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2025年3月31日月曜日

卒論のススメ

東経大では卒業論文(科目名:総合教育研究)を書くことができます。自分なりのテーマとじっくり向き合って文章を紡ぐ作業と時間は、学生ならではの貴重な経験になります。

2024年度に相澤ゼミで卒論を書いたMさんから「卒論のススメ」を寄せてもらいました。興味のある四年生は、ぜひ履修を検討してみてくださいね。

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「苦しいけど、楽しい。」

卒論に取り組んでいた日々、私はそう感じていた。

自分の伝えたいこと、言葉選び、文章の作り方を一生懸命考えてみても、自信は無かった。そしてそれは、論文を書くことで初めて感じたもどかしさだった。何度も先生に添削をして頂いた。正直その度に、自分の文章力の無さに落ち込んだ。初めての卒業論文なのだから、最初から上手に書けなくて当たり前。良い表現が見つからなくて当たり前。とにかく時間の許す限り、先生に頼って、また一人で言葉に向き合って。

文章を書いて直すという作業は、想像以上に孤独。

そのような決して前向きとは言えない執筆期間、私が卒論を書き上げられたのは、相澤先生の熱意ある添削と向き合う時間が好きだったから。

もし今あなたが、卒業論文を書くか迷っているのなら、私は絶対に書いた方がいいと伝えたい。新書を読むことで身につく読解力と書く力、そして伝える力が鍛えられる相澤ゼミ。その場所で論文を書き、添削してもらえる経験は非常に貴重だった、と私は心から実感している。書き終えた春、きっと良い桜が咲くはずです。頑張って。

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2025年2月8日土曜日

課外活動:オペラ鑑賞

2月8日の午後、ゼミ有志が新国立劇場に集合しました。皆でオペラを鑑賞するのです。演目は『フィレンツェの悲劇(ツェムリンスキー)/ジャンニ・スキッキ(プッチーニ)』の二本立て。それぞれ、一幕のみ、60分ほどで、初心者にも見やすいものです。

オペラパレスの華やかな雰囲気に圧倒されつつ、二時間あまりの贅沢な時間を楽しみました。以下は、参加者の感想です。

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Cさん

今回、オペラを初めて見た。以前のオーケストラと違って、音楽から得られる耳からの情報だけでなく、劇から得られる目からの情報もあったおかげか、退屈なく鑑賞することができた。

オペラを見ての第一印象は演者さんたちの声の迫力が想像以上だった事だ。演奏に負けないくらいの声をあの広い会場で発声できるのは、非常に驚いた。また、声自体にも抑揚があり圧巻の演技を見ることができた。

また、オペラ鑑賞は当然ストーリーがあるが、そのあらすじだけでは自分には理解し難い部分もあったと感じる。その理解し難い部分を、劇を見ることである程度は補完できたが、完璧に理解できたかと言われれば、難しい部分がある。だからこそ、今回のオペラはストーリーというよりもオペラとは一体何なのか、またどのような雰囲気なのかを感じることを考えて鑑賞できた。普段、1人ではほとんど行かないであろう場所に体験できたのは非常に良い経験になったと思う。この先、1つの高尚な趣味として考えるきっかけにもなった。

いずれにしても、新たな知識、知見を得られることが自分にとって有意義だと感じられる時間だった。

Sさん

フィレンツェの悲劇で最も印象深かったのは、ビアンカの二面性が露わになるラストシーンである。グイードへの「殺して」という切実な懇願から一転、勝者となったシモーネへの誘惑的な態度への変貌に疑問を感じた。彼女の行動は本心からの愛なのか、それとも純粋な生存本能なのか。私には明らかに後者に思えたが、それならばシモーネはなぜ怒りを見せなかったのか。幕が下りた後も、この疑問が残り続けた。

 ジャンニ・スキッキでは、幕が上がった瞬間から斬新な舞台装置に釘付けとなった。人間よりも巨大なクッキーや天秤、手紙、ペンといった日用品の誇張された造形は、一目見ただけでこれから始まるのが「喜劇」だと表しているように思えた。その日最も印象に残ったのは、ラウレッタによるアリア「愛しい私のお父さん」だ。彼女の歌声は群を抜く存在感を放っていた。カーテンコールでの大きな拍手は、その魅力が観客の心を掴んでいたことを物語っていたと思う。

Kさん

フィレンツェの悲劇は、3人しかいないのに迫力を感じました。マイクを使わずにオーケストラの音に負けない声で歌っていて、それでいて迫力を感じたので、オペラの技術はすごいとこ感じました。物語も終盤にかけて目が離せない展開となっていて引き込まれました。

ジャンニ・スキッキは、フェレンツェの悲劇と違ってポップな笑えるようなオペラだったのでとても見やすく、楽しめたと思います。

どちらも、オペラ初心者でも楽しめるようなものでした。いい経験になったと思います。

Tさん

フィレンツェの悲劇は、シモーネとグイードの心理戦が面白かったです。シモーネはビアンカとグイードの不倫に気づきつつも、あくまで商人として振る舞い商品を売りつけます。見逃してやるからいい値で買えよと言わんばかりの攻防が良かったです。決闘の場面では、ビアンカが「殺して」とささやくのがささやき女将みたいで面白かったです。

ジャンニ・スキッキは、喜劇らしく面白おかしい場面が多く楽しく鑑賞できました。アリア「私のお父さん」には鳥肌が立ちました。特別感動する場面でも無かったですが、迫力があり目線を惹き付ける声に不思議と鳥肌が立ちました。

Kさん

オペラを鑑賞するのは2回目だった。慣れない厳かな雰囲気の中で特別な体験ができたと思う。演目は二つに分かれていた。最初のフィレンツェの悲劇は場面転換が少なかった。ただ、商人が貴族に品物を高く買わせようと演説しているシーンは面白かった。オペラ独特の硬くて遠回りな言い回しが存分に活かされていた場面だと思う。一方で最後の結末がビアンカとシモーネがキスをして終わるという急展開にはついていけなかった。最後の物語のたたみ方の雑さというか、みている人を置いていく結末には唖然とした。二つ目のジャンニスキッキは何よりセットや小道具に手が込んでいた。本やメガネが人よりも大きく作られていてその中を登場人物が駆け回りながら話が進んでいく。本来の物語は遺産相続という話で、見た目が映えるような演劇にはならないはずが、演出の工夫や小道具の大きさによって場面映えするような劇になっていた。最後まで飽きずに見ることができたし、最後に観覧者に語りかけて物語を閉じるところもとても新鮮だった。二つの演目はセットから話の展開、演出まで大きく異なり、オペラの表現の幅を見せつけられた。

Rさん

参加者全員で。
いつもよりキレイめで集合しました。
自分は今回のゼミ活動で、初めてオペラを鑑賞しました。二つの物語や役者さんの演技など、見る人を魅了する素晴らしいものばかりでした。ですが、個人的に印象に残ったのは、オペラを鑑賞しにきている、お客さんでした。自分の中で、オペラを鑑賞する人のイメージとして、裕福そうなおじいさんやおばあさんが鑑賞するものというイメージがあり、内心ドキドキしていました。ですが、実際に新国立劇場でみたお客さんは、高校生や大学生くらいの人や、40代くらいの大人の方、外国人の方など、さまざまなお客さんがいて驚きました。オペラに行って、幅広い客層に鑑賞されているものだと知ることができ、オペラが少しだけ身近なものになったと感じました。

Eさん

人生初オペラに感激しました。荘厳なオペラの会場となる国立劇場へ足を踏み入れる場面が私の人生に訪れるとは思っていませんでした。先生が事前に、あらすじを知っておかないと面白くないと言っていたので、きちんと準備して当日を迎えました。

私達が鑑賞したのは、(他の人も挙げていると思いますが)フィレンツェの悲劇とジャンニ・スキッキの2作品です。

1本目を見終わった後、25分の休憩を挟みました。鑑賞しているときは、正直言って「すんごいあらすじ通りィィ!!」と思っていました。ただ、最後のシーンで商人の主人公と尻軽ヒロインが体を寄せ合い、顔を近づけていた場面で、上の方の座席で観ていた僕には主人公がヒロインの首を絞めているかのように見えたのです。見間違いでもそうじゃなくても、結果的には最後の場面に考察の余地が生まれてきたので良かったです。

