点とし、1970年代に日本にも広がったこの行為は、必ずしも「死にたい」からではなく、「苦しみから逃れたい」「自己感覚を取り戻したい」といった心理的要因が背景にあるといいます。

特に注目すべきは、生物学的要因として「覚醒度の異常」があるという点です。つまり、脳が過度に興奮している状態を、傷つけることで無理やり落ち着かせているという解釈です。

Mさんは、「自殺とは違う」という視点や、「寄り添うことの大切さ」を強調しており、私たちが「リスクカットをする人は精神状態が不安定」のような偏見を持つことなく、それに向き合うべきテーマだと考えさせられました。私にとっても、全く無視できないことだと感じたのでもし近くにそういう人がいたら寄り添ってあげれるようになりたいです。

 

Iさん 小島庸平『サラ金の歴史』中公新書、2021年

Iさんは、「サラ金(サラリーマン金融)」の歴史とその社会的背景を紹介してくれました。

「サラ金」と聞くと、どこか怖い・怪しいといったイメージを持つ人も多いかもしれません。しかし、その実態は社会の変化とともに姿を変え、特に1970年代以降の高度経済成長期に、給与所得者層の資金ニーズに応える形で普及していきました。当初は無担保・無保証で少額融資を行う画期的な制度でしたが、その裏側には、厳しい取り立てや高金利といった「負の側面」も存在していたのです。

Iさんは、特に「取り立てる側の苦労」に注目していました。サラ金の社員たちは、厳しいノルマに追われ、精神的に追い詰められるケースも多く、うつ病などを発症する人も少なくなかったそうです。このように、加害者のように見られがちな取り立て人も、実は上からの圧力に苦しむ“被害者”だったという視点は新鮮でした。

現在では、違法な取り立て行為は厳しく取り締まられ、「借りる側の保護」が強化されてきています。

Iさんは、単なる“悪者”として語られがちなサラ金に対して、その内実や背景、取り巻く人々の苦悩まで丁寧に読み解いており、現代社会における「お金」と「信用」の意味を考えさせられる発表でした。今回の発表を通じて、サラ金に対して借りる側の立場だけでなく、貸す側の立場も考えてみようと思いました。

 

Sさん 南雲治嘉『色の新しい捉え方~現場で「使える」色彩論』光文社新書、2016年

 Sさんは、「色とは何か?」という根本的な問いからスタートし、色の定義やその心理的・生理的影響について紹介してくれました。色は単に「光が物体に反射して目に届いたもの」ではなく、脳でどのように処理されるかによって意味が変わる、「感覚」と「解釈」が交差する現象だという視点が印象的でした。

特に興味深かったのは、「色が人の感情や行動に与える影響」を脳科学の観点から捉えるという点です。例えば、青色はリラックス効果や集中力の向上につながるとされており、食欲を抑える働きもあるため、ダイエットのために「青い皿」を使うという方法も紹介されていました。

また、近年注目されている「パーソナルカラー診断」にも触れ、肌や髪、瞳の色に合わせた自分に似合う色を知ることで、印象が良くなったり、自信がついたりすることもあるという話には多くの共感が寄せられました。単に「流行っているから」ではなく、根拠のある色彩の知識として日常生活に取り入れられる実用性が魅力的です。

最後にSさんは、「これからは“感覚的”にではなく、“目的に応じた”色の使い方をしていきたい」と語ってくれました。私たちの日常は、無数の「色」に囲まれていますが、その色が私たちの気分や行動、健康にまで影響していると考えると、色彩の知識はまさに“日常に役立つ教養”であると実感させられる発表でした。

 

Iさん 山田鋭夫『ゆたかさをどう測るか—ウェルビーイングの経済学』ちくま新書、2025年

 Sさんは、現代社会における「豊かさ」の定義について問題提起しました。一般的には経済成長を示す指標としてGDPが使われますが、果たしてそれだけで人々の幸せや生活の質を測れるのでしょうか?

たとえば、原発事故後の復旧費用や医療費がGDPに加算される一方で、失われた健康や安心は数値に現れません。また、アンダーグラウンド経済や格差の拡大なども無視できません。

こうした限界に対して、著者は「ウェルビーイング」や教育・健康といった別の指標に注目すべきだと主張します。特に著者は、非営利の市民団体や教育機関といった“人を育てる”分野への投資が、真の豊かさにつながるのではないかと提案していました。

 Sさんの発表を聞いて、普段当たり前のように使われているGDPが、本当の「豊かさ」を測るには不十分であることに気づかされました。数字に表れない幸せや生きやすさにも目を向けていきたいと思いました。

 

今回の4人の発表はどれも自分たちの生活に密接する部分が多かったように感じました。自分には関係ないと考えるのではなく、今回とりあげた問題やテーマは自分の近くにあると思って過ごしていきたいです。