こんにちは、経営学部3年のS.Y.です。最近は、梅雨があけたと思っていたら夜中に雨が降って、蒸し暑くペタペタします。調べたところ今年の関東の梅雨明けは7/15からだそうです。暑がりなので、移動するたびに汗をかき、涼しい恰好をすれば室内で寒くなってしまいます。皆様は暑中をいかがお過ごしでしょうか。快適に過ごす方法が知りたいです。
さて今回は、A班の発表をご紹介します。
Hさん 廣田龍平『ネット怪談の民俗学』ハヤカワ新書、2024年
民俗学とは、歴史の主流ではない普通の人たちがどういう風に生活しており今の基盤が成り立ったのかという来歴を考える学問だそうです。
ネット怪談というのは、不特定多数の人々が構築していく、共同体的な営みです。たとえば、スレッドで実況のように「心霊スポット行ってみた」のようにリアルタイムで書き込まれていくものがあります。
本書では、ネット怪談の成り立ちが民俗学的に興味深く、まとめるという試みがなされた本です。本書は、いろいろなネット怪談の内容が掲載されており、ネット文化に疎い人にとってはそれを知る機会になります。一方、ネット文化に精通しているひとには民俗学を身近な事例から学ぶ機会となります。そのような一石二鳥な本であるとHさんは紹介していた。
具体的なエピソードとして、『きさらぎ駅』が紹介されました。とあるネットの投稿者が、寝て起きて気づいたら「きさらぎ駅」に着いており、そこで起こる不思議なでき度とをリアルタイムで投稿していく怪談です。
この怪談の聴衆であるネットの人の中には、ネタとして面白がる人もいれば、本当かどうか真偽を気にするひともいます。ここで面白いのが、民俗学的に怪談を伝承していくのは後者であるということです。前者のようにネタとして消化してしまう人々の場合、『河童』を例にすると、「河童は剥げている」といった特徴だけが大衆文化として消費されます。その結果、エンタメの枠に入り、怪談の文脈から外れていきます。一方、真偽を気にする人は、真偽を気にする過程で怪談の話にのめりこんでいきます。そのため、怪談の話を伝承させていくのは後者であるということです。
Hさんの発表を通して、自分はインターネット文化に多少の知識があったので、身近な例から民俗学を見ることができました。また、一見すると、怪談を語る側からしてみれば、話にのめりこめずに設定を気にする斜に構えた聴衆のように思えます。しかし、それゆえに設定を伝承させていくという逆説的な結果が、意外で面白いと感じました。
S.Y. 渡邉雅子『共感の倫理』岩波新書、2025年
今回は、ブログ執筆を担当している自分も口頭報告をしました。
本書では、『共感の論理』という題名に著者の教育に関する提言が込められています。その主張に向けて、問題提起、解決策、具体例という構成で述べられています。報告者である私は本書を読み、ページ数が少ないながらも、引用やフレームワークを用いて自身の論理を補強しながら主張を展開している点に面白さを感じました。
本書での問題提起とは、現在の資本主義社会や競争社会、エネルギー問題など、近代の抱える問題全般です。それらは、資本主義などの欧米発の考え方によって成り立つ社会が引き起こしていると考えられています。そのため本書では、そうした考え方を見直し、改善されたポスト近代のあり方を提言することに帰着しています。
著者の述べる解決策は、「共感的利他主義」です。「共感的利他主義」とは、近代の競争的・個人主義的な様相と比較すると、共感的・利他的な姿を重視する考え方です。そのような考え方を通じてポスト近代の社会が成り立つことで、問題の解決に至るとされています。
「共感的利他主義」を育む教育方法として、本書では日本の教育が例に挙げられています。日本の教育では、作文によって感想を書くことで共感力が育まれる。また、学級というまとまりや集団生活を通して、共感力や社会性が育まれる。また、掃除をすることによって利他性が育まれると著者は述べています。
そのため、日本の教育から糸口をつかみ、ポスト近代へ至るべきだという主張がなされていました。また、現在の日本教育から、それらの「共感的利他主義」を育む教育が失われかけているという新たな問題提起もなされ、本書についての報告は締めくくられました。
自分の口頭報告をまとめる中で、録音を聞き、文字にまとめ直しました。すると、自分の口頭報告のわかりにくさや、話していた内容を文字に起こしたとして説明不足であることが分かりました。本の内容をよんで面白いと思ったからこそ、自分の面白いと思った感性とともに、その内容部分により焦点を当てて、発表していこうと思いました。また、ブログ執筆を通して、他の人の発表内容をまとめるには、内容を過不足なく理解することが不可欠だと思いました。