2025年7月16日水曜日

2025年度 前期第14回

 担当教員の相澤です。最終回の今日は、例年通り、個人面談と相澤ゼミの本棚作りを行いました。

図書館のグループ学習室で
黙々と作業
個人面談では、事前に提出してもらった振り返りシートと大福帳(毎回ゼミ時にコメントを記入してもらうシート)をもとに、前期で頑張った点や成長できた点、そして後期の課題を一人ずつ話し合いました。

個人面談と並行して、前期に読んだ新書の中からおすすめの一冊についてPOPを作る作業を行いました。皆、かなりこだわって制作しており、時間ギリギリまで工夫していました。回を重ねるごとに、POPのクオリティが上がっている印象を受けます。こちらは10月から図書館内で「相澤ゼミの本棚」として展示する予定です。

これにて、前期の活動は終了。夏休み中の9月にはゼミ合宿を実施する予定です。よい夏休みを過ごして、後期もゼミ活動を楽しめればと思います。

完成したPOPの一部

2025年7月15日火曜日

課外活動:読売交響楽団演奏会へ

 担当教員の相澤です。今年度一回目の課外活動の報告です。

学期末も近づいた7月15日の夜に、ゼミ生8名ともに読売交響楽団の演奏会を鑑賞してきました。あいにくの雨天でしたが、会場のサントリーホールは賑わっていました。当日の演目は次の通りです。

指揮=シルヴァン・カンブルラン / ピアノ=リーズ・ドゥ・ラ・サール

バーンスタイン:「キャンディード」序曲

ガーシュイン:ピアノ協奏曲 ヘ調

バルトーク:ルーマニア民俗舞曲(弦楽合奏版)

ムソルグスキー(ラヴェル編):組曲「展覧会の絵」

よく知られた曲から少々マイナーな曲まで楽しめるプログラムでした。以下に、参加学生の感想を紹介します。

終演後に全員集合
CSさん:私は普段から音楽を聴いている。しかし、いずれもスマートフォンから流れるようなデジタルで出力したような音である。以前は私もそれで満足していた。オーケストラの生演奏を聴くまではそう思っていた。

今回オーケストラコンサートを聞いて、純粋に音を楽しむことを理解できた。それぞれ楽器から生まれる音に耳を傾けると、その音色が聞こえてくる。何か音で表現している感覚があって、強弱や抑揚から色や感情を伝えているようだった。その演奏は、時に安心感を与え緊張感を与える瞬間もあった。

私は音楽に精通している訳ではないが、ミュージックアプリで聞くような音楽とは全く違うことだけは理解できた。楽器から放たれる音色と音色同士の調和を経て一つの作品を作り出していると感じることができた。

FKさん:今回のコンサートでは、ピアノ、弦楽器、管楽器の3つが組み合わさった素晴らしい演奏を聴くことができました。前半ではピアノと弦楽器、管楽器の掛け合いや、バイオリンをギターのように弾くシーンがあり、楽器に注目して聴きました。後半では、プログラムに書いてある曲の解説文を見ながら、想像を膨らませて聴くことが出来ました。音楽だけでここまで表現出来るのかと驚いた演奏でした。最後のプロムナードでは、今までの演奏を締めくくるような、とても華やかな演奏で、多くの人が聴き入った瞬間だったのではないかと思います。

音楽は、ストーリーを想像させてくれるものだと実感することが出来たオーケストラコンサートでした。

Tさん:今回聴いた曲で最も印象的だったのは、ガーシュインのピアノ協奏曲だ。なぜならクラシックだと思い聴いていたら、いきなりジャズを聴かされたような感覚になったからだ。この曲について調べてみると、クラシックにジャズを取り入れたピアノ協奏曲として有名であり、また、ガーシュインもジャズとクラシックの両面において活躍した人と知った。人並みにクラシックを聴いてきたと思うが、クラシックとジャズが融合した曲は聴いたことがなかった。そうした曲を初めて聴く機会がまさかコンサートでの生演奏になるとは思わなかったので、非常に貴重な体験だった。

Rさん:今回で人生2回目のコンサートでした。前回は曲の内容や表現しているものを把握してから聞きましたが、今回は何も見ずに聞きました。前回と違ったのは、楽器の使い方に気付けたことでした。演奏者によって、同じ楽器でも体の使い方や動きの強弱が違っていて個性を感じました。また、リーズ・ドゥ・ラ・サールさんのピアノには驚きました。ピアノの強く激しい音や、優しく軽い音を使い分けていました。ピアノで聞きやすいなと感じたのは初めてでした。また機会があれば行きたいです。