2本目の作品は喜劇でした。物凄く抽象的ですが、率直に上品な笑いだなぁと思いました。自分が普段笑っているものがいかに低俗で下劣な笑いなのかをまざまざと見せつけているかのようでした。(これは言い過ぎですが。)先ほども述べた通り、オペラってあらすじ通りなんだなぁと思いました。なぜ2回も言及したかというと、私は面白い映画やドラマに出会っても2回以上見る事がほとんどありません。もう見たし、知っていることを何回も見るのは時間の無駄だなと思ってしまうのです。(といいつつもスマホをずっと見て時間を無駄にすることが頻繁にあります。)しかし、オペラを観て気づいたことがあります。あらすじを頭に入れ結末まで知っているからこそ、あらすじがオペラや演奏、役者などによって肉付けされていく過程がとても見応えがあるように思えたのです。変な例えですが、映画のディレクターズカット版を観たときみたいな感じです。劇のエピソード自体、あらすじとして完結されており、それに手を加えるのは野暮なはずなのに、更に良いものをブレンドしていくことで完成品の質がより高まっていると言えばよいでしょうか。もう少しでオペラの面白いところを言語化できそうなのですが、今は面白さの核に手もかかってないところだと思うと、少々歯はがゆいです。少なくとも、この点に気づけて良かったです。

あとがき

オペラ鑑賞後、我々相澤ゼミ一行は15分から20分程度喋りながら新宿駅まで徒歩で向かいました。駅に到着し、僕はすぐさま帰ろうと改札に向かうと、とある後輩から声を掛けられました。「衞藤さん、このあと時間ありますか?」声をかけてきた人物は、僕がこのゼミで一番仲が良いといえる後輩でした。「これはまさか、この後ご飯にでもいくつもりなのか?」と僕は危険を察知しました。早く帰りたい気持ちと「仲の良い後輩からの誘いは断りたくないなあ」といった気持ちのジレンマから、生返事になってしまいました。するとすかさず、もう一人の後輩が声をかけてきました。この人物は僕がこのゼミ内で最も恐れている人物で、まるで僕が隙を見せた所にすかさず声をかけてきたかのような、あざやかすぎる手口で「衞藤さん、このあと時間ありますか?」と言い放ちました。後輩とは言え、僕はこの2人のコンビにはとある事情から逆らえません。「しまった。これでは断れないぞ。」と困惑してしまい、挙句の果てには今晩自宅で食べようと思っていた鍋を蹴って、2人とご飯へ行くことにしてしまいました。満員電車に揺られ、池袋へ拉致された僕。なんと2軒目まで行ってしまいました。2人の僕に対する質問を華麗に避け、アルコールの力を借りて素を曝け出し、2人の様子も伺いながら楽しみました。ですが、つい調子に乗ってしまい日本酒やレッドブルサワーを沢山飲んでしまいました。仲の良い後輩はお酒があまり飲めないタイプなので、割り勘にしたことを後になって悔やみました。最も恐れている後輩は僕と同じくらい飲んでいたので、改めてその恐ろしさを痛感しました。この人に飲まされてしまったといっても過言ではありませんので、責任を擦りつけたいです。18時を指していた時計も気づけば22時になり、解散。帰宅した僕は、レッドブルサワーによるカフェインのせいか全く眠れませんでした。目を瞑り、瞼の裏にその日の出来事を思い浮かべていると、僕はあることに気が付きました。3人で飲んでいるときに、一度もオペラの話をしていなかったのです。この事実に気づいたことで、僕はより一層眠りに入ることが困難になりました。人見知りの僕でさえ、例えば女性と映画を2人で観に行った後にご飯に行くなら、先ほど観た映画を中心に話を展開させます。そういうのが無かったのです。3人で喋る分には最適且つ一番ホットな話題なのに、なぜ誰も喋らなかったのか。あの2人がオペラを観て何を思ったのか。なぜわざわざ僕を誘ってきたのか。多くの謎が謎を呼び、鋭いメスも入れない程に複雑に入り組み、絡み合っています。僕はこれを逆探偵ナイトスクープ現象と呼ぶことにします。

多くの思い出が出来て、二度おいしい一日となったことは間違いありません。自費ではなかなか行くのが憚られますし、自分のような者が踏み入れていいものなのかと偏見によって悩まされていた私ですが、オペラに対するイメージがガラリと変わり、とても楽しかったです。美術館やオーケストラをはじめ、文化的なものや高貴なイメージのあるものに触れあえる機会が多い点は、このゼミの素晴らしいところだと思います。そして、素晴らしい仲間に巡り会えたことはこのゼミに入ったからこそだと思います。

長文失礼しました。

2025年1月30日木曜日

熱海でゼミ合宿

1月30日からの二日間、熱海でゼミ合宿を実施しました。今回も夏に引き続き、経済学部の中村ゼミと合同で、計八名の学生が参加しました。

ちょうど咲き始めた熱海桜
まずは昼過ぎに熱海駅前で集合して、海まで散歩したり、早咲きの熱海桜を眺めたりと散策を楽しみました。

その後、網代にある宿に移動し、勉強会を行いました。勉強会では、相澤ゼミの卒論執筆者から卒論報告を、中村ゼミからはゼミレポート報告をしてもらいました。質疑応答も盛り上がり、よい学びのまとめになったと教員は感じました。

勉強会が終わった後は、温泉に食事、そしてお酒を楽しむ時間に。おしゃべりは真夜中過ぎまで続いたようです。

翌日は宿で解散し、希望者は熱海のMOA美術館で芸術に親しみました。快晴に恵まれ、景色も満喫できたようです。

相澤ゼミでは、今年度初めて、夏と冬に合宿を実施しました。学習とゼミ生の親睦を深めるよい機会となりました。来年度以後も、実施できればと思います。

2025年1月15日水曜日

2024年度 後期第14回

 担当教員の相澤です。授業最終回の今日は、恒例となっている個人面談と「相澤ゼミの本棚」作りを行いました。

真剣に作業する面々。
個人面談では、一緒に今季の振り返りをしました。相澤ゼミでは、毎回一冊本を読んで発表しなければならず、こなすのはなかなか大変です。一年頑張ったゼミ生には、その頑張りと身につけた力に自信を持ってほしいと伝えました。

個人面談と並行して、ゼミ生たちは、今学期に読んだ新書の中からおすすめの一冊を選んで、POPを作りました。完成したPOPを使った「相澤ゼミの本棚」は、3月後半に開始予定です。

今季の授業は終わりましたが、課外活動という形でもう少しゼミ生の活動は続きます。最後まで、楽しみたいと思います。

完成したPOPたち。
「相澤ゼミの本棚」をお楽しみに!

2025年1月8日水曜日

2024年度 後期第13回

こんにちは、経営学部2年のMです。新年明けましておめでとうございます。今年も相澤ゼミブログをよろしくお願い致します。今回はF班の発表を紹介します。

Hさん 西岡壱誠『東大生と学ぶ語彙力』ちくまプリマー新書、2023年
 本書は、語彙力の意味とそれを身につけるために大切なこととは何かを論じています。
語彙力とは、日常生活の中での基礎であると著者はいいます。また、その学び方について、丸暗記ではなく自分で意味を理解した上で人に説明できるようにまでならなければならないとも語っています。そして、分からないことはすぐに調べるようにすべきだとも述べています。
 語彙を学ぶ中で、似たような漢字なのに意味が異なるものに出会う場合があります。
その例として「信用」と「信頼」が挙げられます。一見すると全く同じような意味に思えますが、実は全く異なるものだと筆者はいいます。「信用」は過去の客観的事実を信じることであり、「信頼」は未来の物事について信じることだと筆者は述べます。
 また、もうひとつの例として「偏在」と「遍在」が挙げられます。こちらは両方「へんざい」と読みますが、その意味は全く逆のことを示しています。「偏在」は偏って存在することであり、「遍在」は満遍なく存在することを意味しています。
 語彙をつけるためには、日常会話の中から言葉を学ぶことが大事だと筆者はいいます。私はHさんの発表を聞いて、日常の中で誤用してしまっている漢字があるかもしれないと改めて感じました。普段の生活から語彙を学ぶ姿勢を心がけたいと思います。

