2026年10月7日水曜日

2026年度 後期第2回

 こんにちは、2年経済学部のY.Sです。

最近私はよく映画を観に行くんですけれども、やはり映画というものは良いですね。上映される作品たちはもちろん面白いと思いますが、私は館内の雰囲気や売店で買えるポップコーンなど、映画館そのものにも数多くの魅力があると思います。現代は情報化社会、多くの人がスマートフォンを所持し、今どこで何が起こっているのかを知りたがります。そんな人たちも、映画館では手からスマホを剥がし、世界情勢を忘れ作品を観ることに集中します。現代の映画館は、スマートフォンのデトックスができる施設になっていると言えると、私は思います。押し寄せる情報に疲れた方は、たまの息抜きとして、映画館に足を運んでみるのはいかがでしょうか。

では、10月7日のゼミ活動報告に移ります。

今回のゼミでは、普段行っている新書の口頭報告ではなく、ゼミのメンバー全員で、教育現場におけるデジタル機器やAIの使用について論じた新聞の記事を読み、内容について議論しました。記事の内容は、前半は大学生の読書離れに伴う読解力の低下を喚起するもので、後半は、教育の現場にAIを導入することの是非を問うものでした。筆者は、学生の読解力低下に対して、デジタル化による「読まない、書かない、考えない」傾向があり、デジタル教科書が記憶を阻害する可能性があると述べています。また、AIに関して筆者は、AIに頼ることで自身の能力向上の機会を失い、将来的な作文力や言語能力が危ぶまれることから、教育の場においてのAIの使用は全面的に禁止するべきと主張していました。

特に盛り上がったのは、今の学生はAIをどう使っているかという議論です。ゼミのメンバーそれぞれが現在AIをどのように使用しているのかを発表し合いました。「講義を録音し、要約をさせる」(Sさん)、「レポートの方向性を定めさせる」(Eさん)、「テストの予想問題を作らせる」(Oさん)など、実用的な使い方をしている人が大半でしたが、中にはKさんのように、「人生相談をする」という使い方をしている人もおり、人によってAIの使い方は多種多様であることが分かりました。

そして教育の現場にAIを導入すべきか否かの議論においては、私や他の数人が「基礎的な学習能力が固まるまでは、教育でAIを使う必要はない」といった意見でまとまっていましたが、Y.Kさんはその逆で、「早いうちからAIに触れさせることで、AIの正しい使い方を身につけさせるべき」だと述べていました。

私は、他の人のAIの使い方を知り、「そんな使い方があったのか」といった気づきを得ることができたと同時に、これから成長し、学んでいく世代が、今の私たちのようにAIを使うことが、果たして良いことなのかどうかを改めて考える機会を得られました。

私の意見は、私達よりも若い人々が、今の私達と同じようにAIを使うことは、あまり良いことではないと思います。なぜなら、私自身も、簡単に頼れてすぐに答えてくれるAIを手放せなくなりつつあるためです。結局のところ私たちが必要としているものは、「いつでも頼れてなんでも訊ける」存在なのだと思います。今はそれがAIなだけで、昔は博識な大人や先生がそのポジションにいたはずです。つまり、AIを教育に用いることを禁止するならば、今後より一層、若い人々にものを教える「大人」の存在が重要視されるべきなのかなと考えました。

新聞記事の一つのトピックだけでも、一時間以上もの議論を行い、参加者全員が、AIの使い方に対する意識を深められる有意義な時間でした。

以上で10月7日の活動報告を終了いたします。

2026年9月30日水曜日

2026年度 後期第1回

 経済学部3年のOです。最近、雨が多いですね。私の傘は、出番の多さにくたびれています。いざ晴れたと思っても8月並みの暑さで、それはそれで困ります。厚手のカーディガンは「いつでも行けるぞ!」とベンチ(クローゼット)で肩を温めています。秋らしい気候はいつやってきて、どのくらい続くのでしょうか。これでは紅葉さんも迷子になってしまいますね。

今回はB班の発表です。

Yさん:腹巻猫『劇伴音楽入門』インターナショナル新書、2026年

 本書は劇伴音楽とは何かについて論じたものです。劇伴音楽とは映画やドラマ、アニメに差し込まれる音楽です。サウンドトラックに似ていますが、歌詞が無い曲に限定しているところが異なっています。著者の腹巻猫自身も劇伴の作曲家で400曲以上も出がけているようです。