EKさん:一年ぶりオーケストラ鑑賞でした。ジメジメした嫌な暑さも気にしなくなるほど聴き込んでいました。この形容し難い没頭感。暇な時はスマホをいじったり、アルバイトばかりしている私には、随分と久しく感じました。

ひとつ、後悔していることがあります。それは、冊子を読まずに聴き込んでいたことです。去年は手元に冊子を置いて、楽曲に関する説明を読みながら情景を浮かべていました。集中して聴き込むことが悪いことではないと思うのですが、同時に公式の見解のもと情景を浮かべて鑑賞したほうが記憶には残りやすいと思いました。

後半では「テレビで聴いたことあるなぁ」と、なんともミーハー感丸出しで聴いていました。耽美な雰囲気の下、ミーハー心で音楽に没頭できるのは、我々庶民の特権ではないでしょうか。

休憩時間。私はゼミ生S氏とお手洗いへ向かいました。そこで、私たち2人は驚きの光景を目の当たりにしました。夥しいほどの男性たちが長蛇の列を成していたのです。女性の長い列は想像に難くありません。それ故、男性でのあれほどまでの長蛇の列は初めて見ました。果てしなく続くこの人々の列に圧倒されながらも、前へ前へと進む私たち2人。この列は一体どこまで続くのだ、そして最後尾に着いたとして休憩時間内に用を足すことが出来るのだろうか。

「これが日本の『兵馬俑』か…。」

我々はそう言い残し、引き返しました。

これからオーケストラ鑑賞に足を運ぼうと考えている読者の皆様には、是非ともお手洗いに気をつけて頂きたい。オーケストラのマナーばかりに気を取られると、足元を掬われるかもしれませんよ…。そして、オーケストラの感想そっちのけでこんな番外編みたいなエピソードを書く羽目になるかもしれませんね…。

ISさん:ただ純粋に音楽を鑑賞するだけの時間をとるのは、本当に久しぶりでした。普段音楽を聴くときは、何かをしながら聞いています。最低でも移動はしています。椅子に座り、長時間の音楽を聞き、音楽は暇つぶしではなく、娯楽だということを思い出しました。

また、指揮者やピアニストの表現を観ることができるのも良かったです。

非日常であると同時に、とてもリラックスできる空間でもあり、個人的にもまた行きたいと感じました。

SYさん:生で聴くプロの演奏はとても迫力がありました。サントリーホールの大きな会場は年輪が多い一枚板の壁がズラリと並び、音の反響も良いのだと思います。しかしながら、自分はプロの演奏を聴くのが初めてだったので、正直なところ、音の違いは分かりませんでした。そこで、パンフレットの中の演奏曲の解説を読むことにしました。「キエフの門」を表した演奏では、まるで本当に顕れているかのように鐘が鳴り響いていました。文章ならば解釈で、絵画なら視覚で、音楽なら聴覚で、受けての感性で、作り手の表したいことを拾うことが芸術なのかもしれないと思いました。

IYさん:ナニコレ珍百景の音(キエフの大門というらしい)くらいしか知っている曲は無かったが生の演奏でしか味わうことの出来ない栄養みたいなものは得ることができた。

ただ、演奏ごとの拍手が長すぎる。3.4分の拍手が何回もあった。勝手な意見だが正直そんなに拍手する必要性あるのかなと思うので最初と最後だけでいいと思う。

このゼミに入らなければ行くことは無かったと思うので経験としてとてもいい機会だった。また行く機会があるなら是非行きたい。

2025年7月9日水曜日

2025年度 前期第13回

 こんにちは!経済学部3年のHです。テストやレポートの締め切りが迫ってきましたね! 今年も残すところ半分を切りました。今回はC班による発表の様子をご紹介します。

 

Mさん 林直樹『リストカット』講談社現代新書、2007年

Mさんは、リストカットを中心とした自傷行為について取り上げてくれました。1960年代のアメリカを起点とし、1970年代に日本にも広がったこの行為は、必ずしも「死にたい」からではなく、「苦しみから逃れたい」「自己感覚を取り戻したい」といった心理的要因が背景にあるといいます。

特に注目すべきは、生物学的要因として「覚醒度の異常」があるという点です。つまり、脳が過度に興奮している状態を、傷つけることで無理やり落ち着かせているという解釈です。