M 藤田政博『バイアスとは何か』ちくま新書、2021年
本書ではバイアスの定義、バイアスの例やその内容について詳しく書かれています。
 バイアスとは、認知のゆがみのことを指します。認知とは我々が五感を通して外界を認識することであり、それが我々の意識や感情によってゆがむことをバイアスといいます。
 著者によれば、バイアスの研究に大きく貢献した人が二人います。ダニエル・カーネマンとエイモス・トヴァースキーというイスラエルの心理学者です。私は彼らの研究から興味深いバイアスをふたつ紹介しました。ひとつが「プロスペクト理論」です。これは彼らの業績の中で特に有名な理論です。利益と損失から生じる感情の大きさについての研究です。例えば、今から1000円得られると思った時の喜びと、1000円失うと思った時の痛みの大きさを比べると、失う痛みの感情の方が大きくなると彼らの研究ではいいます。金銭の数値の変動は同じですが、私たち人間は既に持っているものを失うことにより大きく感情を動かすようにできています。
 もうひとつが、「代表性ヒューリスティックス」というバイアスです。私たちは合理的に適切な確率よりも、「それっぽさ」を重視してしまう傾向があります。ある事故を例にあげると、タクシー会社の車両が轢き逃げを起こしました。事故が起きた市内にはグリーンとブルーの二つの会社があり、グリーンが85%、ブルーが15%を占めています。目撃者情報によると車両はグリーンであるといい、目撃者の情報の正確性は80%だといいます。この場合多くの人は目撃者の情報を信じ、事故を起こした車両をブルーだと思ってしまいます。その前に基準となる市内のタクシー会社の占める割合を無視してしまうのです。
 バイアスを受けないようにすることは意識していてもとても難しいものですが、予めバイアスの知識を持っておくことでバイアスに惑わされにくくなるといいます。バイアスに関する知識を知ることも大切だと思いました。

今回は2人のみの発表となりましたが、生活に根ざしたジャンルが多く聞いていて興味深かったです。次回は相澤ゼミの本棚作りを行います。

2024年12月27日金曜日

課外活動:アーティゾン美術館訪問

年の瀬も押し迫った12月27日、ゼミ生有志とともに、東京駅近くにあるアーティゾン美術館を訪問しました。参加者に感想を寄せてもらいました。この美術館、学生は無料です。ぜひ気軽に訪れてほしいと思います。

Cさん

美術館の創設者・石橋正二郎氏の
胸像とともに
美術館を訪れてみての感想は、正直何を感じ取れば良いのか分からないと最初は思っていたが、絵や作品を通して、なぜこの人はこのような表現をこのようなやり方でするのだろうと考えるようになった。また、自分が直感的にいいと思った作品探しに時間を当てるようになった。特に6階のフロアにあった「めくる装置、3つのヴェール」と5階のフロアにあった「バルコニーの女と子ども」は、なぜ良かったのかと聞かれると言語化はできないが、心から感動する何かがあったことは確かだった。いずれにしろ美術館に行くこと自体が初めてだったので、様々な文化や思想に触れることができて良い経験となった。

Eさん

僕の人生で初めて美術館に行きました。学校で行く機会がなかったので、今後も縁がないものだと思っていました。

ゼミ生全体の人数が13人。今回の参加者は2人。(当日欠席が2人)参加希望者は4人なので全体の約3割。参加者のみで数えるなら、2人なので全体の約1.5割。ちなみにもう1人の参加者は美術館を間違えていたので、参加者数を1人にした場合は約0.8割。偏差値の低い高校が定員割れしたみたいな数字です。視力ならまあ普通くらいの数字です。

こぢんまりとした感じでした。(これはこれで結構よかったです)今回の展示で、私は絵画をじっくりと見ました。理由としては、絵を描く事が趣味なのが大きいです。画家によって絵のタッチが異なる点、「紙の材質も全然違うんだなぁ」と、鑑賞素人なのでとりあえず視界に映るありったけの情報を言語化して楽しみました。

私が印象に残っている絵画はエドワード・マネによる自画像です。写真を撮ったので添付しておきます。(撮影許可あったはずです)

なぜこの自画像が印象に残ったかというと、頭のてっぺんから足のつま先まで、等身大の自身の姿を描いているように見えたからです。突飛なデザインで自身をデフォルメしていない点は、正に自画像っぽくて好印象でした。(デフォルメされてても印象悪いとは思いませんが)当時は鏡を用いて自身を描いていた様なので、『ありのままの姿』感が凄く伝わってきました。それに追随するように、紹介文で「作者は生前、親しい間柄の人にしかこの絵を見せなかった」とありました。私の中でより一層、絵に『ありのまま感』が深まりました。

この世を去った後、遠い先の異国の地で、遙か未来の人間に見られている事を知ったら、作者はどう思うのかを考えてみたり。絵を見て色々考える余地が生まれる事を自分に教えてくれた気がしたので、思い出深い絵になったと思います。(思い出と言うにはまだまだ時間は経ってませんが)

絵画を広く見渡していると、「これは俺でも描けるだろ」みたいな絵をちらほら見かけました。美術作品を鑑賞する素人感がてんこもりな自分を恥じました。私は私で、ありのままの自分を受け止めます。これくらいなら親しい間柄じゃなくても全然バレていいです。

2024年12月18日水曜日

2024年度 後期第12回

こんにちは、経営学部3年のKです。12月に入り、銀杏の葉が黄金色に染まり、そして静かに散りゆく様子に季節の移ろいを感じています。さて、今回のブログでは、ゼミ活動の一環として行った映画鑑賞とディスカッションについてお伝えしたいと思います。

◯映画『ズートピア』を鑑賞して

第11回のゼミでは、ディズニー映画『ズートピア』を鑑賞しました。この映画は、動物たちが共存する理想の都市「ズートピア」を舞台に、多様性や偏見と向き合う物語です。今回私たちは、前回の映画鑑賞をふまえて班ごとに感想を話し合い、その内容を全員で共有しました。

『ズートピア』は一見すると可愛らしい動物たちの物語ですが、その裏には現代社会に通じる深いメッセージが込められています。班のメンバー全員が、それぞれの視点からテーマを捉えており、議論が非常に盛り上がりました。以下は、私たちの班で話し合った内容をまとめたものです。

◯映画を通じて感じたこと

まず、班内で最も多く挙がった意見は「差別や思い込みの怖さ」についてでした。映画では、主人公ジュディが「ウサギだから警察官には向いていない」と偏見を持たれたり、肉食動物が「危険な存在」と一方的に見なされる場面が描かれていました。このような描写を通じて、私たちは「無意識のうちに相手をカテゴライズしてしまう怖さ」を改めて考えさせられました。一人のメンバーは、「日常生活でも、外見や職業、背景だけで相手を判断してしまうことがある」と自身の経験を例に挙げていました。例えば、初対面の人と話す際に、先入観が邪魔をしてその人の本質を見抜けなかったことがあるといいます。この話題をきっかけに、「偏見を持たないためには何ができるのか」というテーマで議論が展開しました。

―偏見をなくすためのヒント

班内で意見交換をしていく中で、「偏見をなくすためには、まず自分が持つ思い込みに気づくことが大切だ」という意見が挙がりました。映画の中で、ジュディが肉食動物への偏見を反省し、自らの考えを改めるシーンが特に印象的だったというメンバーもいました。私たちは、自分自身の中にある無意識の偏見や固定観念に向き合うことが、より良い人間関係を築く第一歩だと感じました。また、「対話の重要性」についても話題に上がりました。映画では、ジュディと相棒のニックが互いの過去や考えを理解することによって信頼を深めていく場面があります。このように、相手の立場や背景を知ろうとする姿勢が、偏見を取り除くきっかけになるのではないか、という意見が出ました。特に、メンバーの一人が「普段は気づかない相手の視点を知ることが、自分の考えを広げるきっかけになる」と発言したのが私の印象に残っています。

◯感想共有を通じて得た気づき

班での意見交換を終えた後、感想を全体で共有する時間が設けられました。他の班からも「多様性の尊重」や「理想の社会を実現するための努力」といった意見が挙がり、非常に充実したディスカッションとなりました。その中で、映画を観るだけで満足せず、そのメッセージをどのように日常に生かすかを考えることが重要という意見を聞いて、これまで以上に深く映画を受け止めることができました。