 劇伴の特徴は、特定の音楽ジャンルに縛られることのない自由な作曲です。アニメ『COWBOY BEBOP』を例に挙げて劇伴の魅力を説明してくれました。このアニメは宇宙が舞台で、劇伴にはジャズが使用されているとのことです。宇宙にジャズのイメージはありませんが、何故ジャズを使ったのでしょうか。その答えは、とても策略的で作品に寄り添ったものでした。まず、『スターウォーズ』など宇宙を舞台にした名作との差別化です。過去の名作たちは壮大な音楽である場合が多いので、ジャズを使用することでアニメに個性が生まれます。次にアクションシーンと即興ジャズとの親和性です。私はこのアニメを観たことはありませんが、確かにジャムセッションはアクションシーンでの軽快なステップや連続攻撃が思い浮かびます。

 このように一つのアニメを例にしても、劇伴がその作品の印象や演出に大きな影響を与えていることがわかります。

 個人的には、『菊次郎の夏』の劇伴『summer』が印象的で好きです。夏の爽やかさと、菊次郎の自由なキャラクター性を表したような曲です。『summer』を聴くだけで、主人公の正男と菊次郎の冒険を思い出します。

Eさん:長谷川岳男『スパルタ 古代ギリシアの神話と実像』文春新書、2024年

 厳しい指導や訓練を“スパルタ教育”と表すことがあります。本書では今日使われているスパルタの元になった、古代ギリシアのスパルタで行われていた兵士教育の実態について論じられています。

 まず、スパルタの教育は6歳から始まります。しかし、この時点では歌やマナーなど基礎を学ぶ段階なため、さほど厳しい指導はなされません。この課程を修了してから本格的なスパルタ教育が始まります。スパルタの兵士教育は、一般の男子全員が対象となります。その中で病弱だったり、戦闘に不向きな体格の者は兵士になることはできず、崖から落とされてしまいます。教育すら受けさせてもらえないのです。教育を受けられる者は、合同食事会の参加が必須となります。そこは上層部に自分の優秀さをアピールする場でもあります。食事の時間さえも兵士教育に変わってしまうのです。兵士になると、同調圧力により命が尽きるまで戦ったものを評価するようになります。一方で生きて帰ってきた者は虐げられ、その家族までもが差別的な目線を向けられてしまいます。

 幼い頃から、戦争に適した人材に教育されるという歴史は、第二次世界大戦下の日本に共通する点があると思います。そのためスパルタの厳しさは、かつての日本と同様に戦争に勝つことが正しいという固定観念から生まれた産物なのだと感じました。

 今回の2冊は、歴史と音楽という別ジャンルでしたが、エンタメ性と知識の厚みを兼ね備えた新書だと感じました。単に専門的知識が詰め込まれただけの新書ではなく、強く興味を惹かれるようなテーマと説得力が十分にある内容のものを選んでおり、二人の新書選びは上手いなと感心しました。次回は私も彼らのような新書選びをできたらなと思います。

2026年9月15日火曜日

2026年度 夏のゼミ合宿

 担当教員の相澤です。9月13日から15日の三日間、草津でゼミ合宿を実施しました。今年も、経済学部の中村ゼミと合同でした。

初日午後にホテルに集合。三時間にわたって合同の勉強会を行いました。相澤ゼミは「夏休みに読んだ新書」について報告、中村ゼミはグループ研究の進捗報告を行いました。かなり関心が異なる二つのゼミですが、だからこそ互いに新鮮な質問が飛び交いました。

初日夜は花火を楽しみ、その後は飲み会へと移行していました。

二日目は終日自由行動とし、宿のアクティビティを楽しんだり、草津の名所を巡ったりと思い思いに懇親できたようです。

三日目のチェックアウト後は、もう少し草津を楽しんで帰途につきました。

今年はやや遅めの実施となったため、多くの学生にとって後期授業直前、夏休み最後のイベントになりました。合宿で育んだチームワークを活かして、後期の学習に臨んでほしいと思います。

2026年7月15日水曜日

2026年度 前期第12回

 経営学部2年生のKです。テストまで後1週間ちょっとの間、皆さんはどのような勉強をしていますか?もしかしたらレポートも書く必要があり大変な人もいるかもしれません。私は授業でもらったレジュメの穴埋めを解く、授業中に行った小テストの解きなおしなどをしています。とはいえテストが近づいてきて私は、少々焦りを感じています。