Mさんは、「自殺とは違う」という視点や、「寄り添うことの大切さ」を強調しており、私たちが「リスクカットをする人は精神状態が不安定」のような偏見を持つことなく、それに向き合うべきテーマだと考えさせられました。私にとっても、全く無視できないことだと感じたのでもし近くにそういう人がいたら寄り添ってあげれるようになりたいです。

 

Iさん 小島庸平『サラ金の歴史』中公新書、2021年

Iさんは、「サラ金(サラリーマン金融)」の歴史とその社会的背景を紹介してくれました。

「サラ金」と聞くと、どこか怖い・怪しいといったイメージを持つ人も多いかもしれません。しかし、その実態は社会の変化とともに姿を変え、特に1970年代以降の高度経済成長期に、給与所得者層の資金ニーズに応える形で普及していきました。当初は無担保・無保証で少額融資を行う画期的な制度でしたが、その裏側には、厳しい取り立てや高金利といった「負の側面」も存在していたのです。

Iさんは、特に「取り立てる側の苦労」に注目していました。サラ金の社員たちは、厳しいノルマに追われ、精神的に追い詰められるケースも多く、うつ病などを発症する人も少なくなかったそうです。このように、加害者のように見られがちな取り立て人も、実は上からの圧力に苦しむ“被害者”だったという視点は新鮮でした。

現在では、違法な取り立て行為は厳しく取り締まられ、「借りる側の保護」が強化されてきています。

Iさんは、単なる“悪者”として語られがちなサラ金に対して、その内実や背景、取り巻く人々の苦悩まで丁寧に読み解いており、現代社会における「お金」と「信用」の意味を考えさせられる発表でした。今回の発表を通じて、サラ金に対して借りる側の立場だけでなく、貸す側の立場も考えてみようと思いました。

 

Sさん 南雲治嘉『色の新しい捉え方~現場で「使える」色彩論』光文社新書、2016年

 Sさんは、「色とは何か?」という根本的な問いからスタートし、色の定義やその心理的・生理的影響について紹介してくれました。色は単に「光が物体に反射して目に届いたもの」ではなく、脳でどのように処理されるかによって意味が変わる、「感覚」と「解釈」が交差する現象だという視点が印象的でした。

特に興味深かったのは、「色が人の感情や行動に与える影響」を脳科学の観点から捉えるという点です。例えば、青色はリラックス効果や集中力の向上につながるとされており、食欲を抑える働きもあるため、ダイエットのために「青い皿」を使うという方法も紹介されていました。

また、近年注目されている「パーソナルカラー診断」にも触れ、肌や髪、瞳の色に合わせた自分に似合う色を知ることで、印象が良くなったり、自信がついたりすることもあるという話には多くの共感が寄せられました。単に「流行っているから」ではなく、根拠のある色彩の知識として日常生活に取り入れられる実用性が魅力的です。

最後にSさんは、「これからは“感覚的”にではなく、“目的に応じた”色の使い方をしていきたい」と語ってくれました。私たちの日常は、無数の「色」に囲まれていますが、その色が私たちの気分や行動、健康にまで影響していると考えると、色彩の知識はまさに“日常に役立つ教養”であると実感させられる発表でした。

 

Iさん 山田鋭夫『ゆたかさをどう測るか—ウェルビーイングの経済学』ちくま新書、2025年

 Sさんは、現代社会における「豊かさ」の定義について問題提起しました。一般的には経済成長を示す指標としてGDPが使われますが、果たしてそれだけで人々の幸せや生活の質を測れるのでしょうか?

たとえば、原発事故後の復旧費用や医療費がGDPに加算される一方で、失われた健康や安心は数値に現れません。また、アンダーグラウンド経済や格差の拡大なども無視できません。

こうした限界に対して、著者は「ウェルビーイング」や教育・健康といった別の指標に注目すべきだと主張します。特に著者は、非営利の市民団体や教育機関といった“人を育てる”分野への投資が、真の豊かさにつながるのではないかと提案していました。

 Sさんの発表を聞いて、普段当たり前のように使われているGDPが、本当の「豊かさ」を測るには不十分であることに気づかされました。数字に表れない幸せや生きやすさにも目を向けていきたいと思いました。

 

今回の4人の発表はどれも自分たちの生活に密接する部分が多かったように感じました。自分には関係ないと考えるのではなく、今回とりあげた問題やテーマは自分の近くにあると思って過ごしていきたいです。