◯最後に

今回の活動を通じて、映画がもたらす感動や教訓を共有することで、新たな視点や考え方を得ることができました。

『ズートピア』は、ただ楽しむだけのエンターテインメント作品ではなく、私たちに多くのことを考えさせる力を持った作品です。班での意見交換を通じて、自分一人では気づけなかった映画のメッセージに触れることができ、とても貴重な経験となりました。

ゼミの活動も残りわずかですが、今回のように仲間たちと意見を交わしながら学びを深めていきたいと思います。そして、映画で得た気づきを、これからの日常生活やゼミ活動にも活かしていければと考えています。

2024年12月7日土曜日

総合教育演習 ゼミ報告会で報告しました。

 担当教員の相澤です。12/7土曜日に総合教育演習のゼミ報告会が開催されました。教養のゼミが学習の成果を報告する年に一回の機会。相澤ゼミも参加しました。

私たちはテーマを決めて研究を行なってはいないので、研究発表ではなく、普段の活動を紹介する報告を行いました。一ヶ月ほど前からゼミ内外で報告の準備を進め、特にスライドの内容や発表のやり方、質疑応答の訓練はギリギリまでブラッシュアップを試みました。

緊張していた発表担当の三名でしたが、本番では華麗にスライドを操り、滑らかにゼミの魅力を伝えてくれました。たくさん質問をいただき、それにも卒なく答えることができました(たくさん想定質問を考えていたのですが、全然当たりませんでした...)。

担当教員としてもとても誇らしい出来でした。やり切った発表者たちは達成感を感じていたように思います。それを支えたチームワークにも拍手したいと思います。頑張った皆さん、お疲れ様でした。

2024年12月4日水曜日

2024年度 後期第11回:ゼミ報告会の準備

 こんにちは。3年のCです。皆さんいかがお過ごしでしょうか?天気の話題もありきたりで飽きてきたので少し別のことをお話しようかなと思います。皆さんは、1年の最後の祝日が11/23の勤労感謝の日だということはご存知でしたでしょうか?私は休みの日に非常に敏感なので、毎回確認していますが、なんと今年は祝日と土曜日が被ってしまったようです。勝手ながら1人でショックを感じています…笑。依然として寒さは続きますので、体調にはくれぐれもお気をつけてお過ごしください。

さて、12/7にゼミ報告会が行われる予定で、相澤ゼミも参加します。今回のゼミは、報告準備の話し合いを行いました。

前半は、小グループに分かれて作業しました。2、3年生が、自分が用意してきたスライドについて意図や狙いを報告しました。それを受けて、よりよいスライドにするためのディスカッションをしました。

私たちのグループでは、「読書のゼミだから、文章を縦書きにしてスライドを作るのが良いのではないか」という意見が出ました。また、見やすさを重視して年間スケジュールを入れる提案も出ました。それぞれの意見を交換することができたので、お互いの意見の共有にも繋がりました。

後半は、来週の予定とスライドの内容決め、また役割としてスライド作成班と発表班に分担をしました。皆がそれぞれの意見を持っているので、ゼミ生同士で1つのものに擦り合わせる良い機会となりました。また、盛り込む内容に関しても、「新書の発表の例を出したら良いのではないか」や「新書ってそもそも何だろうか?」といった話し合いもあり、聞き手に配慮する姿勢も見受けられました。

残り、約2週間で発表を迎えますが、ゼミ生同士で1つのものを協力して作り出す作業は久々だったので、非常に新鮮味を感じました。また、作業の中で話し合いなどの交流もあり、ゼミ生同士がより考えを1つにまとめられる活動となりました。

2024年11月27日水曜日

2024年度 後期第10回:卒論報告

 こんにちは、現代法学部4年のMです。12月に突入しました。キャンパス内の銀杏の葉っぱはゆっくりと色づき、そしてあっという間に落ちていきました。落ち葉の道を友達と歩くと、とても満たされた気持ちになります。さて、11/27のゼミでは、私たちは、去りし12月7日に開催されたゼミ報告会に向けて、準備を進めていました。また、卒論の中間報告も同時間に行いました。今回のブログでは、そんな盛りだくさんのゼミの様子をお届けします。

最初に、卒論の中間報告についてです。今年度の相澤ゼミでは、2名の4年生が卒論を書いています。

1人目の報告者は、Kさん。研究テーマは「現代社会の引きこもりについて(仮)」。はじめに、引きこもりの定義が説明され、次にその現状や性別、年齢層などの情報に加え、「引きこもりの背景」、「引きこもりの当事者が求めていたこと」など、具体的な研究内容が報告されました。私がその中でも特に関心を持った点は、「引きこもりが先進国において多い」というデータです。日本では珍しくない社会問題として、日々、取り上げられる引きこもり。自分の暮らす国で問題になっていることに、普段は気を取られがちの私ですが、Kさんの報告で、国によってその人口差があることを知り、改めて先進国の負の側面を認識しました。

質疑応答の時間では、多くの質問が寄せられていました。その中には、次のように、引きこもりの深い部分を突くものもありました。

「そもそも引きこもりはどうしてダメなのか。」

その問いに対してKさんは、「引きこもりは本人にも家族にも辛いから」と答えていました。望んで引きこもりになった訳ではない当事者からすると、形容し難いもどかしさ、そしてその様子と毎日向き合う同居者にとって、その現状から一刻も早く抜け出したいと考えられると、私も思います。

最後に、Kさんはこれからの課題を一つ挙げました。引きこもりという現象には、多くの要因が絡み合っています。このような複雑な社会問題を扱うにあたって、取り扱う対象の限定する必要があります。そのため、今後は、論点を絞って卒論を書き進めていくそうです。


続いて、今回ブログ担当の私も卒論を書いているため、中間報告を行いました。テーマは、「あとがきのススメーその刺激と読書へのさらなる効能ー」です。「あとがき」について、自身の読書体験を元に研究しています。その目的は、「本編とは異なる立ち位置にある「あとがき」がもたらす読書時間の効能を探るため。」と設定しています。

主な作業としては、新書とエッセイ、5冊のあとがきを取り上げ、4つのスタイルに分類しました。その共通点を軸に、あとがきから感じ取れる、作家さんの個性や文体、感情を読み解いています。

発表の後、Kさんと同様に質疑応答、その他のコメントを頂く時間がありました。

私は1人のゼミ生からの、「客観的事実はどのように取り入れようと考えていますか。」という質問で特に悩みました。前述したように、個人的な読書体験を元に卒論を書き進めていたため、客観性については考えていませんでした。しかし、そのあとに他のゼミ生からの「自分は、あまりあとがきを読まない」というコメントから、自分の体験とは異なる読書時間もあることを踏まえて、あとがきについての考えをさらに深めていこうと気づくことができました。


 さて、次は12月7日に行われるゼミ報告会の準備です。相澤ゼミでは、2、3年生が主体となって本番に臨みます。パワーポイントの資料を作成する班、当日に壇上で報告をするメンバーに分かれて作業を進めています。

この日は、担当のゼミ生が作成してきたパワーポイントについての確認を行いました。相澤ゼミの基本的な情報や、活動内容、どんなことが身についたのか、などといった内容を先生と共有し、足りない部分のコメントをいただきました。特に、私たちが普段している新書報告の具体的な方法が、内容から抜け落ちていました。その点を次回のゼミまでに補い、全体の内容を通して、本番同様の発表ができる資料の作成、つまり完成形が来週までの課題となりました。

私たちは普段、個人で読んだ新書を個人で報告しています。ゼミ生同士での本格的な共同作業は、今回が初めて。ゼミ生同士お互いに探り合いながら、協力し頑張っています。

 ゼミも残すところ約2ヶ月、季節の早さを実感します。課外活動を含めた残りのゼミの時間も、今まで以上にしっかりと味わっていこうと思います。

2024年11月13日水曜日

2024年度 後期第8回

 こんにちは、経済学部2年のHです。葵祭も終わっていよいよ年末に近づいていますね!今回はE班の発表を紹介します。

Iさん 榎本博昭 『「対人不安」って何だろう』2018年

本書は、人と接する際に不安を感じる「対人不安」について、原因や事例を踏まえながら解説し、克服する方法を提示しています。

「対人不安」とは、人と接する際に、不安に感じることを指します。例えば、人とうまく話せなかったり、嘘がばれるのを恐れて、相手の言動に気を遣うなどといったことが挙げられます。著者は、人は皆、この「対人不安」を持っていると主張しています。原因は、何か自分が放った言葉で相手に見下されるのではないかと余計見栄を張ることで、気まずくなってしまうところにあるそうです。また、「対人不安」は日本人に多いようで、場所によって一人称が変わる「自己盤面依存症」というものが存在しています。