こちらが本日の活動報告です。本日はB班の新書報告です。

Yさん:立脇恵子『障害者の居場所』中公新書、2026年

本書は、主に知的障害者を取り巻く現状、思想、国の歴史などを紹介した後に、障害者の居場所をつくるにはどうすればよいのかを考察しています。

Yさんによると障碍者が保護され始めたのには理由があります。それは戦後GHQの介入や高度経済成長による核家族化が進んだことによる家族の負担が増加したこと。ノーマライゼーションという様々な人で社会に参画していこうという考え方が浸透したことなどの理由で知的障害者を受け入れる社会に変化していった過程が書かれているそうです。また著者は、施設に送ることや地域の方と生活をさせるだけでは問題点はあると主張しています。そのため、コミュニティを作り、コミュニティが地域とうまく参画していくという2つの観点が重要だと説明されました。

著者の主張を行うにはかなりの労力や周りの理解や協力が必要なため、一人ひとりが身近に障害者がいる場合、彼らも同じ地域コミュニティになじめるように意識しなければならないことだと思いました。

Oさん:増田隆一『人とヒグマ』中公新書、2025年

本書には、人間とクマの関係が記されています。Oさんはクマが人間を襲うようになったのは人間の開発や地球温暖化によって鮭をはじめとした熊の元々の食べ物が減ってしまったこと。それによりシカを食べるようになると肉の味を覚えてしまったこと。そこから人や家畜を襲うようになったと順序よく説明していました。また昔クマはアイヌの人々から神様のような扱いを受けていました。アイヌだけでなく冬眠するクマのいる地域ではクマは似たような扱いをされているようでした。どうやら冬眠することで何度も生と死を表して人間界と展開をつないでいると考えられました。だから神様のように扱われたと説明されました。

科学の発展や環境が変化しているとはいえ、クマに対する人々の認識は、昔は神様扱いで、今は怖い存在となっているようでした。昔尊いとされていたものでも時代によってその認識は変わっていくことを感じました。

本日の新書報告は、社会問題に触れるようなものでした。どちらの問題も自分たちの身に降りかかる可能性があるかもしれません。そのためもし自身に降りかかったらどうするかを考える必要があるのではないかと感じました。

2026年7月8日水曜日

2026年度 前期第11回

 こんにちは、経営学部3年のS.Y.です。最近は、梅雨があけたと思っていたら夜中に雨が降って、蒸し暑くペタペタします。調べたところ今年の関東の梅雨明けは7/15からだそうです。暑がりなので、移動するたびに汗をかき、涼しい恰好をすれば室内で寒くなってしまいます。皆様は暑中をいかがお過ごしでしょうか。快適に過ごす方法が知りたいです。

さて今回は、A班の発表をご紹介します。

Hさん 廣田龍平『ネット怪談の民俗学』ハヤカワ新書、2024年

 民俗学とは、歴史の主流ではない普通の人たちがどういう風に生活しており今の基盤が成り立ったのかという来歴を考える学問だそうです。

 ネット怪談というのは、不特定多数の人々が構築していく、共同体的な営みです。たとえば、スレッドで実況のように「心霊スポット行ってみた」のようにリアルタイムで書き込まれていくものがあります。

 本書では、ネット怪談の成り立ちが民俗学的に興味深く、まとめるという試みがなされた本です。本書は、いろいろなネット怪談の内容が掲載されており、ネット文化に疎い人にとってはそれを知る機会になります。一方、ネット文化に精通しているひとには民俗学を身近な事例から学ぶ機会となります。そのような一石二鳥な本であるとHさんは紹介していた。

 具体的なエピソードとして、『きさらぎ駅』が紹介されました。とあるネットの投稿者が、寝て起きて気づいたら「きさらぎ駅」に着いており、そこで起こる不思議なでき度とをリアルタイムで投稿していく怪談です。

 この怪談の聴衆であるネットの人の中には、ネタとして面白がる人もいれば、本当かどうか真偽を気にするひともいます。ここで面白いのが、民俗学的に怪談を伝承していくのは後者であるということです。前者のようにネタとして消化してしまう人々の場合、『河童』を例にすると、「河童は剥げている」といった特徴だけが大衆文化として消費されます。その結果、エンタメの枠に入り、怪談の文脈から外れていきます。一方、真偽を気にする人は、真偽を気にする過程で怪談の話にのめりこんでいきます。そのため、怪談の話を伝承させていくのは後者であるということです。

 Hさんの発表を通して、自分はインターネット文化に多少の知識があったので、身近な例から民俗学を見ることができました。また、一見すると、怪談を語る側からしてみれば、話にのめりこめずに設定を気にする斜に構えた聴衆のように思えます。しかし、それゆえに設定を伝承させていくという逆説的な結果が、意外で面白いと感じました。