 「対人不安」を克服する方法は、自分をあまり意識せず、受け止めて他人に全力で興味を向けるべきだと主張しています。Iさんは性格的にすごく人に興味を持っていて、思いついたらたくさん質問をしてしまうようです。Iさんは、この「対人不安」を克服するコツとしてコミュニティに入って人と関わり続けたり、たくさん質問する練習をするのが良いのではないかと話していました。

 私は人と話す際にはこのような不安を感じてしまいます。Iさんの発表を通じて、私は「対人不安」を克服するためのヒントを得ることができたと思います。積極的に実践していきたいです。

Kさん 河合雅雄『不思議の博物誌』 中公新書 2003年

 本書は、身近な疑問や生物の営みなど32の小話で構成されています。その中からKさんは2つの話を選んで発表してくれました。

 1つ目はシングルライフとレイプです。この話ではオランウータンの生態について述べられています。オランウータンを含むサルは単独居住型と集団居住型に分けられます。オランウータンは、前者に該当し、行動範囲を縄張りとし、オスメス関係なく自由な点が特徴です。タイトルのシングルライフはこの単独居住からきているそうです。オランウータンは賢くて、がたいが良いのが特徴的ですが、時にはレイプと呼べる行動をするようです。メスのオランウータンは今後どうなるかわからない若いオスの個体を嫌います。つまり、エリートの遺伝子を求めると考えることができます。それに抗う形で、オスはレイプし、交尾をするそうです。

 2つ目は人とアリの資源管理です。人はモノや生き物の管理をしっかりやっていますが、アリも同様にしっかり管理をしているようです。人間は仮にその管理に失敗したとしても他の物に代えれば良いので自然淘汰されにくいとされています。一方、アリはアブラムシと共生関係にあり、アリがアブラムシを守っています。しかし、アブラムシを守っていく上で、蜜の配分などを間違えてしまうと自然淘汰されてしまいます。そのため、間違えても自然淘汰されない人間に比べて、アリのほうが資源管理が上手いと言われています。

 本書を読んだKさんは、身近なものをもっと知ったうえで、教養を深めていきたいと感想を述べていました。私も生活をしていく中で、知らないことに目を傾けてみたいと思いました。

 今回は2人が欠席となってしまいましたが、とても話題が豊富な発表を聞くことができました。身近な生活に今回聞いたことを活かしていきたいですね!次回はゼミ報告会に向けた準備の様子を紹介します。



2024年11月6日水曜日

2024年度 後期第7回

こんにちは。経済学部3年のEです。このブログのオープニングトークといえば決まって天気の話題、もしくはお洋服の話題になりがちです。この2つの話題は使い勝手が良いですからね。さて、後期の授業もそろそろ折り返しに差しかかりますね。時期的にも天気のお話は既に出し尽くしてしまったのではないでしょうか。では、「どのような話題が次からのブログのオープニングを飾るのか」を考えようとした僕ですが、ものの10分で諦めました。そして気が付きました。今回は「お洋服の話題で話を膨らませればいいじゃないか」と。早速、最近の服選びについて話そうかなと考えた僕ですが、「そろそろオープニングが長すぎるので本題に入るべきじゃないか?」とも思い、キーボードから手を離し、考える事をやめました。

今回から新書報告の2週目に入りました。今回はD班の新書報告となります。


Mさん、中原翔『組織不正はいつも正しい ソーシャル・アバランチを防ぐには』光文社新書、2024年

本書では、日本国内で実際に発生した不正事件を例に挙げながら、著者自身の不正に対する見解が述べられています。

著者によれば、不正の対義語である「正しさ」は、大きく分けて「固定的な正しさ」と「流動的な正しさ」の二種類があります。固定的な正しさには、不正が起きやすい特徴があります。その理由は、トップに立つ人が変わらないことによって考え方が固定化し、現場の人間や部下が異議を唱えても改善されないためです。これにより、不適切な状態が放置され、不正が発生しやすくなります。一方、流動的な正しさでは不正が起きにくいです。例えば、性別や国籍に関係なく多様な人材がトップや経営陣に加わることで、さまざまな視点が取り入れられ、組織の風通しが良くなるためです。その結果、不正の発生を防ぎやすくなるのです。

不正はよくありませんね。最近はChatGPTを筆頭に、生成AIがより身近になった気がしています。レポートをAIに書かせるような良からぬ輩もいるようです。まあ正直に言うと、僕も使いたい気持ちはあります。なぜ使わないのかというと、僕が普段書くような文章と、AIが書くお固い文章は明らかに違うのです。勿論、レポートなど、自分の個性を出す事が、心なしか憚れる様な場面では使いませんよ。でも、なんだか自分で見てて気持ち悪いなぁと思うのです。それだけの話です。つまり言い換えれば、僕の文章を完璧に再現してくれるAIが出現した場合、僕は手を出しかねません。(ちなみに、自分の文章をAIに読み込ませ、こんな形で文章を書いて、とでも頼めば恐らく再現可能です。)冒頭で「レポートを生成AIに書かせるような良からぬ輩がいるようです。」とかボヤいておきながら、僕も良からぬ輩とは然程遠くない位置にいるんです。「不正をして楽をしたい。」誰もが一度は思いつくのではないでしょうか。僕はそれでも決して、行動に移したりはしません。なぜなら、僕は誠実な男だからです。口にも行動にも出さず、こつこつやっていれば、周りは勝手に誠実で真面目な人間だと思い込むのです。心の中は、やましい気持ちでいっぱいなのに。でも、それでは本当に誠実な人間が損をしてしまいます。だから僕は、僕のことを「誠実で真面目だね」と勘違いして褒めてくれる人間に、こう言ってやるのです。「まさにその通りです。なんとお目が高い!」とね。不誠実な心を持ちながらも行動に出さない僕のような人間は、本当に誠実な人間が損をしないような居場所を作ろうではありませんか。

この文章を読んで心が動いてしまったそこのあなた。(そんな人いないと思いますが)斜に構えて文章を読むことをお勧め致します。要するに、僕は「本当は不正をしてでも楽をしたい。でも、そんなことをする勇気が無い人間」なのです。ただの腰抜けです。腰抜けは今日も、自分をよく見せるために長ったらしい文章で誤魔化し、取り繕うのでした。


Cさん 太田肇『ムダな仕事が多い職場』ちくま新書、2017年

本書は、日本企業に存在する無駄な仕事の多さに注目し、欧米企業との比較を通じて日本企業の問題点を指摘しています。

まず、欧米企業の特徴は組織としての存在を保ちながらも、個人の成果に焦点が当てられることです。また、年功序列のような縦の関係に縛られない側面があります。一方、日本企業では上下関係が明確で、個人よりもチームで成果を上げる協調性が重視されます。

著者は「マイクロ化」に触れ、日本企業における無駄の多さを指摘しています。たとえば、企業に送るメールの文章作成に過剰に時間をかけることなどが挙げられます。売上や業績に直結しない作業が増え、結果的に仕事量が膨大になる傾向があるのです。

欧米やその他の国々と日本では「完璧」の定義に違いがあります。欧米企業は合理主義を重視し、効率を最優先します。そういった国では、製造部品に多少の傷があっても実際の使用に問題がなければそのまま出荷することがあります。これに対し、日本企業は精神主義に基づき、部品に傷がある場合は全品回収するなど、時間と労力を惜しまない姿勢を取ります。

上記のような完璧の定義の違いで、僕はひとつだけ、思い出した事があります。小学1年生の頃、僕は毎日のように、テープが擦り切れるほど「トイ・ストーリー」を見ていました。(僕の家はレコーダーなので擦り切れませんが。)それは、僕が一番好きな「トイ・ストーリー2」を初めて観た時の事です。主人公のウッディが飛行機に乗り込む場面です。乗客の荷物が積まれる場所から乗り込むのです。このシーンで、搭乗員が乗客の荷物を積むのですが、信じられないくらい雑に放り投げるのです。ご丁寧に、荷物の中にあるガラス製品らしきものが割れる効果音付きです。有難いことに、幼少期から飛行機への搭乗機会に恵まれていた僕は、子供心に「もう二度と飛行機なんて乗ってたまるかよ。」と強く思ったことを覚えています。勿論、日本でそんなことはありませんけどね。これも他国との完璧の違いでしょうか。…じーっくり考えました。全然違いますね。これはカルチャーショックに近いかもしれません…。


Tさん 貞包英之『消費社会を問いなおす』ちくま新書、2023年

まず、消費社会とは「産業が高度に発達し、生きていく為に必要な消費だけでなく、文化的な欲求を満たす為の財やサービスの消費などが大量に行われる社会」を指します。つまり、生活に最低限必要な衣食住だけでなく、推しや趣味といったような、生活レベルより余剰な消費を沢山する社会です。著者は、消費社会の本質的な姿や、消費社会が抱える問題に向き合いながら、どのようにして消費社会を維持していくかを論じています。

消費には「合理的な選択」と「非合理的な選択」が存在します。例えば、生活必需品を購入するのは合理的な選択と言えます。一方、アイドルの握手会に参加するためにアルバムを大量に購入したり、ギャンブルにのめり込んだりするのは非合理的な選択と見なされる場合があります。非合理的な選択が貧困を招くこともありますが、それは個人の自由であると著者は述べるのです。そして、「豊かになる自由」があるならば、「貧しくなる自由」もまた保障されるべきだと主張しています。

たとえば、国家がすべての世帯に一軒家、家具、安定的な食事を提供する代わりに、自由に使えるお金を制限したとします。この場合、人々の生活水準は平等になるものの、個人が自由に楽しむ余裕が奪われてしまいます。それは、物質的には豊かであっても、人生の充実が得られるかは疑問が残ると言えるのです。消費には格差を生む側面があるものの、個人が好きなものを買い、自由を享受できるメリットも存在します。著者は、これらの要素の間で折り合いをつけるべきだと提案しています。

消費社会には課題があるものの、「それ自体が悪ではない」というのが著者の主張です。

僕はまさしく、この消費社会に生かされている典型的な人間です。「僅か数秒でもいい。僕は推しのアイドルのお目にかかりたいのだ!!」という純粋で強い気持ちが、僕の購買意欲を刺激し、CDを大量に購入させました。今思えば、当時の僕は思春期ど真ん中の中学3年生で、とても可愛いく素敵なアイドルとまともに話すことが出来ませんでした。しかし、「受験を終えれば、あの人に会える!」という気持ちが僕を何度も蘇らせてくれたのです。単純に、生存する事のみに焦点をあてるとするなら、僕の行いは無駄な消費だと言えるでしょう。なぜなら、お金を大量に消費しただけでなく、思春期を拗らせてしまい、まともに推しと話せなかった挙句、握手すらできなかったのだから。ですが、僕はこの経験を無駄にはしなかったのです。「結局、君は何がいいたいのかな?」とそろそろ思っているそこの貴方。要は、「自由に使えるお金が無い人生なんてつまらない。みんなと同じだなんて面白くない。」と、僕は思うのです。大抵の人が同様に思っている事を、僕は長ったらしく伝えたのでありました。

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皆様、お気づきでしょうか。実はD班は全員で5人います。今回は2人が欠席なのでブログの作業量は、ほぼ半減したと言えるでしょう。正直に言うと、僕は物凄くうれしいです。しかし、僕は気づいてしまいました。なにを隠そう、実は今回のブログ担当の方も授業を欠席しており、僕は急遽代打として頼まれたのです。勿論、快く引き受けました。

一方で、本来自分がブログを担当する筈だった授業の予定を確認しました。なんということでしょう。「未定」とあり、新書報告の日ではありませんでした。(新書報告になる可能性は否めませんが。)そこで僕は考えました。「本来、僕が担当する筈だった回で書き記すブログの作業量」と「今回のブログの作業量」、果たしてどちらが多いのでしょうか。いいや、そんな野暮なことは考えるべきではありませんね。どんな仕事も引き受けたからには、きちんと誠意をもって行うことが僕のモットーです。(果たして今回のブログにおける、新書報告以外の文章が誠意をもって紡がれた文章とみなされるかはわかりませんが。そもそもこのブログって活動内容を報告するもので、僕の感想はほとんどいりませんしね。)

さて、話は変わりまして、僕がこの相澤ゼミのブログに登場するのは前期第4回以来です。実は、その回も代打でブログに登場したのです。1年に2回のみ担当することのできる相澤ゼミのブログ。その貴重な2回において、全て代打で登場したのは僕だけなのではないでしょうか。そして今回の僕のブログは、歴代のブログにおいて一番稚拙な回だったと評されるのではないでしょうか。

無名の人間が、さも自分を大きく見せているかのように、自分の事を喋り散らかしたり、意見を言ったり、面白くもないのにユーモアを交えたりすると、共感性羞恥心を覚えたり、内容によっては「こいつ、痛いな。」なんて思ったりする事って、よくありませんか?それでも今回は、そうしてみたいと思ったのです。21歳にもなって、他人の事を「痛い奴」なんて思うのは、恥ずかしいことだと、そう思ったのです。というのは綺麗ごとで、本当はまともに文章を書くことが苦手だから、自分のエピソードを交えたような、こういう戦法を取りました。いやあ恥ずかしい、恥ずかしい。

次回は、E班の新書報告です。

 

2024年10月30日水曜日

2024年度 後期第6回

ゼミ生のIです。肌寒くなってきて、いよいよ冬を感じられる時期になりました。今回は、先週みんなで読んだ『好きを言語化する技術』の実践グループワークを行いました。

私は今回ゼミ生を、好きなSNS(TikTok、Instagram、X)でグループ分けを行いました。

今回、グループワークが始まる前に、参加者は、「好き」を見つけるのが大変で、探すのに苦労していたことがわかりました。それでもそれぞれ、ジャンルは同じでも、年代や個性を感じられる「好き」が出てくるのでワクワクしていました。自分のグループでは、漫画の「銀の匙」、『MIX』『お風呂』などが挙げられました。参加者の文章スタイルは、「ガッチリとした形式的な文章」と「話し口調の文学的な表現」に分かれており、それぞれの性格が反映されていて興味深かったです。

発表では、自分の好きなことを話すのは楽しい反面、対面で話す際には相手が疲れないよう、内容をコンパクトにまとめる意識が、必要だと感じました。文章においては、好きな表現や漢字を自由に使えるため、自己理解が進み、自分に対する柔軟な見方ができるようになると感じます。

発表後に、発表者の言葉を言い換えて伝えることで、発表内容への理解を深める、良い練習になりました。また、好きなアーティストや漫画などをただ紹介するだけでなく、「どう感じたか」「いつ楽しむか」「誰からすすめられたか」なども含めると、聞き手も質問しやすく、場がさらに盛り上がるのではないかと感じました。

これからは、発表内容に対して、質問や共感を引き出しやすくするために、話の幅を広げたり、背景や個人的な感想を交えたりするのが、効果的だと思います。聞き手側も、発表内容に対して質問をすることで、会話を盛り上げ、発表者の視点をより深く引き出すことができると思います。

2024年10月23日水曜日

2024年度 後期第5回

こんにちは、経営学部4年のTです。朝晩は冷え込みますが、昼は日差しが暖かく洋服選びが難しい季節です。脱着のしやすい上着の出番ですね。後期第5回目は、先生が指定した本を読む特別編です。前半となる今回は、三宅香帆『「好き」を言語化する技術』でグループワークを行いました。

 最初のグループワークでは、『「好き」を言語化する技術』を読んで印象に残った部分や共感した部分を共有しました。同じ班になったSさんは、「普段は相手の意見に合わせがちだけど、自分の意見を持っていいんだと思った」といいます。人から否定されることを恐れて自分の「好き」を表に出さないSさんですが、本書の「推しと自分の間に、他人を介在させない」「みんなと違う意見だと分かったうえで書く」などの言葉を見て自分の意見を持っていいと感じたそうです。