S.Y. 渡邉雅子『共感の倫理』岩波新書、2025年

 今回は、ブログ執筆を担当している自分も口頭報告をしました。

 本書では、『共感の論理』という題名に著者の教育に関する提言が込められています。その主張に向けて、問題提起、解決策、具体例という構成で述べられています。報告者である私は本書を読み、ページ数が少ないながらも、引用やフレームワークを用いて自身の論理を補強しながら主張を展開している点に面白さを感じました。

 本書での問題提起とは、現在の資本主義社会や競争社会、エネルギー問題など、近代の抱える問題全般です。それらは、資本主義などの欧米発の考え方によって成り立つ社会が引き起こしていると考えられています。そのため本書では、そうした考え方を見直し、改善されたポスト近代のあり方を提言することに帰着しています。

 著者の述べる解決策は、「共感的利他主義」です。「共感的利他主義」とは、近代の競争的・個人主義的な様相と比較すると、共感的・利他的な姿を重視する考え方です。そのような考え方を通じてポスト近代の社会が成り立つことで、問題の解決に至るとされています。

 「共感的利他主義」を育む教育方法として、本書では日本の教育が例に挙げられています。日本の教育では、作文によって感想を書くことで共感力が育まれる。また、学級というまとまりや集団生活を通して、共感力や社会性が育まれる。また、掃除をすることによって利他性が育まれると著者は述べています。

 そのため、日本の教育から糸口をつかみ、ポスト近代へ至るべきだという主張がなされていました。また、現在の日本教育から、それらの「共感的利他主義」を育む教育が失われかけているという新たな問題提起もなされ、本書についての報告は締めくくられました。


 自分の口頭報告をまとめる中で、録音を聞き、文字にまとめ直しました。すると、自分の口頭報告のわかりにくさや、話していた内容を文字に起こしたとして説明不足であることが分かりました。本の内容をよんで面白いと思ったからこそ、自分の面白いと思った感性とともに、その内容部分により焦点を当てて、発表していこうと思いました。また、ブログ執筆を通して、他の人の発表内容をまとめるには、内容を過不足なく理解することが不可欠だと思いました。

2026年7月1日水曜日

2026年度 前期第11回

  経済学部2年のYです。先日コンビニバイトをしている時、レジでお客様から宗教勧誘を受けました。以前からこの手の誘いはよく来ていたのですが、バイト先でも遭遇するとは夢にも思いませんでした。それほど私は悩み事を多く抱えているように見えるのでしょうか。今度お祓いを受けることを真剣に検討してみようと思います。 

 それでは活動報告に移ります。今週はC班の新書報告です。

Kさん:阿部芳郎『縄文時代を解き明かす』岩波ジュニア新書、2024年

 本書は縄文時代の人がどのような道具を使い、何を食べ、どのように暮らしていたのかを解き明かしたものです。縄文文化を明らかにするにあたって動物学、植物学、人類学など様々な分野の知見を取り入れています。

 Kさんは縄文土器には2つの種類があることを取り上げていました。1つは精製土器と言います。我々のよく知る、縄の模様が特徴的な縄文土器がこれに当たります。この土器は祭事によく用いられていたと考えられています。もう一方は粗製土器というものです。こちらは模様がなく、食料の調理や貯蔵など日常的に使われていたようです。

 今まで縄文時代には縄文土器という1つの土器が使われていたと考えていた私にとって、2種類の土器が使われていたという事実は衝撃でした。

 我々の知る日本史より深い内容を取り扱い、教科書までに習った古代のイメージを変えてくれる著作でした。

Eさん:下倉バイオ『「選択肢」の選択史 ニトロプラスのライターはノベルゲームをどう作ってきたか』星海社新書、2025年  

 本書は数々の名作ノベルゲームを生み出してきた著者の、ゲームの常識を疑い、かつてないアイディアを実現するための問題解決の軌跡を追っていったものです。

 この本で著者は、ノベルゲームと小説を分ける要素である「分岐」の存在に目をつけ、ノベルゲームに分岐は必要かという問いを解こうとしました。

 解決にあたり、著者は、ゲームはコンプリートが前提であることを活かしました。タイムリープというゲーム内の設定を用いて、プレイヤーに様々なエンディングを集めさせます。すべてのエンディングが回収されて初めて、真のエンディングを見ることができるという手法を著者は取りました。