私は本書の中で「相手との情報格差を埋める」という指摘に共感しました。他人の話を聞く時、知らない人物・単語・想像できない状況が出てきてしまうと、話についていくことができず退屈になってしまう場合があります。相手に楽しく話を聞いてもらうためには、必要な情報をコンパクトに伝える必要があると考えました。

 班替えをした後に臨んだ二回目のグループワークでは、先生が提示した二つのお題をもとに話し合いを行い、ゼミ生全員でシェアしました。一つ目のお題は、「好きを言語化する意義」です。私の班では、自己理解・自己肯定感につながる、人生の豊かさを再認識できる、などの意見が出ました。自分の「好き」を理解することが、趣向や性格を理解することに繋がるという考えです。他班では、「外に発信することで他とのつながりを得る」などの意見が出ていました。SNSで簡単にコミュニケーションが取れる時代、推しを語ることで生まれるコミュニティーは少なくありません。

 二つ目のお題は、「好きを言語化するための技術集」です。本書で挙げられていた好きを言語化するためのテクニックの中から、重要と考えるものを話し合いました。私達の班では好きの言語化を三段階に分けて考えました。

 第一段階...感情をメモする、問いで始める、伝える相手を決める。

 第二段階…とりあえず最後まで書ききる、自分の言葉で書く。

 第三段階...見直し、修正を行う。

他にも、感想を具体的に言語化する等の意見が出ました。これらの技術を取り入れ、好きを言語化していきたいです。


次回は、今回のグル―プワークを基に各々の「好き」を文章にして共有するワークを行います。どんな「好き」が出てくるのか楽しみです。

 

2024年10月16日水曜日

2024年度 後期第4回

 こんにちは。経済学部2年のKです。最近は秋が来たかと思えば、暖かい日が続いたりお洋服選びが大変です。早く可愛い長袖のお洋服が着たいですね。今回は、F班の発表をご紹介します。


Hさん 斎藤兆史『これが正しい!英語学習法』ちくまプリマー新書、2006年

本書では、英語教育の専門家である斎藤氏が、実践的な英語学習法を紹介しています。

英語教師としての経験も持つ著者は、受験英語に対して批判的な視点を示しつつ、効果的な英語学習の本質を探っています。 著者は英語学習には「大道」と「承継」があると言います。「短期間で英語をマスターできる」といった宣伝文句に惑わされることなく、基礎を着実に築くことの重要性を強調しています。 また、本書で紹介されている学習法は、継続性と実践が大切だと言います。そのため、毎日の学習習慣を確立し、音読や書き取りなど、実際に声を出したり手を動かしたりする活動を重視しています。これらの方法は、単に知識を蓄えるだけでなく、英語を実用的なスキルとして身につけることを目指しています。

報告を聞いて、受験勉強や、資格勉強においても大切なのは継続することだと感じました。


Sさん 中尾政之『失敗は予測できる』光文社新書、2007年

本書は、工学的観点から失敗のメカニズムと予防策を詳細に解説しています。工学部教授である著者は、ジェットコースターの部品など具体的な事例を用いて、実際に起きた事故や事件を分析しています。 著者の研究によると、失敗の96%は事前に防ぐことが可能であり、予測不可能なものはわずか4%に過ぎないとのことです。つまり、ほとんどの失敗は適切な予防策を講じることで回避できるのです。 本書で強調されているのは、失敗を防ぐために具体的な対策を事前に講じることの重要性です。著者は「第三構成要素」という概念を提唱しており、これは失敗する前に打開策を考える能力を指します。この能力を養うことが、失敗を回避するための重要なコツだと言います。

「第三構成要素」というワードを聞いて、失敗をマイナスに捉えすぎないことが大切だと感じます。失敗してからどう行動するか、どう次に生かすかがマイナスに捉えないコツだと思いました。


Mさん 上田一生『ペンギンの世界』岩波新書、2021年

本書では、ペンギンの生態について解説されています。中でも、ペンギンが羽を持ちながら飛べない理由について、興味深い説明がなされています。

著者によると、ペンギンは過去に飛ぶ能力を持っていました。

その証拠として、ペンギンの手の骨が丈夫であることや、しっぽが短いことが挙げられています。これらの特徴は空を飛ぶ能力と関連しているとのことです。

さらに、DNA分析の結果、ペンギンの遺伝子がアホウドリと非常に似ていることが明らかになっています。これも、ペンギンが飛ぶ鳥から進化したという説を裏付けています。

にもかかわらず、ペンギンが飛べなくなった理由は、その生息環境が関係しているとされています。ペンギンは主に南極という限られた環境に適応し、そこでは天敵が少なくなっていったため、飛ぶ必要性が徐々に失われていったと考えられています。

このように、本書はペンギンの進化の過程や、その特異な特徴がどのように形成されてきたかを解説していま

ペンギンの生態について調べたことはありませんでしたが、面白いですね。皆さんペンギンのおもしろ動画をよく見るそうで、盛り上がっていました。


Tさん 岩波明『精神医療の現実』角川新書、2023年

この本は、精神医療の現実と精神医療の歴史について記述されています。

その一つに女性医師の問題、医学部入試の女性差別の問題が取り上げられています。その背景には、女性が医師として働くことの難しさや医師不足があります。女性医師が増えない理由として、家事育児と常勤としての働き方の両立が困難であることが挙げられます。30代に入ると、女性医師は結婚しないか子供を持たない選択をすることが多いようです。 

また、本書では造語と誤用の問題も指摘されています。例として、PTSDという言葉の誤った認識が挙げられています。本来は死に直結するような出来事が結びつけられる言葉ですが、現代では些細なことでもPTSDと言われる傾向があるとのことです。 また、ゲーム脳の誤認も取り上げられています。ゲームは脳に悪影響があると広く認識されていますが、著者はなんでもやり過ぎは毒になると指摘しています。

本書で記述されていた通り、医療や社会全体の人材不足は深刻です。消費者が今までのサービスクオリティの見直しが必要になってくると感じました。


次回は三宅香帆さんの『「好き」を言語化する技術』の感想をみんなで共有していきます。

2024年10月9日水曜日

2024年度 後期第3回

こんにちは。経営学部2年のSです。ようやく秋の風を感じる季節となりました。寒暖差が激しく、体調を崩す人が多くなっています。体調に気を付けてお過ごしください。今回はE班の新書報告です。

Kさん 本川達雄 『ウマは走るヒトはコケる』中公新書、2024年

本書は、動物の歩行について論じています。Kさんは、動物の歩行を安定性の観点から「静的安定」と「動的安定」の二つにわけて説明していました。

ます、静的安定は、杖をついているような状態に例えられます。この状態は安定した姿勢を保つことができると述べていました。四足歩行の動物のほとんどがこの種の安定性を利用しています。

Kさんの解説に従って、実践。
また、動的安定は二足で立っている状態のことです。これは、動物は目や耳から感知する情報を活用し、継続的に動くことで安定を維持します。人間の歩行がこれに該当すると述べていました。

さらに、Kさんが歩き方について実践をしてくれました。人間は普段、「こけているような歩き方」をしていると述べていました。これは、歩行中の位置エネルギーと運動エネルギーの関係があると述べていました。

この発表を通して、散歩しながら自分の歩き方を確認したり、動物園で動物の歩き方を観察してみたいと思いました。普段している何気ない「歩く」と言う行動を、考えてみるのも良いなと感じます。


Eさん 本村凌二『競馬の世界史』中公新書、2016年

本書は、競馬の長い歴史と時代による変化を簡潔にまとめ論じています。紀元前の戦車競争から始まり、中世ヨーロッパでの発展、そして世界への伝播を説明しています。

Eさんは、昔と現代の競馬の違いについて述べていました。かつては年齢の高い馬が多く、長距離レースが主流でしたが、現代では若い馬による短距離レースが一般的になっています。これは、予測困難で面白いレース展開を求めるためです。

また、サラブレッドの血統に関する情報も述べていました。現代の競走馬は、血統を辿ると3頭の馬に辿り着くことには驚きまし
た。そして、現代の競走馬に遺伝的な多様性がみられることがわかりました。

この発表は、競馬がスポーツとしてどのように進化してきたか、そして社会の変化とともにどのように形を変えてきたかを論じていました。

今では馴染みの深いものとなっている競馬も、その歴史を辿ると、今とは違った一面を見ることができました。また、血統を辿って競馬を観るという新しい視点にも気づくことができ、競馬への見方が大きく変わりました。


そして今日は発表者が2人欠席してしまったため、授業の後半では、簡単なグループワークを行いました。お題は「日本の文化を否定する異文化の人にどのように返答すればよいのか」というものでした。僕は、文化を否定するのではなく、文化を受け入れるしかないと思いました。自分のグループ、他のグループでは、僕と同じ意見もあれば違った意見もあり、自分の考えを深めることができました。このようなグループワークは、自分の新たな視点を見つけることができるいい機会になりました。

次回はF班の新書報告をご紹介します。


2024年10月2日水曜日

2024年度 後期第2回

 こんにちは。経済学部4年のKです。10月に入り猛暑続きだった今年の夏もようやく終わりを見せています。秋の風を外で感じながら読書をしてみるのも良いかもしれませんね。さて、後期第1回目の新書報告はD班です。

Kさん 山岡淳一郎 『ルポ 副反応疑い死』ちくま新書、2022年

本書は、新型コロナウイルスワクチンの副反応で亡くなった遺族に対して著者が取材を行い、ルポとしてまとめられたものです。本書によれば、ワクチンの副反応で亡くなった人数は公表されているだけでも1900人います。しかし、その中の4人程度しか国から認められず、補償金も出されませんでした。補償金の高さや国の政策批判につながることが原因だろうと著者は述べています。


ワクチンの副反応で亡くなった方の中には若いプロのスポーツ選手もいると聞いてとても驚きました。その選手はいわゆるスポーツ心臓を患っていてワクチンにより症状が悪化しなくなってしまったようです。大きいメディアに踊らされるのではなく情報を吟味する審美眼を磨いていく必要があると、この発表を聞いて痛感しました。


Cさん 杉山尚子『行動分析学入門ーヒトの行動の思いがけない理由』集英社新書、2005年

本書は行動分析学について入門から応用まで幅広い内容が記されています。本書によれば、人の行動の要因は大きく分けて4つあるそうで、その一つをCさんは解説してくれました。それは、人は行動の結果良い反応が得られたときに、その行動を繰り返すということです。例えば、夫はいつも愚痴ばかり言うとしますそれに対して妻は毎回反応してしまいます。行動分析学的に言うと、妻が反応しているから夫は良い反応を得たとして愚痴という行動を繰り返してしまうのです。つまり何も反応しなければ、いつかは夫は愚痴を吐き出さなくなるのです。

他人を変えることは難しい事です。他人をみるより、まず自分が変えられる範囲のことを変えていけば少しは良い方向に物事が進むのかもしれません。C産の出してくれた例で言うと、妻が夫の愚痴を無視していれば夫は愚痴を吐かなくなり、少しは家庭内を良い雰囲気にすることができるかもしれません。そんな本書の本筋とは少しずれたことを、発表を聞いて感じ取りました。


Tさん 本田由紀『教育の職業的意義ー若者、学校、社会をつなぐ』ちくま新書、2009年


本書は、教育課程において職業的意義を説くことの重要性を論じています。

小、中、高と私たちが受けてきた教育課程では社会のことや仕事に関する教育が足りていないという主張です。そして本書によれば、最も教育の職業的意義を妨げているのがキャリア教育です。キャリア教育とは、チーム力やコミュニケーション力などの会社で役に立つといわれている力をはぐくむ教育です。しかし「チーム力、コミュ力が大切だ」といわれても学生はピンときません。とても抽象的だからです。著者はそういったフワフワしたキャリア教育ではなく、何か一つ専門性を学生に持たせることが重要であると主張しています。

著者の主張に共感する部分が多くありました。発表を聞いて、学生の内に専門性を持つことで確固たる自分を形成することにもつながるのではないかと思いました。


Mさん 山口仲美 『千年たっても変わらない人間の本質」幻冬舎新書、2024年


本書は、日本語学者である著者が古典を紹介し、その古典から現代にも通じる人間の本質を記したものです。今昔物語集にあるお話では、乱暴者がお坊さんに合い説法を聞いたことをきっかけに心を入れ替え修行をし、最後には見事な死にざまで亡くなったという話があるそうです。このお話から、人はきっかけがあれば変わるという教訓を学ぶことができます。著者はそれに加えて、変わるきっかけだけではなくそのきっかけを受け入れる素養がない人は変われないと付け加えています。

Mさんの報告を聞いて古典から多くの教訓を得ることができると思いました。一方でMさんも触れていたことでしたが、特に恋愛観は当時と今ではかけ離れた慣習、状況があり、現代に当てはめることは無理があると感じた部分もありました。


今回はワクチンという流行のものから教育、人の行動、人の本質と昔から語られているようなテーマの新書もあり、興味が尽きない発表ばかりでした。次回以降もどんな新書発表が行われるのか楽しみです。


2024年9月25日水曜日

2024年度 後期第1回

 担当教員の相澤です。まだまだ暑い日が続きますが、大学は2期が始まりました。今日のゼミでは、2期の班決めやスケジュール確認をしました。

とことんアナログです。
班決めは、公平を重視して、あみだくじで行いました。引き続き新書報告を行いますが、この班をベースに行なっていきます。

後半は、夏休みの思い出報告と夏休みに読んだ本の報告を行いました。夏休みに読んだ本については、新書に限らなかったためか、多くの方が小説を紹介してくれま
した。偶然同じ作者の本を紹介するゼミ生たちもいて、知らなかったお互いの趣味が垣間見得たのではないでしょうか。

今学期は、新書報告に加えて、映画を読み解くグループワークなども織り交ぜる予定です。楽しく学ぶをモットーに、みんなでゼミを盛り上げていきたいと思います。

2024年9月5日木曜日

八ヶ岳で夏のゼミ合宿

 担当教員の相澤です。9/4から一泊二日、八ヶ岳で夏のゼミ合宿を行いました。経済学部の中村ゼミと合同という初の試みでしたが、両ゼミあわせて12名の学生が参加してくれました。

参加者はそれぞれの移動手段で現地に集合。初日の午後は、相澤ゼミで卒論を執筆予定のKさんとMさんによる構想発表と、中村ゼミ生によるゼミ論文構想発表を行いました。イノベーションをテーマにした中村ゼミと読書をテーマにした相澤ゼミではだいぶ趣が異なりますが、違う専門分野の学生が集まったからこそ、多様な観点から質疑応答を交わすことができ、充実したディスカッションになりました。

勉強会終了後は、卓球をしたり、散歩をしたり、思い思いにリラックス。全員で夕食を取った後は、懇親会をしつつ、星空を眺めたり、温泉を楽しんだり、八ヶ岳の夜を楽しみました。


相澤ゼミで合宿を行うのは数年ぶりでしたが、参加者同士が仲良くなる貴重な機会となりました。2期の活動がますます楽しみです。

2024年7月22日月曜日

相澤ゼミの本棚(2024年度1期)

 担当教員の相澤です。大学図書館で、展示「相澤ゼミの本棚」が始まりました。

相澤ゼミは、グループワークを通して読書の仕方を学び、自己表現能力(書く力・話す力)を高めることを目指すゼミです。毎週、全員が新書を必ず一冊読み、報告・ディスカッションを行なう「新書報告」という活動をメインに行なっています。

ゼミでは、1期に新書報告を9回行いました。つまり、ゼミ生はこの三ヶ月余りの間に9冊の新書をそれぞれ読んだことになります。7/17の1期最終回では、読んだ新書の中から自分の推しを選び、POPを作るワークを行いました。推したい気持ちを伝えるべく、文章やデザインを工夫しました。

そのPOPを使った展示がこの「相澤ゼミの本棚」です。想像以上の力作POPが揃ったのは、私にとって嬉しい驚きでした。

ゼミ生たちの気持ちがこもったPOPと推し本ラインナップです。ぜひ、図書館一階の本棚をのぞきに行ってみてください。