 個人的に、これはとても鮮やかな解決策だと感じました。ノベルゲームの分岐の必要性を説き、それでいて唯一無二のアイデアだと思います。名作を生み出すクリエイターの真髄に触れることのできた一冊でした。

Yさん: 印南敦史『現代人のための読書入門 本を読むとはどういうことか』光文社新書、2024年

本書は誰もが読書体験を通して、何かを学ぶことのできた事実を取り上げ、「読書の原点」を問い直したものです。

当書では、本に触れる際には、何か知識を得ようという確固たる意思は必要なく、読みたいという直感的な気持ちが大切であると述べられています。この主張は、ゼミを通して新書への向き合い方を改めようとし、この本を手に取ったYさんにとって目から鱗だったようです。とはいえ、あくまでこの主張は我々に対する提案であり、他の読み方があっても良いというのが著者のスタンスです。

この主張も踏まえて、私は、本に触れるハードルは自分が思うよりずっと低くても良いのだと感じました。読後、我々をより気軽に次の読書に向かわせてくれる著作だと思います。


今回の新書報告は、3冊とも分野は違いますが「当たり前だと思っていた考えを見直す」という共通点があるように感じました。来週は、どんな新たな視点を得られるのか楽しみです。


2026年6月24日水曜日

2026年度 前期第10回

 3年経済学部のOです。先日、中学時代に熱心に聴いていたラジオ番組が、一夜限りの復活をしました。当時は夜更かししながら毎週楽しみに聴いてたため数年ぶりに聴くラジオは、ジングルだけでノスタルジーを感じました。それでは、今週の活動報告に移りたいと思います。

今回は、普段行ってる新書報告とは異なり、三宅香帆さんの『伝わる言語化』を題材に活動をしました。最初にテキストで大事な箇所を確認した後、グループワークを行いました。今回の活動は、新書報告の際に挙げられる「新書を読まなくても伝えられる内容が多い」という課題を克服することを目的として行われました。

 実際のワークでは、まず自分が好きなコンテンツをあげ、そのコンテンツの好きな点を具体的に考えました。次のステップでは、あげた点に対する感情となぜその感情を抱いたのかを書き出す作業を行いました。

 私は、Mr.Childrenの『掌/くるみ』を好きなコンテンツに挙げました。『掌/くるみ』は、『掌』と『くるみ』の両A面のCDです。『掌』は暴力的な歌詞ですが、『くるみ』は私たちを包み込んでくれるような優しい曲です。このように2曲は対極的なメロディや歌詞なのですが、2曲とも自身の不甲斐なさを語り、最後には「そのままでも良いんだ」という前向きな着地をするのが好きなポイントです。この2曲を聴くと私は、これらの曲の主人公のように、自分の不甲斐なさに落胆しても、そのままの自分で突き進もうと思うことができます。

 同じグループの人はバンドのMy Hair is Badを、相澤先生はバンドのくるりを挙げていました。この2つも『掌/くるみ』と同様にロックです。しかしMy Hair is Badを挙げていた人は、歌詞よりメロディに心が躍り、相澤先生は曲と共に歩んだ時間から生まれる「懐かしさ」を好きポイントの一つとして挙げていました。同じロックを好きなコンテンツに挙げた私たちですが、注目するポイントや、それから生まれる感情がそれぞれ違うのだと改めて感じました。これらの差異は、日常生活で使ってしまいがちな「好き」や「影響された」だけでは伝えることができません。自分なりの言葉と向き合ったからこそ、共通点に隠された違いを共有できたのだと思います。

 また、漫画やサッカーなどの全くの別ジャンルを好きなコンテンツに挙げた人もいました。読んだことのない漫画や普段触れることがないスポーツは、「面白い」や「楽しい」などのありきたりな言葉では、興味を持つことは難しいです。しかし、熱を持った自分なりの言葉や表現は、これまで全く知らなかった世界にも飛び込んでみようと思わせてくれました。このようなことから自分なりの言葉は、自分のためだけでなく、相手に〈好き〉を伝えるための武器にもなるのだと感じました。

 私たちは、つい「好き」や「影響された」、「面白い」などありきたりで個性が伝わりにくい言葉を使ってしまいます。しかし自分の〈好き〉を見つめ直すことで、自分の言葉を見つけることができ、その言葉が自分を飛び出して相手に伝わると、新たな知見を共有できるのだと感じました。

 次回以降の新書報告では、今回学んだことを踏まえて、ありきたりな表現や、新書を読まなくても伝えることができる事柄にとどまらず、自分なりの解釈や、自分なりの言葉で伝えられるように心掛けたいと思います。